『VOGUE写真展』 ヴォーグ ニッポン / 日経コンデナスト

企画力は、不況をふきとばす。


かつてブルータスを「広告のとれる雑誌」に生まれ変わらせたカリスマ編集長、斉藤和弘。彼は昨年、VOGUEの日本版「VOGUE NIPPON」を発行する日経コンデナストの社長に抜擢され、編集長を兼任している。 

VOGUEは1892年アメリカで創刊され、「VOGUE NIPPON」は1999年、世界で12番目のVOGUEとして日本で創刊された。だが当初は「いつ休刊になるか」と囁かれ続け、活気が出てきたのは斉藤氏が編集長になってから。今では欧米のプレステージブランドの広告が似合う「唯一のコンサバでないモード雑誌」になった。

プレステージブランドは、広告の媒体を選ぶとき、ブランドイメージにそぐわない雑誌を排除する。記事を書きたいといっても撮影商品を貸し出さないし、取材にも応じない。もちろんプレス発表会に招待するはずもない。だから、多くの雑誌では、仕方なく読者や編集部員の私物を撮影する。イメージの上に立脚するブランドは、イメージが壊れたらおしまいなのだから、媒体選びにこそ細心の注意を払わねばならないのだ。

だからといって、ブランドを無条件に礼讃し「広告」と「広告のような記事」しか載せない「コンサバなプレステージ雑誌」なんて、つまらない! その点「VOGUE NIPPON」は、雑誌自体をブランド化することに成功したと思う。つまり、ブランドの広報担当者が積極的に新製品を売り込み、タイアップを申し込みたくなるような斬新な視点をもつ雑誌づくりを、ユニークな企画力で実現した。

今回の写真展は、そのことを証明している。展示の内容は、US VOGUEやUK VOGUEに掲載された1930年代から最近の写真まで50点ほど。銀座に店を構える7ブランド(バーバリー、ブルガリ、カルティエ、ハリー・ウィンストン、エルメス、ルイ・ヴィトン、ティファニー)の伝説的な写真である。1つの雑誌が7社を束ね、銀座という街と提携し、こんな写真展をさらっと企画しちゃうなんて面白いし、すごいことだ。

展示会場となったシャネル銀座ビルは、シャネルの日本法人がダイエーから64億円で買い上げたといわれるビルだ。赤い布でおおわれた特設会場には軽快なラウンジ系ミュージックが流れ、ホルスト、バート・スターン、アーサー・エルゴート、エレン・フォン・アンワース、セシル・ビートン、シュタイケンなどの写真が年代もブランドもばらばらに並んでいる。まず写真を見て、ワインのブラインドテイスティングみたいに、年代とブランドとカメラマンを想像したりするのも楽しい。とりわけアーヴィング・ペンの古い写真の新しさといったら!

階段を昇るとシャンパーニュまたはソフトドリンクのサービスを受けることができる。ソファでくつろぎ、あるいは階下の展示を見下ろしながら喉をうるおせるのだ。シャンパーニュの銘柄は、モエ・ヘネシー・ルイヴィトングループのモエ・エ・シャンドンで、今月号の誌面にちゃんとタイアップ記事がある。

これは、マスコミ向けの発表会や内輪の展示会ではない。誰でも無料で入れる写真展である。最近、ワインをサービスしてくれるブランド店も多いようだが、この会場では何も売っていない。完全な読者サービスなのだ。

「美術展はキュレーターがアーティストとコラボレートする時代」(by中原祐介)になってきたと聞くけれど、キュレーターとしてのVOGUE NIPPONの手腕は鮮やかで、今後のコラボレーションからも目が離せない。

*シャネル銀座ビル(銀座中央通り・松屋向かい)にて10月27日まで開催
*VOGUE NIPPON 11月号に 15点掲載
2002-10-27

『ヴォヤージュ』 ダムタイプ / NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)

高層ビルからガード下へ。


エレクトロニック・ミュージックの最先鋭と評され、ダムタイプの音響ディレクターでもある池田亮司の新作「db」を体験した。

無響室における3分間の音楽体感である。番号札をもらい順番を待つ間、広々とした会場で他の展示や過去のパフォーマンスのビデオ上映を自由に見ることができるし、階下のロビーでお茶を飲んでいても現在の番号がモニターに表示されるから安心。大病院で診察を待っているような気分だ。

