『駆ける少年』アミール・ナデリ(監督)

親のない少年は、動くものを追いかけた。



1985年、ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞した「伝説のイラン映画」が日本で劇場公開されている。

11歳のアミル少年は、ペルシャ湾の港町で空き瓶を拾い、水を売り、靴を磨くことでお金を得ている。親はいないが、友だちと走る競争をし、サッカーに興じる。学校へは行かず廃船に寝泊まりし、きれいな船や飛行機を見ると興奮して奇声を発し、全身で喜びを表現する。

ストリートチルドレンが過酷な日々をどうサバイバルしていくか。そういう話なのかと思ったら違っていた。無限のエネルギーとほとばしる喜びにまつわる映画。その臨場感! 上から目線じゃない。アミル少年は、アミール・ナデリ監督の少年時代なのだ。

水の代金を払わずに去る自転車男を、どこまでも追うアミル。たった1リアルを払ってもらうためだが、ようやくアミルが追いつき、男に手を差し出すところから、普通はケンカが始まるでしょう。「おっさん、払えよ!」「うるせえなガキ、払うかよ!」みたいに。しかしそうじゃない。緊張感あふれるこのシーンにおける男の意外な行動と、さらに意外なアミルの表情が示すのは、金銭的争いとは別次元の喜びである。私たちは、そんな大切なことを11歳のストリートチルドレンから学んでしまうんだ。

アミルは走らずにはいられない。なぜか。速く走れるからだ。その才能は、夢を叶える手段に直結している。つまり、才能を生かして生きていけるという確信で、これほど幸せなことがあるだろうか。彼の発する奇声は、勝利の雄叫び。走ることが、自分の大好きな世界につながっていく予感。やるべきことは他人との争いではなく、自分との戦い。私たちには、こんなエネルギーがあるだろうか。

飛行機の写真を見るために、アミルは港の売店で外国の雑誌を買うが、売店の男に「ペルシャ語の雑誌のほうが安いし、字も読めるだろう」と言われてしまう。「ペルシャ語も読めない」とアミルは言いつつ、自分が教育を受けていない事実に直面する。その後、小学校へ直談判しに行くが、彼が学校へ通い、勉強するシーンは凄まじい。心の底から勉強したいという思いは、これほどの迫力なのかと、そのエネルギーにまたもや打ちのめされる。

アミルは読み書きをマスターし、町を出るチャンスをつかむだろう。いつも飛行機を見上げ、船を見て全身で喜びを表現しているこの少年は、一体どんな大人になるんだろう。と思っていたら、答えは目の前に! アミール・ナデリ監督は連日、映画館で観客を迎えていたのである。67歳になったアミル少年は、パンフレットにサインをし、力強く握手してくれた。

昨年1229日の日本経済新聞文化面に、監督はこう書いている。

「映画で描いてないのは私が毎日のように映画を見ていたということだ。5歳のころ、野外上映を壁に登って見ていた」

6歳から映画館でコーラを売り、チラシを配った。寒い夜は映写室で寝た」

「小学校を終えるとすぐテヘランに出た。映画監督になるためだ。制作会社でタバコなどを買ってくるおつかいから始めた。なぜ入れたかというと、足が速かったからだ」

その後ロンドンへ行き、イランと米国で成功をおさめるが、当時この映画を撮った理由は、1980年にイラン・イラク戦争が始まり、親を失ったストリートチルドレンが急増したため。戦火の中、命がけの撮影だったそうだが、映画の評判はよく、アミル少年は希望の象徴になり、当時イランで生まれた多くの子供がアミルと名付けられたという。
2013-01-04