『About Love』 ティファニーのキャンペーン広告

早くもクリスマス・イブの到来?





10月のはじめ、夜8時ごろだったと思う。 渋谷スクランブル交差点の空気が、一瞬にして変わった。無意識の中でゆっくりと、何となくいい香りが漂ってくるように流れてきたのは、ビヨンセが独自のアレンジで歌う『ムーン・リバー』。大音量で、だけど、とても静かに始まったその曲のシンプルで美しいコードに、少しずつ、気づいた人々が周囲を見まわす。友だちと歩いていた女の子が「だれが歌ってるの?」と叫びながら大型ビジョンのひとつを見上げる。ガードレールに腰かけてスマホに夢中だった人が、ふいに顔を上げる。

About Loveと題したティファニーのキャンペーンだ。128.54カラットのファンシーイエローダイヤモンドが、これほど似合う人はいないであろう、ビヨンセのゴージャスさ。彼女を愛おしそうに見つめるのは、夫のジェイ・Z。

これは昨年末、モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンの傘下となったティファニーが仕掛ける新しいブランド戦略なのだ。2人を起用した理由について、ティファニーのプロダクト&コミュニケーション部門・エグゼクティブバイスプレジデントのアレクサンドル・アルノー(LVMH会長兼CEO ベルナール・アルノーの次男)はこう語る。

「ビヨンセは世界最高の歌手で、ジェイ・Zは世界最高のラッパー。そしてわれわれも世界最高のジュエリー会社。このキャンペーンは、何か1つでも欠けたら実現しないものだった」

そして、3人めのビッグな登場人物は、故バスキア。ピアノを弾くビヨンセの背後に、ティファニーが所有しているバスキアの絵『イコールズ・パイ(Equals Pi=円周率に等しい)』が飾ってある。何が描かれているかは大きな問題ではないし、何も描かれていないほうがよかったかもしれない。大事なのは、絵の面積の大半がティファニーブルーだってこと。でも、ほんとに、ティファニーブルーなのか? 本人に確認することは、もうできない。

『ミッドナイトスワン』 渋谷慶一郎 (作曲・演奏)

しずかな音と熱にアディクト。





デジタルとリアルの境界がなくなっている。いや、そんなはずはない。ひとつのイベントの中で、どちらかを選べるようになってきただけの話だ。来週のあの予定はどっちだっけ?と混乱することが、そろそろ増えてきた。

つまり世界は、デジタルとリアルに2分されたのではなく、2倍になった。つくり手側としては、忙しさが倍増したというわけだ。なんてこった!

東京都写真美術館で見たエキソニモの「UN-DEAD-LINK 2020」という作品は、スマホとグランドピアノで構成されていた。スマホ上の3Dシューティングゲーム内でキャラクターが死ぬと、自動演奏のグランドピアノが鳴る。この作品のおかげで、会場全体にグランドピアノの音が絶えず響きわたっていた。デジタルの死が、現実の死の音としてドラマチックに増幅されるのだ。

925日「渋谷慶一郎、初の無観客ピアノソロコンサート」を有料ライブ配信で視聴した。演奏場所はお茶の水のRittor Base。グランドピアノ(ベーゼンドルファー)の音は、何を増幅させたものだったんだろう? ほかにシンセサイザー(moog one)とエレクトリックピアノ(Waldorf Zarenbourg)という3台に囲まれたほの暗い空間に、演奏者がひとり。トークもないし、歌もないし、愛想笑いも、明るさもない。

映画『ミッドナイトスワン』の公開日だった。1週間でつくったという同映画のサウンドトラックのほか『告白』のサウンドトラック(バッハのピアノコンチェルト5番&ヘンデルのオンブラ・マイ・フ)なども演奏された。 

このしずかさは何? 世界から耳を塞ぎたいときも、聴いていたくなるような繊細さだ。

エンドクレジットには、たくさんの名前が並んだ。サウンド関係のほか、ライティング、カメラ、ヘアメイク……ライブで一度見たらもういいだろうと見る前は思っていたけれど、103日まで再生できるということで、別れを惜しむように何度も視聴してしまっている。

映画もサントラCDも大人気のようだ。とりわけCDジャケット写真の熱量はすごい。古いピアノの鍵盤に痛々しくつま先立ちする、赤いペティギュアの足。中国のファッションフォトグラファー「リン・チーペン a.k.a.No.223の過去作品だ。No.223というのは『恋する惑星』で金城武が演じていた警官223号のこと。どちらかといえば、このフォトグラファーの風貌は、警官663号(トニー・レオン)のほうに近いと思うのだけど。

 渋谷慶一郎のコメントにも、熱がこもっている。

「僕はコロナ禍に突入してから急増したオンラインによるライブ配信を一切やらなかった。特に承認欲求の延長のような中途半端な配信には一番興味が持てず、逆に今までやってきたピアノソロのコンサートのクオリティを維持、更新しつつ新しい試みが出来る機会を待っていた」

「マスタリングを終えた音源をいつものようにRittor Baseの國崎さんに送ると、即レスでこのアルバムのライブ配信をウチでやらないかという提案が戻ってきた。この誘いには乗ったほうがいいと直感的に思った。ここなら僕が今までピアノソロのコンサートでやってきた最高音質の追求と配信にカスタマイズされたバーチャルな音場、音響の生成のミックスが可能になる」

 「僕たちは無限に無数に離れているけど耳と目だけで繋がっている。グレン・グールドが見た夢の続きを見ることができるかもしれない」


2020-10-1

「Paintings」 ロバート・ボシシオ (@104 GALERIE)

見ることは、信じること。





ロバート・ボシシオ(Robert Bosisio)は、北イタリアのトローデナ出身で、イタリア、ルーマニア、ドイツを拠点に制作活動を続けている画家。新作の人物画を中心とした日本初の個展が、104GALERIE104GALERIE-Rで開かれた。作品も、展示されているギャラリーの空間も、めちゃくちゃかっこいい。

淡い記憶を呼びさます、水のようなスフマート。素材をていねいに重ねたのであろうこれらの作品は、シンプルな写真のようでもある。近いようで遠く、はかないのに強い。ここではなく、どこか別のところにあるんじゃないか?と思わせる、つかみどころのない、かけがえのない存在。どこから見ても、そのまま美しい。

