『ジダン-神が愛した男』 ダグラス・ゴードン&フィリップ・パレーノ(監督) /

サッカー × アート = 見たことのない肖像。


2005年4月23日のレアル・マドリード対ビジャレアル戦。
ヨーロッパで初めて使用される高解像度カメラを含む17台のカメラがジダンを追った。
監督は、現代美術の分野で活躍する2人の映像アーティスト。この映画をジャンル分けするなら、商業映画でもなく、スポーツドキュメンタリーでもなく、ファンのための映画でもない。まだ誰もやったことのないことに挑戦した実験映画だ。

準備に1年、製作に1年を費やし、カンヌ国際映画祭に出品。日本では話題になりそうもなかったのに、W杯決勝の「頭突き事件」がタイムリーなプロモーションとなった。この映画(試合)の結末も、たまたま「ジダンのレッドカード退場」だったのだから。

上映時間が95分で、終盤に退場ときいて、試合の流れをリアルタイムで撮ったドキュメンタリーを想像した。ジョナサン・デミがトーキング・ヘッズのライブを撮った「ストップ・メイキング・センス」のようなものを期待して劇場へ行ったのだ。仕事で映像制作を請け負うことになり、参考にしたかったということもある。

ジダン本人は、映画の話を最初は断ったものの「これまでに一度もこういう作品が作られた事が無い」ことに関心をもち、2人の監督に会ったという。完成後、ジダンはこう言っている。
「僕はあんな顔をしていたんだね。普段目にする写真やテレビでは、あの集中力や緊迫感までは感じられない」
「今言えるのは、これは衝撃的な映画だという事。誰もが気に入るかどうかは分からないけれど、それはすぐに分かる事だね。力強い作品だという事は確かだよ。重要なのは、聞いたこともない音を聞くことができて、見たこともない映像を見ることができる、という事。テレビで見慣れている試合など足下にも及ばないよ」

テレビのサッカー中継のわかりやすさというのは驚異的だ。この映画は、ボールを追わずジダンを追うから、試合の流れがよくわからない。ボールは何度もジダンのもとに来るし、彼は見事なパスを出す。ベッカムが彼に抱きつき、ロナウドや他のチームメートとのやりとりもある。レッドカードが突きつけられ、退場する時の観客の反応は、彼を英雄扱いしているみたい。だけど、ジダンが見ているものは、基本的に映し出されない。ジダンを見つめるカメラばかりなのだ。

そのことによって、そしてジダンの寡黙さや、身軽とはいえない彫像のような雰囲気も手伝って、内にこもった、スポーツらしからぬ「肖像映画」になっている。他のメンバーや観客を、流れる背景としてしかとらえないことで、チームプレーであるはずのサッカーが孤独な営みに見える。テレビの映像がゲームなら、この映画はサッカーそのものに肉薄したといっていい。

「美術手帖」8月号によると、2人の監督は「実生活を記録するベストな方法は、主観的な視点を無限に増やすことだ」というパゾリーニの言葉をヒントにしたという。17人のカメラマンが、ひとりのプレーヤーを主観的に追うことで「サッカー生活」の実像に近づいた。

主観的な視点を増やすことは、ドキュメンタリーから遠ざかることを意味するんじゃないだろうか? とても広告的な実験だと思う。編集にかけた時間と作り込みの凄さは、半端じゃないはず。ジダンの息遣いまで聞こえるような臨場感ある音づくりやナレーションもそうだし、ハーフタイムには、その日に起きた世界情勢の映像が流れる。音楽は、今年のフジロックにも出演するイギリスのロックバンド、モグワイの書き下ろしだ。


*2006年フランス=アイスランド
*シネカノン有楽町で上映中
2006-07-18