時間がくると、待合室のような場所で心臓が弱い人に対する注意事項などを読まされ、荷物を預け、スリッパに履き替え、緊急時に係員を呼ぶための非常ボタンを腕に巻き、個室に入る。中央の椅子にすわり、扉が閉められると何も見えなくなり、やがて「音楽」が始まる。

ちりちりと燃えるようなホワイトノイズ、聴覚検査のような信号音、高まる動悸のようなビートとボディソニック。目が慣れる気配すらない完全な闇の中で、コンピュータ処理された「テクノミニマル・ミュージック」(by浅田彰)とアナログな「自分の体内」だけが対峙する。

まじで恐いってば! それなのに、これは私たちの「生活音」そのものなのだと感じた。自分の周囲にあふれる音と自分の中に流れるリズムの研ぎ澄まされた先端。現実逃避のための音ではなく、現実と向き合うための音。ヒーリングミュージックに対する見事なアンチテーゼである。
3分後、真っ暗な無響室から真っ白な光のギャラリーへ。ここまでがワンセットなのだ。まさに拷問!

そんな緊張をチルアウトしてくれるのが、ダムタイプの新作インスタレーション「ヴォヤージュ」である。無響室ほどではないが、エントランスは真っ暗。だだっ広いスペースに足を踏み入れると、赤いレーザービームがウエストを包囲する。人が皆、赤いベルトをまとったように見えるしくみだ。こうして観客も作品の一部となる。

床に置かれた歩道のような装置に映像が流れ、その上を自由に歩くことができる。小さな円形の航空ナビゲーションが2つ、細胞分裂のようにゆっくりと離れたりくっついたりする間に、建物、人、砂、道路、枯れ葉などがきらきらと歩行のスピードで流れてゆく。映画や旅を思わせる美しさで、離れがたい。

だが、これも現実なのだ。「ヴォヤージュ」についてダムタイプの高谷史郎は言う。
「 "新しい海"が目の前に開けているというのではなく、今までと変わりない海が、その見る者の受け取り方次第で、新しく見えてくるのではと考えています」
自分が立っている場所というのは重要だ。旅はいつも、自分の足元にあるのだろう。

会場を出ても「db」や「ヴォヤージュ」は終わらない。東京オペラシティタワーのエスカレーターやエレベーターは、インスタレーションの続きにしか思えないのだ。

ビジネスとかケアとかコミュニケーションとか、そういう無機質な言葉が似合う建物だ。回転ドアを押して外へ出て初めて、私たちは高層ビル的な現実から逃れ、地面に足をつけ、自分のヴォヤージュを始めることができる。

私の気持ちは、ガード下的な現実へ向かう。明け方までにぎわう裏渋谷のカフェやクラブでは、トランス&チルアウトが、音楽や飲食や会話を通じてごく自然におこなわれているのだから。 1年前は、渋谷川に沿ってカッティングエッジなエリアが生まれるなんて思いもしなかったけれど、高層ビル的な現実に疲れたら、逃げ場はガート下にしかないのかも!

*ICCにて10月27日まで開催中
2002-10-24

『その夜、ぼくは奇跡を祈った』 文:田口ランディ 絵:網中いづる / 大和出版

クリスマスの正しい過ごし方。(その2)


クリスマスプレゼントにふさわしい小さな絵本。
収録されている3つの短編は、どれもイブの日の物語であると同時に「仕事」が重要なモチーフとなっている。

1 「クリスマスの仕事」・・・・・ 恋人のいない男が主人公。イブは相棒と仕事。
2 「一番星」・・・・・・・・・・ 恋人のいない女が主人公。イブは会社で仕事。
3 「恋人はサンタクロース」・・・ 恋人のいる男が主人公。イブは会社で仕事。

1と3の主人公は、いずれもクリスマスに関係の深い「営業」のお仕事で、かなりいい感じの内容だ。周囲の人たちもあたたかいしね。そんな中で、2の女性の仕事だけが、クリスマスに関係のない内勤の仕事で、先輩社員からは「イブだってのに、これみよがしに働かれると、かえって迷惑なのよね」なんて言われちゃう。しかも体調は最悪。彼女の人生に面白いことなんて何ひとつないように見える。