ロバート・ボシシオは、映画監督のヴィム・ヴェンダースの妻であり写真家のドナータ・ヴェンダースと一緒に何度か展覧会をやっているようで、ヴィム・ヴェンダースも図録などに、彼の作品についての文章を寄せている。

「多くの絵は、その美しさを理解するために後ろに下がり、目を細めて見ることを要求する。そうして初めて、絵は真実をあらわすのだ。しかしRobert Bosisioの絵を見るとき、後ろに下がる必要はない。Robertは私たちのために、それをやってくれた。彼は、私たちが半分目をとじて見る世界を描いた」

Some paintings oblige you, the viewer, to step back and to squeeze your eyes,so that you can see their beauty shine. Only in this way do they reveal their truth. Facing the paintings of Robert Bosisio we don’t have to step back. Robert has done that for us. He has painted what we see through half-closed lids.
SEEING IS BELEVIENG,2010 by Wim Wenders



2018.03.23 (Fri) - 2018.05.20 (Sun)


75年ぶりに発見された夫婦

靴職人の黒い靴と、娘の白い服。





2017 713日木曜日。融解が進むスイス・アルプスの氷河の中から、75年前に行方不明になった夫婦の遺体が見つかった。靴職人のマルスラン・デュムランさん(当時40歳)と、教員の妻フランシーヌさん(当時37歳)だ。夫婦は第二次世界大戦中の1942815日の朝、シャンドラン村の家を出た。アルプス山脈に放牧されていた牛たちの乳しぼりのためで、夕方戻るはずだったが、そのまま行方がわからなくなった。氷河の割れ目に転落し、遭難したとみられる。2人が今生きていれば115歳と112歳ということになる。

夫婦が75年間、寄り添うように横たわっていたのは、スイスのレ・ディアブルレに近い標高2615メートルの山腹の氷河。現在はスキー場やホテルが建ち並ぶ場所で、発見したのはスキーのリフト会社の社員だった。遺体とともに、靴、バッグパック、身分証、本、写真、時計、空のボトルなどが、損なわれずにあった。私は現場の写真を見て、靴がとてもちゃんとしているなと思った。

夫婦には5人の男の子と2人の女の子がいたが、現在生きているのは長女(86歳)と末娘(79歳)のみ。当時4歳だった末娘のマルセリーヌさんは、今も遠くない場所に住んでおり「両親をずっと探し続けていた。いつかちゃんとお葬式をしてあげたいと思っていた。75年待ち続け、ようやく心の平安を得ることができた」と語った。氷河にも3回登ったという。「母は妊娠していることが多く、険しい土地でもあったため、父に同行するのは珍しかった」

11歳だった長女のモニークさんによると、両親が出かけた日の朝は天気がよく、父親は歌を口ずさんでいた。だが2人は帰らず、彼女はその日から、すべての家事をやらなければならなくなった。捜索は2か月半に及んだが手掛かりはなく、7人の子供はそれぞれ別々の家に引き取られ、年月と共に連絡が途絶えてしまったという。両親を突然失った子供達の人生は、楽ではなかったようだ。

2017722日土曜日。スイスの教会で行われた葬儀の様子も報道されていたが、たくさんの人々が参列し、マルセリーヌさんとモニークさんのほか、親族やひ孫2人の姿もあった。マルセリーヌさんは黒い喪服ではなく、白の装い。その理由を彼女は「白のほうがふさわしい。私が一度もなくさなかった希望を表しているから」と話した。

201586日には、スイス・アルプスのマッターホルンで、1970818日に遭難した日本人登山家2人が、45年ぶりに見つかっている。標高2800メートル地点の氷河だった。地球温暖化に伴う氷河の融解により、このようなケースが増えているそうだ。自然の驚異と年月の重みには言葉を失ってしまうけれど、遺された人にとっては、見つかって本当によかった、の一言だろうと思う。

2017-7-29

『ラ・ラ・ランド』 デイミアン・チャゼル(監督) 『幽体の囁き』 落合陽一

ラ・ラ・ランドとは、現実逃避の世界のこと。





ハリウッドを舞台に、過去へのオマージュを盛りこんだ恋愛ミュージカル映画。主人公はセブ(ライアン・ゴズリング)とミア(エマ・ストーン)。50年代風エッセンスの効いたファッションの数々に加え、セブは古いジャズを愛し、自国の古いオープンカーに乗っている。だけど、ハリウッド女優を目指しながらカフェで働くミアの愛車は、プリウスだ。奇しくもトヨタは今月、ハイブリッド車の世界販売台数が1000万台を超えたというニュースを発信したばかり。パーティで運命的に再会した二人は、帰り道、悪態をつきながらも、たくさんのプリウスからミアのプリウスを探す過程で接近していくのだから、まるでトヨタのCMみたい。

女優になりたいがオーディションに落ち続けるうちに自信を失っていくミアと、ジャズを自由に演奏できる店を持ちたいが資金稼ぎを続けるうちに信念を曲げていくセブ。好きな道をきわめたいというピュアな夢が、才能やお金の問題に阻まれる話だ。彼らは夢の途中にあり、ミアのダンスもセブのピアノも、完璧ではないからこそ心に響く。俳優たちが、映画のために時間をかけて何かを練習したという事実が、ストーリーに重なるからだ。夢を追うことについての家族からの現実的な苦言や、二人の痴話ゲンカのしょぼさも、プリウス登場の喜びとともに、日本人のやわな心を直撃する。

叶いそうにない夢も、強い思いがあれば叶うし、できそうにないことも、強い技術があればできる。それがハリウッド映画のセオリーだ。スマホ時代に突入し、私たちは、できそうもなかった多くのことができるようになった世界に生きている。だが、中には不可能なこともある。それは、過去に戻ることだ。これまでも、過去を書き換えるべく奔走するたくさんの映画がつくられてきたけれど、最近、そのジャンルは再び加速している。『君の名は。』や『君と100回目の恋』はもちろん、『ラ・ラ・ランド』にまで、タイムスリップの要素が入っているなんて。今、人間にとって、叶わぬロマンチックな夢といったら、もはや時間を巻き戻すことだけなのかもしれない。

