「早稲田文学増刊『女性号』」責任編集 川上未映子

「未映子さん、ありがとう。」





故人や海外作家を含む82名の女性が参加した556ページ。小説だけじゃない。エッセイあり、論考あり、対談あり、アート作品あり。詩、短歌、俳句の多さも特筆すべきだ。

いまどき、ありえない大きさと分厚さがいい。電車の中で読むにはふさわしくないけれど、そばに置いて、少しずつぱらぱら読んでみたくなるオブジェのような魅力を備えている。

なぜ女性ばかりを集めた?という意味も含めて面白い。「フェミニズム」という言葉に魅力を感じる人も、嫌悪感を覚える人も、「女性」という言葉に抵抗がなければOK。これはエポックメーキングな素晴らしい本だ。

1126日、刊行記念シンポジウムが早稲田大学戸山キャンパスで行われた。
●穂村弘+川上未映子「詩と幻視~ワンダーは捏造可能か」
●桐野夏生+松浦理英子(司会:市川真人)「孤独感/疎外感 と 書くこと」
●市川真人+紅野謙介+河野真太郎+斎藤環「女性とその文学について男性として向き合うことの困難と必然」
●上野千鶴子+柴田英里(司会:川上未映子)「フェミニズムと『表現の自由』をめぐって」

呼ばれた理由の違いからくるのであろう言説の違いが色濃く見えて興味深かった。
●穂村弘さんによる「女性号」収録短歌の解説は感動レベルだった。
●桐野夏生さんと松浦理英子さんの多作ディストピアVS寡作ユートピア対談は「女性号」に収録されるべきものだったかもしれない。
●男性4人の対談には違和感があり、「男性号」を編んでもつまらないであろうことを想像させた。「女性号」を語るのに男性のみというのはどうなのか?川上未映子さんが入るべきだったのでは? しかし、紅野謙介さんは空気を読むのが上手な方のようで、「女性号」の誕生を祝福する場であるという役割を理解し、全うされていた。モテるおじさまというのは、こういう人のことだ。
●1984年生まれの柴田英里さんが、1948年生まれの上野千鶴子さんに食ってかかっていたのには本当に驚いた。アーティストならではの大胆不敵な勇気といえよう。上野さんは、それを完璧に受け止め、観客が求めている回答を短時間に美しく落ち着いた声ですべて言い切るという離れ業をしなやかに完遂。毒舌からの教示と励まし、そして、川上未映子さんへのラストの祝辞は、関係者を泣かせたほどだ。

というわけで、川上未映子さんをリスペクトするとともに、紅野謙介さんと上野千鶴子さんのマナーとふるまいに感激したシンポジウムだった。川上未映子さんに同行していた夫の阿部和重さんのふるまいも素敵で、特別な一日になった。

2017-11-26

『ナラタージュ』 行定勲 (監督)
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』 大根仁 (監督)

ふりまわされた恋愛の記憶。





『ナラタージュ』と『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』。
対照的な映画だと思う。

『ナラタージュ』の原作は島本理生の長編小説で、『奥田民生〜』の原作は渋谷直角の長編漫画。前者は過去に置き忘れたものを集めたような物語で、後者は今の気分を凝縮したような物語。前者は笑えないが、後者は笑える。前者は重く、後者は軽い。前者はコミュニケーションに時間がかかりすぎるのが難点で、後者はあまりに簡単に何度もキスしすぎるのが難点だ。

『ナラタージュ』のヒロインを演じたのは有村架純で、『奥田民生〜』のヒロインを演じたのは水原希子。前者は壊れるくらい相手を好きになってしまう垢抜けない真面目ガールで、後者は出会う男をすべて狂わせてしまうコンサバビッチなおしゃれガール。前者は「コワイくらい男にふりまわされる女」で、後者は「コワイくらい男をふりまわす女」だ。

しかし、映画の本当の主人公は、ふりまわされる側である。『ナラタージュ』の主人公は、男(松本潤)にふりまわされる女(有村架純)だが、『奥田民生〜』の主人公は、女(水原希子)にふりまわされる男(妻夫木聡)のほうなのだ。ふりまわす側には、まるで中身がなく、罪の意識も痛みもないようにみえる。

そのことを補うかのように、二つの映画には、主人公を別の意味でふりまわすけれど実体のある「痛い名脇役」が存在する。
有村架純の脇には、坂口健太郎が。
妻夫木聡の脇には、安藤サクラが。
このふたりの意外性に満ちた存在感と熱量が、二つの映画に生命を吹き込んだ。

主人公は、やがて、ふりまわされた過去を懐かしく思い出す。どちらの主人公も、不幸になったりしない。強靱である。仕事の夢だってちゃんと叶っているし。この二つの映画は、恋愛にふりまわされる一時期の苦悩を描いているが、それを傷とはせず、幸せな記憶にするための方法がきっちり描かれていて、とても勉強になるのである。

2017-10-7