この本の帯には「きっと、人はみんなひとつにつながっているんだ」というコピーがあり、どの短編も見事にそういう結末になっているのだが、私だったら「きっと、仕事って大切なんだ」というコピーにするだろうな。(そんなんじゃあ、クリスマスに売れないってば・・・)

完成度の高さという点では1と3が文句なく素晴らしいが、そんなわけで、私は2の彼女が気になって気になって気になって、この短編がいちばん心に残ってしまった。具合が悪くて会社を早退した彼女の目の前には、追い討ちをかけるように幸せそうなカップルが現れるのだ。しかし、この短編ですら、ちゃんとハッピーエンドに仕立てあげられているのだから参った。キスする2人を前にした彼女はこんな感じ。

「たぶん今夜は、私の人生で最悪のクリスマスイブになることだろう。
それでもわたしは、不思議なことに、心穏やかだった」

えー、ほんとに心穏やかになれたのー!? かなり無理してない? 私だったら、ぐれちゃう。

イブの当日に、クリスマスっぽい営業系の仕事ができる人は幸せかもしれない。たとえ恋人がいなくても、幸せを与える側のサンタにはなれるのだから。彼女の場合は、ラストでようやく叫ぶことのできたひとことで、サンタになることができたのだろうと納得した。


私の仕事は、コピーライターという一種のサービス業で、今年もクリスマス向けのコピーをいろいろ書いた。そういうものが今、ちょうど街に出ているわけだが、自分の手掛けたポスターの前でカップルがキスしてたりしたら、さぞかし心穏やかに・・・・・なれねーよな、やっぱし。


*絵の著者からメッセージをいただきました。Thank you!
2002-10-12

『ブルガリ全面広告』 村上龍 / 10/9朝日新聞・日本経済新聞

好きになる瞬間の変化。


今朝の新聞で、小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞の記事とともに目立っていたのは、ブルガリの全15段カラー広告だった。ピアノの鍵盤に配された時計やリングの写真とともに、白抜きの文字で村上龍の文章が掲載されていた。J-waveでは、ジャクソン・ブラウンの「lawyers in love(愛の使者)」がかかっていた。今日はジャクソン・ブラウンとジョン・レノンの誕生日なのだそう。


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もう二十年以上前のことになる。『コインロッカー・ベイビーズ』という小説を書いていた頃だ。わたしにとって初めての書き下ろしで、また初めての本格的な長編小説だった。執筆には十一ヵ月かかった。(中略)

執筆に疲れると近所の公園で犬とサッカーをした。犬は雌のシェパードで、名前をローライといった。(中略)

むずかしいシーンを未明に書き終えて、妙に頭が冴えてしまい、眠れそうになかったので、まだ薄暗かったがローライを連れて夜明け前の公園に行った。(中略)いつものように一対一のサッカーの勝負を続けているうちに、空が明るくなっていき、やがて光の束が低く公園の地面を照らした。そして、朝日に照らされた地面を見た瞬間、わたしは息を呑んでその場に立ちつくした。(中略)

昨日までは枯れていて色を失っていた公園の一面の草が、朝日を受けて緑色に輝いていたのだ。地表を覆う草はまるでシルクのカーペットのような鮮やかな緑色に変わり、朝露に濡れていた。(中略)変化というものはゆっくりと進行するが、あるとき急激に目に見えるものとして顕在化するのだ、そう思った。

長い間支配的なシステムだった年功制のせいだろうか、わたしたちの社会には、レベルやグレードというものはゆっくりとしかアップしないという常識があるような気がする。だが外国語を学んだ人だったら誰でも同じような経験があると思うのだが、相手の言うことが急に理解できるようになったり、ふいにからだの内側から言葉が溢れてくるように話せるようになったりする瞬間がある。それは初めて自転車に乗れるようになったときの感覚に似ている。わたしたちはゆっくりと自転車に乗れるようになるわけではなく、あるとき突然、「自転車に乗る」感覚をつかんでしまうのだ。