過去に戻ることって、本当にできないのだろうか? 六本木ヒルズの東京シティビューで開催中のメディアアート展「Media Ambition Tokyo 2017」で、時間に関する展示をふたつ見つけた。ひとつは後藤映則氏の『toki- series_♯01』。人体の動きの変化を時間の流れとして立体化し、3Dプリンターで出力したオブジェだ。時間の端と端をつないで光を当て、動きを無限ループさせた美しい作品で、多くの人の目を引きつけていた。

もうひとつは、落合陽一氏の『幽体の囁き』。何もない空間に過去の気配を蘇らせる作品だ。超指向性スピーカーを使った空間音響技術で、カプセルに入るのでもなく、ヘッドホンを装着するのでもなく、開かれた空間の中で、身体が「気配」に包まれる。廃校となった中学校の校庭に展示された作品らしく、テーマが「教室の気配」だったから、まさにタイムスリップ。森タワー52階の夜景には、いかにも先鋭的なテクノロジーアートが似合うと思いきや、ふいにパーソナルでノスタルジックな気配に包まれる体験には、予想外のインパクトがあった。

自分が生きてきた感覚のすべてを、体内に埋め込んだ装置で記録できれば、いつでも過去の好きな時間の気配に戻れるようになるかもしれない。やり直したい瞬間に戻れば、時間の経過とともにふくらませてしまったネガティブな妄想を軌道修正できるかもしれない。もっと踏み込んで、自由に過去を編集しちゃってもいいのかもしれない。何より、好みの気配にいつも包まれている感覚は、香りや化粧品、ランジェリーの世界に近くていいなと思う。ヘッドホンもメガネも、重すぎるからつけたくない。こんな柔らかな現実逃避の世界(=la-la-land)が手に入る日は、いつになるだろう?

2017-2-28

『LIVE SUPERNOVA 野音DX』 J-WAVE TOKYO REAL-EYES (プロデュース)

千代田区日比谷公園1-5




201567日、J-WAVEの番組「TOKYO REAL-EYES」がプロデュースする102回目のライヴ・イベントがおこなわれた。会場は、198484日の反核コンサートで10代の尾崎豊が7mの照明台から飛び降りて骨折するなど、数々の伝説をもつロックの殿堂、日比谷野外音楽堂。

軽装備で足を運べるアクセスの良さがうれしい。お天気がよく、風が肌に心地よい。飛ぶように売れていくビールが喉に心地よい。藤田琢己のMCが耳に心地よい。梅雨入りの前日、官庁街の森で楽しむ野外フェスは、お台場の海で楽しむスタンドアップパドル・サーフィンのようなもの? それとも、大手町の摩天楼で楽しむアマンスパのようなもの? 

出演バンドは「LEGO BIG MORL」「WHITE ASH」「SHERBETS」「The Birthday」。

LEGO BIG MORLの新曲『Strike a Bell』は、体を直撃する重低音と、大気に溶けてゆくディレイの効いた高温のミックスが完璧すぎてやばい。これほどストレスのない環境でこれほど耳あたりのいい音を聴いていたら思考が停止してしまう。

WHITE ASHのボーカル&ギター、のび太は、野音初ライブであることをアピール。あまりにフレッシュなパフォーマンスは、イギリスのインディーズバンドみたいに見えた。瞬間、私はイングランドのグラストンベリー・フェスの会場にいた。

SHERBETSの『グレープジュース』の辺りから陽が落ち、いわゆるマジックアワーに突入。こんなにも不条理な世界に音楽が調和している奇跡。デストピアのダークファンタジーが炸裂し『Touch Your Shoulder(君の肩にふれて)』で即死。

夜はThe Birthdayがさらった。チバユウスケは、ミスしても空を指差し「さっき飛行機飛んでたよ。見てたら間違えちゃった」と余裕。「まだ、やってもいいんだってさ」とアンコールを2曲。『くそったれの世界』に『涙がこぼれそう』。

10年もライヴ・イベントをやっていると、こんなご褒美みたいな夜がある」
「ここから見える景色、絶景です。1人でも欠けていたらこの風景はなかった」

藤田琢己はそんなふうに言っていた。きれいごとみたいな言葉を、きれいごとではなく、観客に響かせてしまった。

2015-6-9

『テストトーン VOL.35』 さまざまなジャンルのアーティスト / 西麻布スーパーデラックス

先端は、無料です。


値上げの話題が多い中、心あるブランドは、無料の価値を知っている。

銀座メゾンエルメス10階のル・ステュディオでは、毎週土曜日に映画が上映され、予約さえすれば無料で見ることができる。現在の上映作品はロッセリーニの「インディア」(1959)で、イタリア語ではなくフランス語バージョンというのが残念だけど、お洒落して行く価値のあるプライベートシアターだ。

シャネルの「モバイルアート展」は、香港、東京が終わり、今後はNY、ロンドン、モスクワ、パリへとパビリオン(byザハ ハディド)が移動するが、シャネルバッグをテーマに20組のアーティスト(ブルー ノージズ、ダニエル ビュレン、デヴィット レヴィンソール、ファブリス イベール、レアンドロ エルリッヒ、イ ブル、ロリス チェッキーニ、マイケル リン、荒木経惟、ピエール&ジル、ソフィ カル、田尾創樹、スティーブン ショア、スボード グプタ、シルヴィ フルーリ、束芋、ヴィム デルヴォワイエ、楊 福東、オノ ヨーコ、Y.Z.カミ)が構築したインスタレーションツアーもまた無料。各自がヘッドフォンとMP3プレーヤーを装着し、ナレーションの指示と音楽に身を任せながら回遊するサウンドウォーク(byステファン クラスニャンスキ)は快適だけど、日本語のナレーションはやや鬱陶しかった。ただし、フランス語か英語を選べばジャンヌ・モローの声だったんだって! 彼女が終始耳もとでナビしてくれるのであれば、シャネルのバッグ1個くらい買ってもいい。

7月8日、西麻布のスーパーデラックスで「test tone vol.35―Festival of Alternate Tunings」というイベントが開かれた。これもまた無料。エルメスやシャネルのような予約も不要。ノーチケットで気まぐれに行けるライブっていい。飲み物は好きなだけ買えるわけだし。さまざまなアーティストが演奏する中、私はすごいバンドを見てしまった。いや、バンドじゃなくて、一夜限りのコラボレーション。

