『復活』 タヴィアーニ兄弟(監督) /

悩みつづける男。変わり身の早い女。


自分のせいで転落してしまった女に思いがけない形で再会し、すべてを投げ打って求婚する男。
はたして身分違いの愛は成立するか?

単純なストーリーだが、3時間7分も、私たちはこの男の苦悩に付き合わされる。彼の悩みは7年前、叔母たちの家の養女カチューシャに欲情したことから始まった。欲情=諸悪の根源。原作者トルストイの究極のテーマである。

かつて欲望に身をまかせ、妊娠させ、見捨てた女が、今は娼婦になり殺人罪に問われている。そのとき、貴族たる男は責任をとろうとするだろうか?理想主義の彼は、するのである。贖罪の思いが政治的ポリシーの揺らぎとリンクし、彼は生き方まで変えてしまう。所有地を農民に分配しようとするがかえって迷惑がられるなど、とんちんかんな貴族の善意は傲慢さにすぎなかったりもするわけだが、それでも彼は、ひたすら償う。

こういうマッチョにしてロマンチックな感性をもちあわせたお坊ちゃまの政治的映画が「東京都知事推薦」というのだから面白い。っていうか、そのまんまだ。

彼の行為は当初、愛ではなく偽善として描かれる。だが、自己満足や見栄や憐れみや支配欲や意地が介入しない愛などあるだろうか。結局のところ、愛とは行動なのだ。この映画の長さは、このことを描くためにある。女の気持ちを理解できない男は、偽善を恐れず、とりあえず行動してみるしかない。どこからどこまでが女の演技なのか、どういうときに強引に奪えばいいのか、どういうときに優しくすればいいのか、何がセクハラで何が女を傷つけるかなんて永遠にわかるはずがないのだから、ひたすら実直に行動し続けるしかないのである。

ラスト、彼女を失ったシベリアの地で呆然としている彼は、新世紀を迎える農民たちのパーティーの中でも完全に浮いている。目的を失い、ふぬけになった彼が「あなたの願いごとは何?」と聞かれて何と答えるのか、私は固唾をのんで見守った。

男女の関係は、変化しながら一生続いてゆくのだから、その力関係を近視眼的に判断してはつまらない。とはいえ、そこに普遍的なパターンが存在することは明らかである。

(女)愛する→傷つけられる→転落する→見返してやる→ふっきれる→再び上昇する
(男)欲情する→傷つける→ばちがあたる→転落する→反省・執着する→低空飛行つづく

男の低空飛行にスポットを当てた映画が多いのは、映画監督や原作者のほとんどが「悩める男」だからだ。そもそもトルストイは、この作品を何度も書き換え、十年もいじり続けたらしい。原作自体が、男の悩みの究極の軌跡なのである。

*2001年イタリア映画/上映中
*モスクワ国際映画祭グランプリ
2003-11-09