わたしたちは何かをマニアックに好きになるとき、ゆっくりと少しずつ好きになったりしない。ふいに強い感情に襲われ、わけのわからないものに魅入られた感じになり、そしてあとになってからそれを好きになったのだと気づく。(中略)バッハやモーツァルトの作品を聞くとき、それが「作られた」ものではなく、最初からこの宇宙のどこかに存在していたのではないかと思ってしまうことがある。

小説も音楽も、そして精緻な宝石も本当は完成までに気の遠くなるような時間がかかっている。だが、それを受け取る人は瞬間的にその世界に引き込まれる。美しいものは、急激に顕在化し、一瞬でわたしたちを魅了する。
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何かを好きになるとはこういう感覚なのだと、久しぶりに思い出したような気がした。こんな大切なことを、私は忘れていたのだろうか? 実際、たいして心を揺さぶられないものを、好きだと思い込もうとしたことが確かにあった。そんな時、自分の中のどこかが濁るような気がした。

だから私は、この文章に「救われた」と思った。

美しいものが急激に顕在化する瞬間を、私はいつも待っている。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年ほど前のことだが、強い感情に襲われた記憶は色あせない。

美しいものは世の中に残り、強い感情は人の中に残るのだと信じたい。
2002-10-09

『きみとあるけば』 伊集院 静(文)堂本 剛(絵) / 朝日新聞社

伊集院静氏がモテる理由。


アンアン10月2日号の「愛されるひと、愛されないひと」特集の巻頭にhitomiと優香が登場していた。

彼氏に振られ慌ててしまい、軽い気持ちでこの世界に入ったという優香は「私には競争心というか、人の上にたちたいという気持ちがあまりない」と言い、子供の頃に両親が離婚したことから愛情あふれる人に憧れるというhitomiは「『IS IT YOU?』という曲の歌詞で"君だと信じた瞬間に強い風が吹き乱れた"というフレーズがあるんですが、そういう歌詞を作るとき、自分の中で大きな愛を意識します」と言う。

彼女たちが「愛されるひと」であるとするならば、その理由は、他人を受け入れ、信じることの大切さを知っているからではないかと思う。他人を信じるとは、自分の価値観を信じること。未知の存在を受け入れることで、人は初めて自力で自分を肯定できる。そんな自立した価値観こそが、多くの人に愛されるのではないだろうか。

「少年の心を忘れない2人による異色のコラボレーション」という帯のついた本書は、最後の無頼派とよばれる作家の伊集院静氏が少年時代を綴り、タレントの堂本剛クンがイラストを描いており、愛される男の代表として2人が選ばれたかのようにも思われる。2人の共通点はダックスフントを飼っているということで、彼らが犬の話を通じて語っていることもまた、他人を受け入れ、信じることの大切さなのだった。

大家族の中で、少し変わった子どもというレッテルを貼られて育った伊集院静氏が、最初に相手を信頼し、相手も無条件に友だちと認めてくれたのは、一匹の雑種の仔犬だったそう。「私のファースト・フレンドはベストパートナーでもあった。私はしあわせな時間を持てたと今も思っている」と彼は言う。「最後の無頼派」の原点は、こんなハッピーな少年時代だったのだ。

小学2年生の時、伊集院静氏が初めて自分の絵を誉められたときの話も印象的だ。
先生「うん、これはいいぞ。とてもいい絵だ」
F君「うわっ、面白い。とてもいいよ」
このときのF君の声と表情を、彼は今も覚えているといい「あの時、私はF君に、ありがとう、と言っただろうか」「素直に人が賢明にやったことを誉める人間に自分はなっているだろうか」と自問するのである。

幼い頃に、このような形で信頼しあえる犬や友達に恵まれた人間は、大人になってからひねくれるはずがない、と私は思う。まっすぐに他人を信じ、自分を信じることのできる人間は、弱い者をいじめたり蹴落としたりすることがないだろう。こういう男は、他人との比較の中で生きるということがないから、オンリーワンになれる。つまり、確実にモテるのである。

