2002年から2013年まで、毎年、数日間の撮影を積み重ね、トータル45日の撮影期間で完成した映画。終了時、主役を演じたエラー・コルトレーンは18才になっていた。
エラー・コルトレーンの父をイーサン・ホーク、母をパトリシア・アークエット、姉をローレライ・リンクレイター(監督の娘)が演じており、それぞれの経年変化から目が離せない。普通の映画によくある「事実をよそおった滑らかな変化」ではなく「事実であるがゆえのグロテスクな変化」だからだ。
人は日々、成長したり老化したりするが、見た目の印象を決定づけるのは自然な経年変化ではなく、むしろ人為的なスタイルの変化なのだとこの映画は教えてくれた。髪の色や長さ、ピアス、体の動き、表情などのファッション的要素が、いかに雄弁であるか。これらに注目する限り、12年という歳月は思いのほか濃密で、子供にも大人にもいろんな浮き沈みがあるのだなと胸を打たれる。
演じている役柄やストーリーはだんだんどうでもよくなる。登場人物の見た目だけが重要になってくるのだ。観客は、まるで家族のことを心配するみたいな目線で、この長い映画を飽きずに見続けることになる。
イーサン・ホークは「妻とは離婚するが、子供の目にはそれなりにかっこよく見える父」を演じていたが、注目すべきは、彼のミュージシャン仲間で同居人のジミー。エラー・コルトレーンが10才の時、父の家に泊まると、散らかったその家にジミーがいる。「え、この人誰? 父はもしかしてゲイだったの?」と思うくらいの、ただならぬ美しいオーラを放っている。
ジミーは、8年後のライブハウスのシーンでもう一度出てくる。ギタリストの彼はバンドメンバーとともにリハーサルをやっている。エラー・コルトレーンが2階で父に悩みを相談していると、ジミーがステージから2人を見上げ「もしかして、あのときの坊やかい? まいったなあ」みたいなことを言う。父はジミーのことを「夢をあきらめた僕とは違って、こいつはまだ音楽をやっていて、いまだにかっこいいんだ」みたいなことを言う。
いや本当にジミーはかっこいい。8年前よりもずっと。彼は成長したエラー・コルトレーンにThe dog songという曲を贈るのだが、父があれこれアドバイスしていたことを、瞬時にちゃらにしてしまう説得力だ。音楽を続けるとは、この映画が示唆したような夢と生活の二択ではなく、続けずにはいられない衝動なのだと思う。それは夢ではなく才能だ。
この瞬間、映画は真のドキュメンタリーになり、主役はジミーになってしまった。なので調べた。ジミーって何者?
彼の名はチャーリー・セクストン。1985年、17才でソロデビューし、1986年には日本公演をおこない、1999年ボブ・ディランのバックバンドに加入。1987年にデヴィッド・ボウイとマイクを分け合い演奏している姿をYouTubeで見て驚愕した。YouTubeありがとう!
The dog songはチャーリー・セクストンの実の息子であるマーロン・セクストンがつくった曲だとか、エラー・コルトレーンの実父もブルース・サーモンというミュージシャンで、この映画に出演してGobbelinsという曲を演奏しているとか、そんなことまでわかってしまうと、2組のリアル父子のストーリーのほうが気になりはじめ、映画のストーリーはますますどうでもよくなってしまった。