●山本達久 ・・・ノイズドラム
●L?K?O ・・・ターンテーブル
●大谷能生 ・・・サックス
●Cal Lyall ・・・ギター
●onnacodomo ・・・VJ

漢字と英語と記号とローマ字が混在する字面からして、全然バンドじゃないし、まとまってない。さて、この中で外国人は誰でしょう? 女性は誰でしょう? 電気系の楽器はいくつ? ドラムだけ「ノイズ」をつけてしまったけど、ほかのパートにも形容詞をつけたほうがいいかもしれない。音楽の最前線は、言葉が定まってなくて刺激的だ。

セッションは即興的だが緻密であり、調和していないが引きこもってもいなかった。楽器としてのパワーを感じるターンテーブルには新しい時代を確信したし、ドラムの爆発ぶりにもぶっとんだ。繊細にして大胆不敵なサックスは、アナログという言葉の語源が「自由」であることを思い出させた。と、思わずでたらめを書いてしまいたくなるほどだが、これらの音に一層ミスマッチなギターが加わり、奇跡的ともいえるキャッチーなノリの中に荒涼としたダイナミズムが生まれていたのである。いろんな素材が料理され、3面の壁いっぱいに映し出されるビジュアルパフォーマンスにもダイレクトなライブ感があり、風景が映るわけでもないのにロードムービーみたいだわと感動しているうちに演奏は終わってしまった。このセッションにはタイトルがなく、二度と聴くこともできない。書いておかないと忘れちゃうじゃん。

旅とロートレアモンの詩とサックスと物理学が荒削りにミックスされたジム・ジャームッシュの処女作「パーマネントバケーション」(1980)が最初に上映されたときも、こんな感じだったのだろうか? 
2008-07-13

『ジグマー・ポルケ展 ― 不思議の国のアリス』 上野の森美術館 /

みずみずしい毒。


ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファーらとともに現代ドイツを代表する画家、ジグマー・ポルケ。日本での個展は今回が初めてだ。「日本におけるドイツ年」ということでようやく実現したわけだが、お金を出したのは日本側。ドイツのいかなる公的機関の助成も受けていないという。「ゲルハルト・リヒター展」(川村記念美術館11/3~)は、デュッセルドルフの州がバックアップしているというのに!

だから、今回のポルケ展は「すべてをカバーできていません。ドイツ人たちがまったく協力的でなかった点は強調しておいてください。オープニングなどになればどうせ彼らはやって来て、自分の手柄のように振る舞うでしょう」(美術手帖11月号インタビューより)ということなのだ。

「不思議の国のアリス」は1971年の作品タイトルで、既成のプリント生地を悪趣味に組み合わせ(2種類の水玉+サッカーのイラストプリント!)、その上にアリスと芋虫と毒キノコ、そしてアリスとは何の関係もないバレーボール選手が落書きのように描かれている。たちの悪い冗談のようだが、いつまでも見ていたい絵だ。なぜ、この作品がポルケ展のサブタイトルに?と考える間もなく、私は既に、自分がアリスの視点でポルケ展を見ていたことに気付く。

ポルケの絵は大きい。これは想定外のことだった。本の中でしか見たことのなかった絵たちが目の前に立ちはだかった瞬間、私は毒キノコを口にしたのである。

大きさも色も、本の中の印象とはまるで違い、別の作品集を見ると、またもや違う。とりわけ紫の顔料を使った3部作「否定的価値」(1982)と、血を思わせる天然の朱砂(水銀と硫黄の化合物)を使った4部作「朱砂」(2005)については、印刷物と実物はまったくの別物!としかいいようがない。2つの作品群は驚くほどフレッシュで、ところどころが濡れたように光っている。会場の温度が上がると、どろどろに溶け出すのかも…。そう、これらは、毒をもりこむように化学変化を想定した色。魔術的な意味を画材にこめるポルケが、錬金術師とよばれる所以である。

21世紀における絵画の意義と役割について、ポルケは控え目に語る。
「絵画があるということはいいことだ、と言っておきましょう。(中略)社会は絵画を必要としていません。社会が求めているのは映像であり、それは今日では機械的に、写真の技術で、フィルムその他によって創り出すことができます。絵画にもう何も啓蒙的なものはありません」

だが、こんなセリフを真に受けてはいけない。真実はいつだって作品の中にあり、実物をみれば一目瞭然なのだから。図録にも収まらず、公的機関のサポート枠にも収まらないポルケは、これからも世の中をあざむき続けるだろう。


*上野の森美術館で開催中(10/30まで)
*国立国際美術館で巡回展(2006年4/18~6/11)
2005-10-28

『BALI deep展』 阿部和重ほか / 代官山ヒルサイドフォーラム

男の子にとってのバリ。


2005年上期のヒット商品番付が発表された。
東の横綱は「富裕層向けサービス」。西の横綱は「生鮮100円コンビニ」。勝ち組と負け組みに二分されたといわれる時代を立証するかのような結果だ。

西の大関には「ロハス」(LOHAS=Lifestyles Of Health And Sustainability)。「価格や効率ではなく、環境に配慮しつつ、自分の価値観でモノやサービスを選ぶスタイル」というような意味なのだろうが、いま、この言葉が注目される理由は、定義のゆるさに加え、勝ち負けなんてカンケーないじゃんと思っている人の多さと無関係ではないだろう。

気がつけば私も、ロハスなお仕事に囲まれている。アロマ、オーガニック、スローライフ、ヨガ、リラクゼーション・・・そんなキーワードだらけの日々。自らを振り返ってみると、日ごろ真摯な思いで書いているはずの美容法や健康法など、まるで遵守していない生活に笑ってしまうのだが、そういうテキトーなスタイルも、たぶん、ものすごくロハスなのだと思う。ロハスは曖昧。ロハスは寛大。ロハスはエゴ。ストレスフリーで好きなように生きている人は、みんなロハス!