本書に収められている伊集院静氏の文章は、堂本剛クンに向けて書かれたという。彼は剛クンの写真を初めて見たときにこう思う。「変な話だけど、もし地震なんかが起きて、私が柱の下に埋まったとして、『すみません、助けてください』と頼んだら、きっと助けてくれそうな感じがしたんだよね(笑)。男の子同士だからわかる感覚で、これはすごく大事なんです」

モテる男は、年齢・性別を問わずに他人を信頼し、甘え、スペシャルな関係を結んでしまう。伊集院静氏は、落ち着いた年長者の口ぶりでありながら、実は、30歳も年下のアイドルに甘えているのだ。さすが、かつて夏目雅子と桃井かおりを三角関係で争わせた男だけのことはあるではないか。本書の中で、現在の妻、篠ひろ子が彼に対して使う敬語には「うっそー」と驚いてしまうが、現実には、彼のほうがどろどろに甘えているにちがいない。
2002-09-27

『北のサラムたち』 石丸次郎 / インフォバーン

彼らはどこまで世界を知り、どこまでタブーを破るのか?


サラムとは生身の人々のこと。北朝鮮で使われる無機質な「人民」という呼称の対極にある。
著者は、93年より中国と北朝鮮の国境地帯と日本を行き来し、400人近い北朝鮮難民を取材。支援者から拒否反応が出るほど評判の悪い彼らの言動(嘘つき、せっかち、視野狭窄、媚びへつらい、その場しのぎ、自己中心的、被害者意識過剰、男性は怠け者…など)についても「何が彼らをそうさせたのか」を理解しようとする。

食糧難と圧制に耐えかねて国境の川を命がけで渡り、中国朝鮮族の民家へと駆け込む北朝鮮難民は後をたたず、非法越境分子として人身売買に近い形で中国の農村に嫁ぐ女も多い。しかし、とりあえずの飢えはしのげても、中国語を話せない北朝鮮難民の働き口は限られ、中国当局に見つかれば逮捕・強制送還。彼らを受け入れた民家の負担は大きく、同情も長続きしない。

したがって、中国に脱出した難民たちは3つの選択肢を迫られる。
1北朝鮮へ戻る。(処罰は逃れられない)
2農村で自力で暮らしていく。(逮捕・送還の危険性あり)
3中国からモンゴルなどの第三国に密出国する。(失敗すれば送還され、日本や韓国に行ける保証もない)
この中で注目されるのが3つ目の選択肢。2002年4月から7月にかけて、外国公館(アメリカ、カナダ、ドイツ、韓国、日本総領事館)に駆け込んだ北朝鮮難民は40人を超えたという。

1950年代末から朝鮮総連が繰り広げた「祖国に帰ろう」という帰国運動にのせられ、差別と偏見に満ちた日本を捨て北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人二世は言う。「朝鮮に帰国したことは、悔やんでも悔やみきれません。日本のことばかり考えて暮らしてきました」。
「北朝鮮は地上の楽園」という宣伝文句と現実とのギャップは大きく、帰国者たちは資本主義社会から来た異端分子として北朝鮮で新たな差別を受けることになったという。やりくりに行き詰まった彼ら4人家族は、日本の肉親からの最後の援助金(30万円)のほか支援団体と著者の協力を得て、中国からロシア、韓国と奇跡的な脱出に成功。ただし、長女だけは北朝鮮に強制送還されてしまい、行方はわからない。

そんな国の風穴を予感させるのが、著者がしばらく同居生活をしたという2人の難民青年、ドンミョン(仮名)とチョル(仮名)の生き方だ。

ドンミョン「両親は死んだし、妻子は食べ物探しに出ていって行方不明だし、もう北朝鮮には帰る家もない。どうしたらいい、ヒョンニム(兄貴)?」
著者「勉強好きなんだから、これまで北朝鮮で体験してきたことを文章にまとめてみたらどうだ?飢餓の実情を世界に知らせるためにも値打ちがある仕事だぜ。原稿料も稼げるし」

著者の持ち込んだ新聞や本を夢中で読みふけるドンミョンは、やがて300枚の体験記を綴る。その文章は文芸春秋(98年4月号)や韓国のメディアで注目され、彼は北朝鮮で数年間暮らせるほどのギャラを手にした。

