昔は上司に「やる気がないなら帰れ」と言われたら、部下は「イヤです」と踏ん張ったものなのに、最近の若者は本当に帰ってしまう。というようなことがネット上で話題になっていた。この映画の中心人物であるフリーターのロマンは、まさに帰ってしまうタイプだと思う。
流れにまかせて素直に行動するが、器用さや強さはない。小説を書いているらしいが、定職も恋人もない。そんなロマンは、ぼんやりした性格が気に入られたのか、ホテルの夜勤のバイトに採用される。ジャン=ポール・ルーヴ監督が演じるホテルの主人は「やる気がないなら帰れ」と鎌をかけるタイプではもちろんなく、勤務中にしばしばボジョレーやムルソーを開け、一緒に飲みたがる男。ロマンがいきなり祖母探しの旅に出たときも「久々に夜勤をやって若返ったよ」と言い、ロマンも「あなたがいるのになぜボクを雇ったんですか?」なんて聞く。つまり、とってもゆるい職場なのだ。
というわけで、ロマンは心置きなく旅をする。パリのモンマルトルから、美しい断崖で知られるノルマンディーのエトルタへ。失踪した祖母は、はたしてどこにいるのか?
憂鬱な顔だとか、自殺しそうだとか、小児性愛者だとか、ロマンが他人に与える第一印象は散々だ。しかしそんな彼が、祖母や父母をはじめとする「複雑な問題を抱えた人生の先輩たち」に光を当てる。未来があり、急いでいないことだけが取り柄の、寡黙なインタビュアーとして。世の中にはきっと、傍観者にしかできないことがある。与えられた使命を果たしたロマンは、ようやく自分自身の幸せの片鱗をつかむのだ。
エトルタへ向かうシーンで流れるのは、ジュリアン・ドレが歌う《Que reste-t-il de nos amours》。あの美しい日々の何が残っているのだろうと、切なく畳みかける歌詞。緻密なリズムを吐息のような囁きで刻む、ナルシスティックなボーカル。スタンダードナンバーのリメイクとは思えない新しさだ。ジュリアン・ドレは、2007年、雑誌ELLEで「最もセクシーな男15人」のトップを飾った1982年生まれの歌手。この曲とコラージュされるいくつもの風景が、映画の要となる。
原作者のダヴィド・フェンキノスは、脚本の共同執筆者でもあるジャン=ポール・ルーヴ監督をこう評価する。「ジャン=ポールには驚くべきユーモアのセンスがあります。どんな状況においても面白い側面を浮かび上がらせることができる人です。喜劇的な視点を強調する会話を見つけようとし、望んだ通りにできるのです。これは演出の問題でもあります」
この才能が、愛しき人生の源だ。「やる気がないなら帰れ」「イヤです」のような優等生の茶番劇ではない。お茶目な会話の端々に意表を突かれ、ふいに遠くへ心をさらわれる。幸せとは、予想外なリアクションの積み重ねであることを確信した。
2016-2-6