私はときどき、心配になる。こんなにたくさんの情報があって、みんな、大丈夫なんだろうか。押し潰されたりしないだろうか。こういうふうに生きなくちゃ、この美容法をやらなくちゃという脅迫観念にとらわれたりする人はいないだろうか? だけど、ほとんどの女の子は、惑わされたりなんかしていない。ひとつに決めたりもしていない。その都度、好きなものを好きなだけ楽しんでいる。

危ないのは、実は、男の子だ。ナイーブな男の子は、自分の世界を乱されると病気になったり、アイデンティティの危機に陥ったりしてしまうから、惑わされないふりをするしかない。

というわけで、「バリ」が必要なのは、男の子だと思う。女の子はたぶん何だっていいのだが、男の子はバリを愛したら、バリがいいと思い続けるだろう。ひとつの定食屋を見つけたら通い続けるように。あれこれちょっとずつ違うものを食べたいとは思わないように。

「BALI deep展」は、東京で最も美しい場所のひとつで開かれている。まさに、パスポートの要らないバリ。映像と音楽と写真と阿部和重の文章が楽しめて、いい匂いがして、広々としていて、涼しくて、きもちいい。会場の外には、ロハス系セレブから届いた花輪が大量に並んでいて驚くが、旧山手通りを歩き、この展覧会をみて、ヒルサイドカフェでお茶を飲むというのは、悪くない夏のすごし方といえる。しかし! スローなはずのこの企画、なんと、たった6日間だけで終わってしまうのだ。その後はバリに会場を移し、1か月間近く開かれるようだけど。

すぐに終わってしまう「BALI deep展」は女の子のためのものだが、男の子のためには「終わらない箱」がもうすぐ発売される。牢獄の扉を思わせる重厚な箱の中に、BALI deep展がすべてつまって、約3万円。ナイーブな男の子感をもりあげるのは、もちろん阿部和重の文章だ。

「バリの時間を操作し、旅行者たちを安らかな夢へと導いてくれるのは、宿の屋根裏に棲む、一匹の巨大なヤモリである。この、『BaliDeep』という一つの入口もまた、ベッドの天蓋を這い歩く、巨大ヤモリのごとくさりげなく、快い睡夢の深みへとあなたを忽ち引きずり込むだろう」


*6.26まで代官山ヒルサイドフォーラムで開催中
*7.4~7.31 BALI Puri Lukisan Museum in UBUD
2005-06-24

『PALOOKAVILLE RELEASE PARTY』 ファットボーイ・スリム他 /

2004年9月25日の音楽的衝撃。


ライブっていうのはもはや楽器を演奏する時代じゃないんだと悟ったきっかけは、最近恵比寿に移りタワーカフェなどもできておしゃれに変身したリキッドルームが新宿で全盛期だった時に見たケミカル・ブラザーズだったろうか。デジタルロックという言葉が流行っていてビッグビーツなんて言葉はまだ主流でなかったような気がする1997年頃のことだ。
7時半ぴったりに開演してアンコールの曲順まで決まっている一方通行の大箱ライブではなく、ターンテーブルという楽器をあやつるアーティストと共に深夜になってようやく盛り上がるクラブ形式のエンターテインメント。

それから7年たった一昨日、音楽的衝撃は、新たな次元へと突入した。目黒通りのCLASKAでおこなわれたファットボーイ・スリムのアルバムリリースパーティを私は忘れないだろう。何が衝撃だったかって、ファットボーイ・スリムは何もしなかったのである。要はプレイしないで帰っちゃっただけなのだが、ポップ・ミュージックはここまで柔軟で双方向で決まぐれでアバウトで何でもありで世の中をナメてかかったものに進化したのである。

主役以外のDJとVJはフロアを十分に盛り上げた。クルーエルの井上薫、瀧見憲司に加え、FANTASTIC PLASTIC MACHINEの田中知之が上げるだけ上げて、10時半頃いよいよファットボーイ・スリムが登場!!...フロアは突然モッシュ状態に。しかし、ノーマン・クックは回さずに帰ってしまったのだ。あっけにとられてしまう。呆然とはこのこと。「ノーマン最低コール」はあったものの、暴動には至らず。

この日は、ageHaやyellowで既におこなわれた東京公演とこれから行われるはずの大阪公演の合間の余興の日。招待状にもゲスト:FAT BOY SLIMと書いてあるだけだ。しかもCLASKAは居心地がいい。くつろぎスペースがいっぱいあってクローズドのパーティやイベントにふさわしいクラブラウンジだ。ふだんはいわゆるデザイナーズホテルだからセキュリティもしっかりしていて安っぽくない。十分楽しんだ。汗もかいた。そもそも、お金を払って「ライブ」を見にきたのではなく、入場チェックだけはやたらと厳しい代わりに自由度の高い「パーティ」に来たのだから仕方ない。ノーマンが帰っちゃうのも「自由」なのだ。だがしかし…。

もしかしたらノーマンが深夜に戻ってくる可能性はゼロではないのではないだろうかなどという根拠のない前向きな思いを抱きつつ1階のソファで死んでいると、11時から急遽アフラが出演するというアナウンスが。富士ゼロックスのCFでもおなじみの「ヒューマンビートボックス」アフラである。楽器を使わずに1人で自在な音を発する彼ならターンテーブルもいらないのであるからして、これこそ究極のDJ。何でもありの音楽の行き着くところは、ここなのか?

回さずに帰るノーマン VS 回す必要すらないアフラ。これはもうアフラの勝ちでしょう。というのは単なる負け惜しみに過ぎず。私はノーマンを見に来たのであって、アフラは見ないで帰ったよ。何て律儀なんだ。
2004-09-27

『CLUB TROPICALNA 2003』 ハイラ & チャランガ・アバネーラ / GRIOT RECORDS

キューバ音楽最高峰のコラボレーションライブ!!(←CDジャケットコピーby村上龍)


村上龍のあまりの絶賛ぶりに、毎年ハウステンボスへ行っちゃおうかなあと思いつつ叶わなかった噂のライブを、渋谷のDuo Music Exchangeで見ることができた。リュウ ムラカミ&ブルガリ&ヴォーグニッポンのコラボレーション企画である。

初めて食べるキューバ料理は、さつまいもの天ぷらみたいな青バナナのフライや、お赤飯みたいな豆のライスなど、和食と見まがうばかりの親近感。デザートの甘いクリームを舐めながらフレッシュミントの葉がたっぷり入ったラムのカクテル、モヒートなど飲んでいると、もう踊るしかないって気分になってくる。現地の料理でお腹いっぱいにさせてからノセるというのは、正しすぎる演出だ。

村上龍のナイーブにしてチャーミングな挨拶に続きステージに登場したラテンのビッグバンド、チャランガ・アバネーラは、ヴォーカル4人、ホーンセクション4人、パーカッション3人、ピアノ、ベース…総勢15名はいただろうか。まさに南国リゾートならどこにでもありそうな「**ナイト」っていうノリでスタートしたものの、そのテクニックは素晴らしく、振りはゆるく、パフォーマンスは官能的。全員がこれ以上ないってくらい楽しそうに演奏している。

ダイナマイトバディの歌姫ハイラは、ヒールの高い白のアンクルブーツで登場。全身「光る白」のコーディネートは、キューバの作家アレナスがハバナを回想しつつ眺めたニューヨークの雪を思わせて目にしみた。というのはこじつけ過ぎだけど、実にキュート!

