『CLUB TROPICALNA 2003』 ハイラ & チャランガ・アバネーラ / GRIOT RECORDS

キューバ音楽最高峰のコラボレーションライブ!!(←CDジャケットコピーby村上龍)


村上龍のあまりの絶賛ぶりに、毎年ハウステンボスへ行っちゃおうかなあと思いつつ叶わなかった噂のライブを、渋谷のDuo Music Exchangeで見ることができた。リュウ ムラカミ&ブルガリ&ヴォーグニッポンのコラボレーション企画である。

初めて食べるキューバ料理は、さつまいもの天ぷらみたいな青バナナのフライや、お赤飯みたいな豆のライスなど、和食と見まがうばかりの親近感。デザートの甘いクリームを舐めながらフレッシュミントの葉がたっぷり入ったラムのカクテル、モヒートなど飲んでいると、もう踊るしかないって気分になってくる。現地の料理でお腹いっぱいにさせてからノセるというのは、正しすぎる演出だ。

村上龍のナイーブにしてチャーミングな挨拶に続きステージに登場したラテンのビッグバンド、チャランガ・アバネーラは、ヴォーカル4人、ホーンセクション4人、パーカッション3人、ピアノ、ベース…総勢15名はいただろうか。まさに南国リゾートならどこにでもありそうな「**ナイト」っていうノリでスタートしたものの、そのテクニックは素晴らしく、振りはゆるく、パフォーマンスは官能的。全員がこれ以上ないってくらい楽しそうに演奏している。

ダイナマイトバディの歌姫ハイラは、ヒールの高い白のアンクルブーツで登場。全身「光る白」のコーディネートは、キューバの作家アレナスがハバナを回想しつつ眺めたニューヨークの雪を思わせて目にしみた。というのはこじつけ過ぎだけど、実にキュート!

というわけで大盛り上がりの帰り際、このCDをサイン入り生写真付きで手に入れた。ハウステンボスでのライブバージョンである。1か月待ちでようやく届いたばかりのブルーのiPOD miniで聴いてみたくなったのだ。

イコライザーを「ラテン」に設定してもいまひとつだったのに、「ダンス」にしてみると、これが決まった。低音が強調され、音の抜けも格段にいい。マンボのステップが体の内側から湧き出てくる。というのは言い過ぎだけど、iPOD miniに入れる最初の1枚として、最もふさわしかったラテン・ライブ・アルバム。
2004-08-30

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク 2004 TOKYO』 梅窓院 祖師堂ホール /

南青山で、透明人間になる。


耳の聴こえない夫婦の家を訪問し、インタビューしたことがある。
いちばん鮮烈だったのは彼らの赤ん坊で、母親に抱かれながらも、何か要求があるたびに彼女の体をバシバシたたき、強引に自分のほうを向かせる。夜中もそうやって母親を起こすのだという。泣く前に、たたく。それが、泣き声の通用しない世界における、彼のサバイバル法なのだ。

真っ暗な空間を歩き、視覚以外の感覚でさまざまな体験をする展覧会「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が南青山で開催中と知り、思い出したのはそのことだった。見えない世界で、自分は何を頼りに生きていくのだろう? それを知るチャンスだと思った。世界70都市で開催され、既に100万人以上が体験しているらしい。

スニーカーを貸し出され、光るものや音の出るものはすべてロッカーへ。白杖(はくじょう)とアテンドスタッフだけを頼りに、見知らぬ7人と共に会場に入る。

完璧な暗闇だった。最初はこわくて一歩も動けないが、アテンドスタッフがリラックスさせてくれる。水の音や鳥のさえずりが聞こえる森林浴のような演出に救われた。蒸し暑かったり息苦しかったりしたらパニックになるところだ。

アテンドスタッフは視覚障害者。赤外線メガネをかけているわけでもないのに、彼だけが8人の位置を把握しているみたいだ。ダンゴ状態でそろそろと移動する8人をナビゲートしつつ、自分は普通の速度で動きまわり、ディズニーランドのスタッフみたいなトークで楽しませながらガイドしてくれる。すごいなと思った。

揺れるつり橋を渡る。わらを踏みしめる。木がある。街がある。スタジアムがある。改札をくぐる。駅がある。駅の喧騒は怖い。ホームから落ちる人がいる。2人乗りのブランコに乗る。ぬいぐるみにさわる。オレンジの匂いをかぐ。階段を下りる。バーがある。サービススタッフがいる。椅子に案内される。テーブルを囲む。ワインを注文する。グラスについでもらう。「アルコールの匂いだ」と声がする。乾杯する。ひと口飲んでみる。「赤?白?」と隣の人に聞かれる。「赤」と答える。サービススタッフに「正解です」と言われほっとする。

なんでもない手すりや椅子、テーブルの心地よさは驚きであった。人が触れることを想定したプロダクツには、やさしさがあるのだと知った。闇の中では、人とぶつかるのも、それほど嫌ではない。誰ともぶつからないよりは、はるかにましなのだ。