チョルのほうは、NGOグループの支援と著者の技術指導により、北朝鮮の子どもたちの秘密撮影を決行。そのインタビュー映像は欧米のメディアにも取り上げられ、優秀な活躍をした報道TVカメラマンに与えられるヨーロッパの「ローリー・ペック賞2001」フィーチャー部門を受賞した。今も中国と北朝鮮を行き来しながら、なんらかの活動に従事しているというチョルの言葉はリアルだ。

「俺は、別に韓国に逃げたいとも思わない。かといって中国で匿れていてもやることもない。男として生まれたんだから、なにかデカいことをやりたいよ。金正日に抗って生きていくのも、値打ちあるよな」
2002-09-20

『JLG/自画像』 ジャン=リュック・ゴダール(監督) /

規格外の孤独をもとめて。


「JLG/自画像」(1994)の前に、12分の短編「フレディ・ビュアシュヘの手紙」(1981)が上映された。
この短編のみずみずしい余韻に浸ってしまい「JLG/自画像」はどうでもよくなってしまった。ゴダールの映画は短いほどいい、と思う。

スイスのローザンヌ市500年を記念して、市の発注でつくられた短編だそう。映画づくりに関するメタ映画であり、ローザンヌという街のスケッチであり、この街をよく知るゴダールの心象風景でもある。ゴダールの原点はドキュメンタリーなのだ、と確信した。

道路での撮影を警察にとがめられ「緊急事態なんだ」と強行しようとするシーンがある。「この光は2度とないんだから」というわけだ。確かに映画監督にとって、光との出会い以上の「緊急事態」はないかもしれず、私も自分の中で、そんな「緊急事態」を設定しておきたいなと改めて思った。最優先事項と言い替えてももいい。世の中は、緊急でないことに急ぎすぎているのではないだろうか。

「水はロマンだが、街はフィクションだ」という言葉が出てくる。つまり、自然は曲線でできているのに、街は直線でできているという意味。「青と緑を取り違えてもいい」というような誰かの言葉も引用されるが、本当にそう!自然の色は、ディックの色チップでは指定できない。スクリーンに映し出される水面は、生きているかのようだ。

直線が優先される世の中を思う。ロマンよりフィクションが優先される本末転倒な社会。つくられたもの、不自然なもの、がちがちの規格。私たちは、そんな街に抱かれて生きていかなければいけない。自分の今立っている地点から、すべては始まるのだというこの短編のメッセージはとても本質的で、励まされた。

「JLG/自画像」は、本人が登場するせいか、メッセージが直接的で愚痴っぽい。だけど、風景や室内の撮り方は洗練されている。セリフに関しては「おやじ」だが、風景に関しては「おじさま」なのだ。

途中、大きな影がスクリーンの中央に現れた。上映前に「傷などは作品にもともと収録されているものなのでご了承ください」というアナウンスがあったのだが、日本語の字幕がほとんど消えてしまうこの影は、明らかに事後トラブルである。誰かが文句を言いに行き、映画は中断。途中から再上映された。もしも影が小さくて字幕に影響しない程度であれば、私は「別にいいや」と思っただろう。でも、シネマコンプレックスで上映されるハリウッド映画だったら、我慢できなかったはず。

映画の形式をこわし、わがままにつくられた作品が何らかのアクシデントでこわされた場合、「本人がこわしたか、後でこわされたか」の判断は難しい。規格外の作品は、自由であるがゆえに議論されにくいのだ。エンタテインメント作品が「ひどいSFXだ」とか「犯人がわかっちゃうからつまらない」などと具体的に厳しく攻撃されがちなのに対し、規格外の作品は、つまらなくても「嫌い」「見苦しい」「勝手にやれば」などとしか言われようがない。

「誰もが規則を語る。タバコ、コンピュータ、Tシャツ、TV、観光、戦争を語る。(中略)みな規則を語り、例外を語らない」
(「JLG/自画像」より)

自分が生きているうちに、自分の作品についてもっと多くの人に語ってほしいというのが、ゴダールの最大の希望なのではないかと思う。

*渋谷・ユーロスペース、大阪・扇町ミュージアムスクエアで上映中。
2002-09-18