というわけで大盛り上がりの帰り際、このCDをサイン入り生写真付きで手に入れた。ハウステンボスでのライブバージョンである。1か月待ちでようやく届いたばかりのブルーのiPOD miniで聴いてみたくなったのだ。

イコライザーを「ラテン」に設定してもいまひとつだったのに、「ダンス」にしてみると、これが決まった。低音が強調され、音の抜けも格段にいい。マンボのステップが体の内側から湧き出てくる。というのは言い過ぎだけど、iPOD miniに入れる最初の1枚として、最もふさわしかったラテン・ライブ・アルバム。
2004-08-30

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク 2004 TOKYO』 梅窓院 祖師堂ホール /

南青山で、透明人間になる。


耳の聴こえない夫婦の家を訪問し、インタビューしたことがある。
いちばん鮮烈だったのは彼らの赤ん坊で、母親に抱かれながらも、何か要求があるたびに彼女の体をバシバシたたき、強引に自分のほうを向かせる。夜中もそうやって母親を起こすのだという。泣く前に、たたく。それが、泣き声の通用しない世界における、彼のサバイバル法なのだ。

真っ暗な空間を歩き、視覚以外の感覚でさまざまな体験をする展覧会「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が南青山で開催中と知り、思い出したのはそのことだった。見えない世界で、自分は何を頼りに生きていくのだろう? それを知るチャンスだと思った。世界70都市で開催され、既に100万人以上が体験しているらしい。

スニーカーを貸し出され、光るものや音の出るものはすべてロッカーへ。白杖(はくじょう)とアテンドスタッフだけを頼りに、見知らぬ7人と共に会場に入る。

完璧な暗闇だった。最初はこわくて一歩も動けないが、アテンドスタッフがリラックスさせてくれる。水の音や鳥のさえずりが聞こえる森林浴のような演出に救われた。蒸し暑かったり息苦しかったりしたらパニックになるところだ。

アテンドスタッフは視覚障害者。赤外線メガネをかけているわけでもないのに、彼だけが8人の位置を把握しているみたいだ。ダンゴ状態でそろそろと移動する8人をナビゲートしつつ、自分は普通の速度で動きまわり、ディズニーランドのスタッフみたいなトークで楽しませながらガイドしてくれる。すごいなと思った。

揺れるつり橋を渡る。わらを踏みしめる。木がある。街がある。スタジアムがある。改札をくぐる。駅がある。駅の喧騒は怖い。ホームから落ちる人がいる。2人乗りのブランコに乗る。ぬいぐるみにさわる。オレンジの匂いをかぐ。階段を下りる。バーがある。サービススタッフがいる。椅子に案内される。テーブルを囲む。ワインを注文する。グラスについでもらう。「アルコールの匂いだ」と声がする。乾杯する。ひと口飲んでみる。「赤?白?」と隣の人に聞かれる。「赤」と答える。サービススタッフに「正解です」と言われほっとする。

なんでもない手すりや椅子、テーブルの心地よさは驚きであった。人が触れることを想定したプロダクツには、やさしさがあるのだと知った。闇の中では、人とぶつかるのも、それほど嫌ではない。誰ともぶつからないよりは、はるかにましなのだ。

見えない世界で、私はふだんより饒舌になっていた。黙っていると置いていかれるかもしれないし、誰も助けてくれないかもしれない。足を踏まれるかもしれないし、踏んでしまうかもしれない。絶えずしゃべっていることが身を守ることにつながるのだ。そう、私は「見えない人」になったのではなく、誰からも見られることのない「透明人間」になったのだった。だから、しゃべることにした。それが私のサバイバル法だった。だが、他の人は違うかもしれない。全然しゃべらない人もいた。バーでテーブルを囲んでいても、静かな人はそこにいるかどうかもわからず、私は、テーブルの形や座席の配置を最後まで把握できなかった。

会場全体がどんなレイアウトだったのかもわからない。私には、どうしても地図が描けないのだ。だが、描けるという人もいた。会場を明るくしてもう一度歩いてみたいなとその時は思ったが、そんな種明かしはしないほうがいいのかもしれない。何も見えなかったのに、まるで映画のような記憶として思い返すことができる。そのことが単純に面白い。


*完全予約制・9月4日まで開催中
2004-08-26

『コピーの時代-デュシャンからウォーホル、モリムラへ』 滋賀県立近代美術館 /

ホンモノより、アタラシイモノが見たい。


桜の季節には京都国立近代美術館のカフェへ。
燕子花の季節には根津美術館の庭園へ。
紅葉の季節には足立美術館の茶室へ。
だが、この夏はなんといっても滋賀県立近代美術館である。

というのは屁理屈だが、人はなぜ美術展へ行くのだろう? 本物を見るため? だとしたら、東京から琵琶湖までわざわざコピーアートを見に行くのは馬鹿げている?

