『アマデウス ディレクターズ・カット』 ミロシュ・フォアマン(監督) /

男の嫉妬はアンビバレント。

嫉妬には2種類ある。広辞苑にはこう書かれている。
1.自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。
2.自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。

「キミよりもAのほうが優れた人間だから」という理由で最愛のBに見捨てられてしまった場合、Aに対する嫉妬が1、Bに対する嫉妬が2ということになる。Bの愛情を取り戻すためには、Aに勝たなくてはならない。つまり1の嫉妬は「相手の才能を排除」することへ、2の嫉妬は「相手の愛情を独占」することへと向かう。シンプルだ。

だが、1と2の嫉妬が入り混じったアンビバレントなケースもある。たとえば「キミよりもAのほうが優れた人間だから」という理由で多くの人々に見捨てられたのにも関わらず、自分もAの才能を愛してしまった場合。Aをねたみつつも、その才能を排除することはできないだろう。代わりにほかの誰よりもAを理解しようとするのではないだろうか。つまり「相手の才能を独占」し、奪い取ることで、多くの人々の関心を自分のもとへ呼び戻そうとする。

相手の才能を独占し、奪い取る? そんなことができるのだろうか?
「アマデウス」は、このような凄まじい嫉妬の顛末を描いた作品だ。

禁欲的に生きる凡庸な宮廷音楽家サリエリは、天才モーツァルトの品のないキャラクターに驚きつつ、それを利用する。「才能はあるが危ない男」と周囲に吹聴しながら、自分だけが彼に近づくのだ。憧れの女を汚されるなど悔しい思いをしているのにもかかわらず「こいつの音楽を本当に理解できるのは自分だけ」というような屈折した自負心を隠し持つサリエリ。神を呪い、復讐の野望を抱く一方で、モーツァルトの才能に打ちのめされ翻弄されてゆく。

若い神父の前で、こうした感情のすべてを吐露する年老いたサリエリの演技は、何度見てもすばらしい。とりわけモーツァルトの才能と音楽を語る彼の恍惚の表情が、すべての暗い感情を一掃するとき、この映画を見てよかったなと思う。どんな嫉妬をもあっさり乗り超えてしまう才能が、あらゆる苦悩をちゃらにしてしまう音楽が、世の中には確かに存在するのだ。映画自体の設定はばりばりのフィクションでありながら、そこに流れるモーツァルトの旋律は、まぎれもないリアルとして観客の魂を揺さぶる。

今回加わった20分間の映像で印象的なのは、モーツァルトを異なるアプローチで愛する2人「モーツァルトの妻 VS サリエリ」の対決シーンだ。サリエリの前で大胆に服を脱ぎ、あとで大泣きするというシンプルな妻の行動が、サリエリの苦悩の複雑さを際立たせる。男たるサリエリは、脱ぐことも泣くこともできないのだから。まったく、男ってやつは大変だなと思うけれど、それでも私は、サリエリがモーツァルトの音楽に打ちのめされたように、男が男に抱く嫉妬のどうしようもなさと美しさに迫ったこの映画に打ちのめされてしまう。

*2002年アメリカ映画(オリジナル版:1984年 アカデミー賞8部門等受賞)
*新宿・テアトルタイムズスクエア(~11/15)、テアトル梅田(~11/8)で上映中
2002-11-08