『東ベルリンから来た女』クリスティアン・ペッツォルト(監督)

心をゆるす瞬間。



遠い世界から、ふいに答えはやってくる。それが映画の魅力だと思う。
原題は『バルバラ』。舞台は1980年の旧東ドイツ。

バルバラが窓から見下ろされる冒頭のシーンは、キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』の覗きを思わせる。彼女は医者として東ベルリンの大病院に勤務していたが、西ドイツへ移住申請したことで当局に目をつけられ、バルト海沿岸の静かな町へ左遷されてきた。私たちは、そんな彼女のメンタリティを強い視線と態度で知る。バルバラは覗かれる側の人間ではないのだ。

バルバラを演じるのはニーナ・ホス。黒木メイサのKATECMにはゴールドのアイシャドーを買わせる力があるが、バルバラの目ヂカラは私たちにどう作用するか。彼女がベルリンの壁を越えるのは難しいが、視線は容易に国境を越え、世界へ届く。

美しさは緊張感あふれる状況に宿るのだろう。個人の自由と尊厳がおびやかされ、仕事も恋愛もどうなるかという日常において、バルバラの視線はただならぬ強さを保ち続ける。遊んだりふざけたりしている場合ではない。

特殊な状況の中、彼女は何を優先し、何に心を開き、いつどんなタイミングで心をゆるすのか。ぎりぎりの状況と、絶え間なく訪れる決断の瞬間から一瞬も目が離せない。絵にかいたような人間関係のモデルがまずあって、セオリー通りにそこに近づこうとすることの貧しさと傲慢さが暴かれる。

特殊な状況でなくても、人と人は簡単にわかりあえないんじゃないかと思う。すぐには心を開けないし嘘だってつく。別れも告げずに消えてしまうかもしれない。それが基本なのだ。

アン・リーの映画『ライフ・オブ・パイ』の中の「愛とは手放すこと」という言葉は、この映画にもつながっている。決着のカタルシスなんてないという真実。日々のコミュニケーションの断片は、どれほど奇跡的でかけがえのないものだろう。

絶望することはない。すべての自由は心の中にある。愛も自由も尊厳も、心に秘めることで純度が増し、本当のことが見えてくる。簡単に考えてはいけないし、しゃべりすぎてはいけないのだと映画は教えてくれる。

笑わないだけで女は美しくなるのでは、と思うほどバルバラの演技は私たちを釘づけにする。笑顔や可愛さの対極には、これほど深遠な世界が広がっているのだ。アイシャドーでできることには限りがあり、表情は内面の問題。私たちは愛想としての笑顔を大切と思わされ過ぎているけれど、真の美しさを追求するなら、より深い世界の側を掘り下げるべきである。

誰とでもすぐ仲良くなるって、とてつもなくつまらないことなんじゃないか? それ以前に怖いこと。憂慮すべきは1980年の旧東ドイツじゃない。今のこっちだ。バルバラからは羨ましさしか感じない。こっちでは今のところ、KATEのゴールディッシュアイズをクールに決めてみるしかない。

2013-02-24