マルセル・デュシャンから始まって、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、森村泰昌まで、22名と1グループによる137点の作品を6つのゾーンに分け、引用と複製の歴史を振り返り、シミュレーショニズムの最前線に迫る企画展だ。

紙幣をコピーした赤瀬川源平、コンビニのサインボードから文字を消した中村政人、名画の登場人物を1人だけ消したり、ありそうでどこにもない風景を写真のように細密に描く小川信治、登場人物の視点から名画を描き直したり、著作権侵害にならないようにディズニーアニメをコピーした福田美蘭、オリジナルのない映画の登場人物になりきるシンディ・シャーマン…。

福田美蘭の最新作(2004)は、この美術館の所蔵作品(人間国宝による着物と壷)のパロディー。着物をまとった想像の自画像と、壷を収納しておくための木箱や詰めものを描いた作品が「本物」と並べて展示されているのだから面白すぎ。今回、メインの作品と対比するための「本物」のいくつかは、所蔵美術館からのレンタル期限切れで撤去されていたのだが、この美術館の所蔵品ならノープロブレムだ。

デュシャンの作品は、便器を倒して署名しただけの「泉」(1917)をはじめとするレディメイドシリーズや、モナリザの顔にひげを書いただけの「L.H.O.O.Q.」(1919)などたくさんあったが、「オリジナル」ではなく1964年にミラノで複製されたもの。これも、オリジナルと並べて展示したら面白いかも。

1917年、デュシャン自身が委員をやっていたニューヨークのアンデパンダン展で「泉」が出品拒否されたのは有名な話だが、「デュシャンは語る」(ちくま学芸文庫)によると、どうやら無視されたってことらしい。便器は会場の仕切りの外に置かれており、「展覧会の後で、仕切りの後に『泉』を見つけました。それで取戻せたわけです!」なんて本人は語っている。「私はいっぺんで受けいれられるようなものは、何もつくれなかった」とも。

本当に面白いものは、展示会場ではなく、仕切りの後ろにこそあるのだ。それが、美術展に足を運ぶ理由でもある。回顧展を観るだけでなく、オリジナルが生まれる瞬間に立ち会えたらいい。

*9月5日まで開催中
2004-08-12

『ニール・ヤング武道館公演』 /

ニール・ヤングvsエリック・クラプトン


1945年生まれの2人のギタリストが、来日した。ニール・ヤングとエリック・クラプトンである。

ニール・ヤングについては、多くを知らない。だいたい、クラプトンの100分の1くらいしか情報が入ってこないし。2年おきに来日しているクラプトンに対し、ニール・ヤングの単独来日公演は14年ぶり。クラプトンの18公演(11/15~12/13)に対し、ニール・ヤングは4公演(11/10~15)なのであった。

先週、日経新聞の「準・私の履歴書」とでもいうべき「人間発見」というコーナーに、クラプトンのインタビューが連載されていた。彼は去年再婚し、娘が2人生まれたことで「人生で音楽より重要なもの」を手に入れてしまったという。「いま困難な状況に陥っても、昔のようにギターに助けを求める必要はありません。妻や子供たちのもとに帰ればいいんですから」とクラプトンは言うのだった。

一方、ニール・ヤングはいまだに走り続けている。「デッドマン」(1995・ジョニー・デップ主演)の音楽を担当した時には、映像を見ながら即興で2時間ギターを弾き「どこをどうやって使ってもいいから」と監督のジム・ジャームッシュに渡したという。これがもう最高のロードムービー感をかもし出しており、これを超える映画音楽が一体どこにあるだろうか?と痺れたものだった。

そんなニール・ヤングが来日したのである。私は2日目の武道館公演を見に行ったが、まずはその客層に驚いた。こんなに年齢層の高いライブは初めてだし、日本人も外国人も、ふだん街で見かけないようなタイプばかりなのだ。格好なんて気にしないぞって人も多かった。つまりニール・ヤングのような人たちが中心。ライブの見方も真剣でコワイのである。ニール・ヤングもすごいが、客席はもっとすごく、2階席の1番前という素敵な席でずっと座って見ていた私もへとへと。隣にいたカナダ人のおっさんが「お前にわかるんかい?」という感じで時々こちらを見るのもプレッシャーであった。

後半のギタープレイはあまりにもしつこくて、1曲1曲がなかなか終わらなかった。ラストの「ライク・ア・ハリケーン」に至っては、最初の音が出てから曲がちゃんとスタートするまで、10分以上かかっただろうか。長い長い演奏が終わりに近付き、そろそろ終わるかなと思ってから完全に終わるまで、さらに10分引っ張った。

前半は「グリーン・デイル」という架空の町を舞台にしたミュージカル風の構成で、同タイトルのニューアルバムを順番通りに演奏した。内容は、土地と家族をめぐる究極の旅。フォークナーのような中上健次のような浅井健一のような浜田省吾のような世界が、チープにして壮大なステージで繰り広げられるのである。最後はキャスト総出演で踊り、星条旗を振るが、ニール・ヤングはカナディアンだし、911テロ後のチャリティ番組で放送自粛の「イマジン」を歌った人でもある。もう、ぜんぜん誰にも媚びていない。男の子というものは、自分が何のために生まれ、どこへ行き、何を捨て、どうやって死ぬのかを考えるために旅に出たりするものだが、ニール・ヤングはまだ、旅の途中である。

日本語の字幕なんて、もちろんない。彼は延々と英語で語り、延々とギターを弾く。ニール様が発した日本語といえば冒頭の「どうもありがとう」のみ。しかも、ものすごく下手だった。

あとで聞いたところによると、武道館の初日、ニール様は「ライク・ア・ハリケーン」を演奏しなかったという。ブーイングの結果、2日目には仕方なくやることにしたんだろうか。すごすぎだ。孤高のロッカーは生涯現役。ちっとも成熟していなかった。
2003-11-24

『第50回 ヴェネチア・ビエンナーレ(la Biennale di Venezia)』 /

モテる日本。モテない日本。


ある種の美術展はストレスの宝庫だ。並ばなきゃダメ。静かにしなきゃダメ。さわっちゃダメ。写真はダメ。はみ出ちゃダメ。逆行しちゃダメ。その点、2年に1度開かれる最も歴史の古い国際現代美術展「ヴェネチア・ビエンナーレ」は楽園だった。

メイン会場の「ジャルディーニ」には、各国のパビリオンが別荘のように点在している。最も古い建物はベルギー館で1907年、シックな日本館は1956年に完成した。ゆっくり散歩しながらハード(建物)とソフト(作品)のセットで「お国柄」を体験できるのが楽しい。

ポップな目立ち方をしていたのがオーストラリア館(byパトリシア・ピッチニーニ)のグロテスクな肉の塊やリアルな人形たち。フォトジェニックな不気味さに、思わず写真を撮りまくってしまう。

イスラエル館(by マイケル・ロヴナー)も大人気で、CGを使わずに群集の動きだけでパワフルな映像作品を見せていた。壁面やシャーレにうようよする膨大な数の細菌はすべて人間なのだ。ひとつのテーマへのアプローチのしつこさに圧倒された。

