『ロマンスX』 カトリーヌ・ブレイヤ(監督) /

SEXしてもしなくても、男は恨まれる。

週刊ポスト(2001/7/20)で"「性器モロ出し」仏映画の無修正映像が公開された"という見出しが躍ったせいだろうか。「ロマンスX」の上映館には、ふだん映画館で見かけない初老の男性の姿が目立ち、驚いた。

配給元であるプレノン・アッシュの篠原弘子社長は言う。「初日から年配のお客様が多くて、一番見てもらいたかった若い女の人とそのパートナーとなるべき男性は意外に動いてくれなかった・・・最近、映画が好きという人は多いけれど映画に何を求めているのかよくわからない」

恋人にSEXしてもらえないマリーの苦悩が延々と描かれる。愛し合いたい、抱かれたいという思いだけで頭がいっぱいになってしまう彼女は、恋人を問いつめ、自分を追いつめる。理想の愛ではなく現実的な執念をクローズアップし、煮詰めていく物語。17歳で初めて書いた小説が18禁になり、20代で初めて撮った作品が上映禁止になったという「筋金入り」の女性監督、カトリーヌ・ブレイヤ(50歳)の情念が血を流している作品だ。

「男に期待するな。体だけを求めろ。傷つけられたら復讐せよ」。この映画からは、こんなメッセージがきこえてくる。体を求めない男に苛立ち、体が目的の男を軽視するマリーは、どこへいくのか? セックスしてもしなくても恨まれちゃう男たちって、一体何だろう? だが、これこそが、「貞操観念の消失」と「セックスレス」が同時進行している現代の圧倒的なリアリティなのである。

マリーは恋人以外の男と寝る。縛られる。1人エッチをする。「いくらでなめさせて」というゆきずりの男の要求にまでこたえ、「これが私の求めていたことだ!」なんて思ったりもする。彼女のファンタジーは、見知らぬ男と寝ることなのだ。インターンにかわるがわる触診される産婦人科のシーンが、上半身と下半身に分断された売春宿の妄想へとつながる。しかし、マリーの悲劇は恋人を忘れられないこと。彼女は何度も泣くが、この女優、本当に泣いてるんじゃないだろうか、と思うほどリアルだ。 オーディションを勝ち抜いてこの役を得たそうだが、2週間で4キロ痩せてしまうほど過酷だったというハードコア撮影は痛々しく、長回しの映像の美しさとあいまって、フィクションを超えた切実な事件として胸に迫る。

真正面から撮った出産シーンに続くラストは、意味以上にリズム感が素晴らしい。長い長いトンネルを抜け出たような潔さに、監督自身もさぞかしすっきりしたのではないだろうか。この思い切りの良さ、したたかな開き直りは、あらゆる女性が潜在的にもつ怖さでもある。

悲劇の根源は「産む性」にあるのだというのがこの映画の出した答えだと思う。つまり、問題を内包するのは女で、それを解決するか泥沼にするかの鍵を握るのは男。SEXの有無とは関係なく「女をちゃんと愛せる男」が減るならば、マリーのような女は確実に増え続けるだろう。

前出の篠原弘子社長は、こうも言う。「1本の映画に出会って、『ああ、これで10年くらい生きていける』と思えるくらい幸せになったり、心の奥底にわだかまっていた澱のようなものを解き放ってくれたり(『ロマンスX』はこちらの例)、そういう体験をしながら映画が大切なものになっていくものだと思っていたのですが、なかなかどうして、世の中は思うようにならないものです。私も『千と千尋』も見たいし『猿の惑星』も楽しみ。でもゴダールの新作に"ヤラレ"て、恥ずかしながら涙を流す幸福もより多くの人に体験してもらいたいと切実に思っているのです」

*1998年フランス映画 /東京・渋谷で公開中/8月4日~大阪・梅田で公開
2001-07-22