『頭文字<イニシャル>D THE MOVIE』 アンドリュー・ラウ&アラン・マック(監督)・しげの秀一(原作) /

観客全員が喜んでいた!


昨年10月、ユニマット不動産が160億円を投じて渋谷に開業し、今年3月、早くも東急リアルエステートが245億円で買い取った話題の不動産ファンドビル「ピカソ347」には、ファッション、インテリア、カフェ、レストラン、フィットネス&スパといったテナントが高い賃料で入居しているわけだが、先週の土曜あたりからターゲット外のように見える男子が集まるようになったのは、7・8階のシネコン「アミューズCQN」で「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」の上映が始まったせいである。

連載開始から10年。31巻までの発行部数が3900万部を突破した伝説のマンガを実写化するという信じがたい快挙を成し遂げたのは、香港映画だった。

原作ファンの監督は「日本人にとって、原作は国宝のような存在。現に、映画化権を取得するだけで、かなりの時間を要した」という。「頭文字<イニシャル>D」という現在進行形の国宝を自在に構成し、イメージをこわさずにコンパクトにまとめてみせた手腕には、香港映画の底力を見せつけられた感じ。原作者も手放しで絶賛しており、アジア各国では既に大ヒットを記録している。

撮影は日本でおこなわれ、カースタントは高橋レーシングが担当。だが、ガードレールにクルマを激突&クラッシュさせるような危ないシーンは、日本映画では撮れなかったかもしれない。青少年がマネしたらトヨタの責任になっちゃうもんな。

脚本もカメラも音楽も編集もバツグンのセンスだけど、とりわけキャスティングは素晴らしく、アジアの俳優たちが、みごとに登場人物になりきっている。私は字幕版をみたが、何の違和感もない。微妙な文化的ズレは、非常にマンガチックであって、それはつまり、マンガの映画化にふさわしすぎるズレなのであった。

父親がチューニングしたハチロクで、家業である豆腐を運ぶうちに信じ難いドラテクを身につけてしまうぼーっとした高校生、拓海を演じるのはジェイ・チョウ。台湾の芸能人長者番付1位という彼が、映画の中では、ガソリンスタンドでバイトする「近所の男の子」にしか見えない。

そんな拓海が経験する等身大の恋愛は、せつなすぎ。恋愛映画や恋愛小説といわれるもののほとんどは退屈であり、走り屋映画における長期的視野の中でこそ、恋愛は真の輝きを放つのである! と言い切ってしまいたいくらい、この映画における恋愛の描き方は魅力的だ。人生において、恋愛というのはたぶん、このくらいの分量が理想的なのだと思う。

大好きな彼女が、ベンツに乗ったオヤジとつきあっていると知ったとき、高校男子としてはどうすべきか? ここでつまずくと、男は人生を最後まで間違えることになるが、おそらく拓海が選んだ道は圧倒的に正しくて、したがって、頭文字<イニシャル>Dはまだまだずーっと続いていくはずなのである。


今シーズンのF1は、佐藤琢磨が思うように実力を発揮してくれないため、何となくウツウツしていた私だが、この映画を見てすっきりした。琢磨様(28)もアロンソ様(24)もライコネン様(25)もシューマッハ様(36)も、十代のころは皆、拓海だったのだ! そう思うだけで、残り3戦、ブラジルGPも日本GPも中国GPも、まっさらな気持ちで応援できる。
琢磨様にも、ぜひ見てほしい映画だ。
2005-09-22

『セッソ・マット(sesso matto)』 ディーノ・リージ(監督) /

1973年のレオンとニキータ。


つっこみどころの多い扇情的な特集タイトルで話題のペア雑誌といえば、「ちょい不良(ワル)」でおなじみの「レオン」と「艶女(アデージョ)」でおなじみの「ニキータ」。
10月号の見出しは、こんな感じだ。

●スーツからジャケパンまで選びのキモはちょいタイト 「モテピタ」オヤジの作り方 (レオン)
●小僧のツルツル顔よりも、オヤジの「渋顔」がい~んです! イタリアオヤジの「味出し美容」 (レオン)
●大いなる日本人女性の勘違い!! 「上品」こそが「SEXY」の極み (ニキータ)
●マンネリメイクじゃ老け込むばかり! 30オンナの艶(アデ)化粧四変化 (ニキータ)

シアターイメージフォーラムで上映中の「セッソ・マット(=色情狂)」にぴったりのキャッチフレーズ! この映画、雑誌のように9の短編が楽しめる、お洒落でエッチなイタリアン・コメディなのだ。70年代のファッション、インテリア、クルマとともにモンドミュージックのシャワーを浴びることができる。

正しい不良(ワル)を目指すなら、中途半端なジーンズの下げばきはもうやめて、股上の深いピタGやド派手スーツを着こなすイタリアン伊達男、ジャンカルロ・ジャンニーニこそを見習うべきだし、真のSEXYを目指すなら、スーツ、ドレス、白衣、水着、ランジェリーなどをまとったり脱いだりしつつ大胆な9変化を見せるイタリアのセックスシンボル、ラウラ・アントネッリこそを目に焼きつけるべきだろう。

ふたりが演じる9つの関係は、楽しすぎる。召使いとセレブなマダム、子だくさんの貧しい夫婦(ネオレアリズモ風)、老女マニアの夫と若妻、客と娼婦、シチリアの種馬とデンマークの看護婦、死者と未亡人…。

逃げられた妻への思いを描いた「帰っておいで!僕のLittle Girl」などは泣けてしまう。妻(ブサイク風)に執着するマニアックな男が、娼婦を家に上げ、妻のようにコスプレさせる話だ。「妻のほうが美人だけどね」と言われた娼婦役のラウラ・アントネッリが、日本語のような発音で「え~」と言いながら浮かべる困った表情にノックアウト。心が通うはずのないふたりの間に何かが生まれる、というようなウソっぽいドラマに仕立てないところがディーノ・リージのセンスのよさで、部屋の中には何ともいえないリアルで愛すべき空気が流れ始めるのだ。

世の中、捨てたもんじゃないと思う。ブサイクは愛しいのであり、不幸は幸福なのであり、キライはスキなのであり、体は心なのだ。

さらにいえば、ディーノ・リージはヴィスコンティである。
ディーノ・リージがこの映画を撮った2年後、ヴィスコンティは同じ2人の俳優を起用して、遺作「イノセント」を撮ることになるのだから。

「色情狂」は「純粋無垢」に結実したのである。


*1973年 イタリア映画
2005-09-01