ドイツ館(マーティン・キッペンベルガー他)の主役は通風孔のインスタレーション。地下鉄が7分おきに轟音をたてて下を通り、ふわーっと風が巻き起こる。笑えた。

スペイン館(byサンチャゴ・シエラ)の内部は廃墟。裏へまわるとドアが開いているが係員に「スパニッシュ オンリー!」とシャットアウトされてしまう。凝った演出だ。

そして、本当に閉ざされていたのがベネズエラ館。作品が検閲に引っかかり「棄権」となったらしい。

ただし「ジャルディーニ」にパビリオンを持つ国は29のみ。その他の約30の参加国は、市内各所の建物を借りた展示だから、迷路のようなヴェネチアの街を歩き回らなければならない。今回「金獅子賞」をとったのは、非常にわかりにくい場所にあるルクセンブルグ館(by スー=メイ・ツェ)だった。壁一面に防音スポンジが敷き詰められた部屋、運河に面して椅子とテーブルと赤い編み糸が配された部屋、砂時計が回転している部屋、砂漠の砂を延々と掃き続ける男たちの映像の部屋、緑あふれる大自然の崖っぷちでこだまと対話するように優雅にチェロを弾く女性の映像の部屋。どの部屋にもおやじギャグに似た不毛な空気が漂い、意味の追求とは正反対の引力が心地よい。タイトルは「air condition」。歩き疲れたあとに、こういう脱力系の展示はありがたかった。

日本館(by曽根裕・小谷元彦)は地味だった。アジアでパビリオンを持っているのは日本と韓国だけなのに、どちらも観客が少なくて寂しい。予算も少ないみたいだ。別会場では国という枠を取り払ったいくつもの企画展がおこなわれており、ルイ・ヴィトンや六本木ヒルズとのコラボレーションで夢を実現できたという村上隆が圧倒的に目立っていたし、総合ディレクターの目にとまり白羽の矢が立った土屋信子という無名の日本人アーティストが出品したりもしていたのだけど。

キュレーションの鍵を握るのはプロデュース力であり、日本館の作家はかわいそうだったと村上隆は言う。
「お金のことって、アート界ではことさら批判の対象になるけれど、その流れをいちど全面肯定することでぼくは、構造そのものの鎌首にナイフを突きつけたいんです。(中略)アートとは欲望なんです、約めていえば。所有欲とか権力欲とか、エグゼクティヴになりたいとか、もてたいとか、尊敬されたいとか、わかってほしいとか。日本のアーティスト自体に強烈な欲望がないっていうのが問題ですね」(美術手帖2003/9より)

*ヴェネチアで開催中(6/15~11/2まで)
2003-10-19

『ローリング・ストーンズ JAPAN TOUR 2003』 THE ROLLING STONES /

真横から目撃した奇跡。


ストーンズの日本公演に関する記事をいくつか読んだけれど、ふーんという感じだった。だが、3月13日の日経新聞夕刊に掲載されていた渋谷陽一のライブレポートは違った。それまで私が読んだ記事には「何も書かれていなかったんだ」と気がついた。

10日の武道館ライブについてのそのレポートを14日夜に読み、いてもたってもいられなくなった私は、15日夜、翌日の東京ドーム公演のチケットを買った。ストーンズのライブに行くのは二度めだし、ロン・ウッドとチャーリー・ワッツはソロで来日したときも見に行ったが、いずれも10年くらい前のことだ。

渋谷陽一はこう書いていた。
「一九九〇年の初来日の時、複数のキーボードで厚く装飾された音に守られて演奏するストーンズに本来のロックらしいグルーヴ(ノリ)は感じられなかった。あのストーンズでさえ、こうして衰弱していくのか、と悲しかったことを覚えている。それから彼らは今回を含め四回来日しているのだが、年々サウンドはシェイプアップされ、グルーヴを増してきた。平均年齢が六十歳になろうとするバンドが年々成長し、グルーヴが若々しくなっていくのだ。あり得ないことだし、ほとんど奇跡といっていい」

私は、ステージの真横に設置された「最後のS席」から「あり得ない奇跡」を目の当たりにした。

1曲目の「ブラウン・シュガー」からアンコールの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」まで、セットも音も構成もタイトだった。ミック・ジャガーのスレンダーなボディ、腕を前に突き出す独特のポーズ、張りのあるヴォーカル、エネルギッシュな動き、「みんな、どお?」といった日本語に、私は釘付けになった。スプリングコート風のロングジャケットやブライトカラーのシャツやノースリーブのインを自然に脱いだり着たりした。最後はピンクのシャツだ。こんなにシンプルでセンスのいい服を、女の子のようにさらっと着こなし「まねしたい」と思わせてしまう59歳の男が一体どこに?写真や映像で見るよりも、そして10年前よりも、彼は明らかにチャーミングだった。

チャーリー・ワッツのパワーも相当なものだったし、ロン・ウッドは相変わらず少年のように飄々と楽しんでいた。キース・リチャーズのソロは声もかすれており、ギターも最初と要所だけ弾くといった感じだったが、エモーションの伝わり方はただごとではなかった。彼が最前列のファンに近づき、ひざまずいて声援にこたえる姿を見ているだけで、どきどきしてしまう。

正面のスクリーンもまともに見えない位置だったから、生身の彼らを見るしかないし、音だってスピーカーの後ろから聴いているようなものだ。おかげで、ステージの前後の広がりやメンバーたちの「無意識」をバックステージから眺めるような面白さがあった。

私はその夜、1968年にゴダールが撮った「ワン・プラス・ワン(sympathy for the devil )」のビデオを見直してみた。「悪魔を憐れむ歌」ができあがっていくレコーディングのプロセスと、当時の政治状況を彷彿とさせる革命劇を1+1として編集した奇跡的な映画だ。当時の服、クルマ、スタジオのインテリア…すべてが鮮やかな色調で、今見ると「おしゃれでかっこいい映画」としか思えない。

そこには、20代のミックとキースとチャーリーが映っていた。スタジオ風景のほとんどが1シーン1カットで撮られているためか、彼らはカメラを意識しているようには見えず、ごく自然に音合わせをしている。「今日の彼らとほとんど同じじゃん!」と私は思った。

*JAPAN TOUR 2003/3月21日まで
2003-03-18