見えない世界で、私はふだんより饒舌になっていた。黙っていると置いていかれるかもしれないし、誰も助けてくれないかもしれない。足を踏まれるかもしれないし、踏んでしまうかもしれない。絶えずしゃべっていることが身を守ることにつながるのだ。そう、私は「見えない人」になったのではなく、誰からも見られることのない「透明人間」になったのだった。だから、しゃべることにした。それが私のサバイバル法だった。だが、他の人は違うかもしれない。全然しゃべらない人もいた。バーでテーブルを囲んでいても、静かな人はそこにいるかどうかもわからず、私は、テーブルの形や座席の配置を最後まで把握できなかった。

会場全体がどんなレイアウトだったのかもわからない。私には、どうしても地図が描けないのだ。だが、描けるという人もいた。会場を明るくしてもう一度歩いてみたいなとその時は思ったが、そんな種明かしはしないほうがいいのかもしれない。何も見えなかったのに、まるで映画のような記憶として思い返すことができる。そのことが単純に面白い。


*完全予約制・9月4日まで開催中
2004-08-26

『コピーの時代-デュシャンからウォーホル、モリムラへ』 滋賀県立近代美術館 /

ホンモノより、アタラシイモノが見たい。


桜の季節には京都国立近代美術館のカフェへ。
燕子花の季節には根津美術館の庭園へ。
紅葉の季節には足立美術館の茶室へ。
だが、この夏はなんといっても滋賀県立近代美術館である。

というのは屁理屈だが、人はなぜ美術展へ行くのだろう? 本物を見るため? だとしたら、東京から琵琶湖までわざわざコピーアートを見に行くのは馬鹿げている?

マルセル・デュシャンから始まって、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、森村泰昌まで、22名と1グループによる137点の作品を6つのゾーンに分け、引用と複製の歴史を振り返り、シミュレーショニズムの最前線に迫る企画展だ。

紙幣をコピーした赤瀬川源平、コンビニのサインボードから文字を消した中村政人、名画の登場人物を1人だけ消したり、ありそうでどこにもない風景を写真のように細密に描く小川信治、登場人物の視点から名画を描き直したり、著作権侵害にならないようにディズニーアニメをコピーした福田美蘭、オリジナルのない映画の登場人物になりきるシンディ・シャーマン…。

福田美蘭の最新作(2004)は、この美術館の所蔵作品(人間国宝による着物と壷)のパロディー。着物をまとった想像の自画像と、壷を収納しておくための木箱や詰めものを描いた作品が「本物」と並べて展示されているのだから面白すぎ。今回、メインの作品と対比するための「本物」のいくつかは、所蔵美術館からのレンタル期限切れで撤去されていたのだが、この美術館の所蔵品ならノープロブレムだ。

デュシャンの作品は、便器を倒して署名しただけの「泉」(1917)をはじめとするレディメイドシリーズや、モナリザの顔にひげを書いただけの「L.H.O.O.Q.」(1919)などたくさんあったが、「オリジナル」ではなく1964年にミラノで複製されたもの。これも、オリジナルと並べて展示したら面白いかも。

1917年、デュシャン自身が委員をやっていたニューヨークのアンデパンダン展で「泉」が出品拒否されたのは有名な話だが、「デュシャンは語る」(ちくま学芸文庫)によると、どうやら無視されたってことらしい。便器は会場の仕切りの外に置かれており、「展覧会の後で、仕切りの後に『泉』を見つけました。それで取戻せたわけです!」なんて本人は語っている。「私はいっぺんで受けいれられるようなものは、何もつくれなかった」とも。

本当に面白いものは、展示会場ではなく、仕切りの後ろにこそあるのだ。それが、美術展に足を運ぶ理由でもある。回顧展を観るだけでなく、オリジナルが生まれる瞬間に立ち会えたらいい。

*9月5日まで開催中
2004-08-12

『69 sixty nine』 村上龍(原作)・李相日(監督) /

地方出身の男が、女と世界を救う?


「経済力もお嫁さんもない地方都市の無名の十七歳だったら、誰だって同じ思いを持っている。選別されて、家畜になるかならないかの瀬戸際にいるのだから、当然だ」
-「69」より

女を幸せにするのは、地方出身の男である。というのは嘘ではなく、私の個人的な考えだ。
1969年の佐世保について1987年に書かれた小説が、2004年の今、映画になった。

村上龍は、どこへ行くのだろう。洗練されることなく文化の最前線を突っ走ってほしいものだが、一方で、彼ほど政治家に向いている人はいないとも思う。「長崎生まれ、武蔵野美術大学中退」という肩書きは「東京生まれ、一ツ橋大学卒業」の田中康夫を超える武器となるだろう。

「69」の主人公ケンは、佐世保時代の村上龍だ。こんなに世の中の見えている高校生は、私が通っていたマザコンばかりの東京の高校には、1人もいなかった。重要なことに早く気付くためには、中心を外側から眺める見通しのいい場所にいなきゃダメなのだ。そんなわけで、東大に入る人数だけはやたらと多い私の高校は全滅だったが、中学には「69」におけるケンのような男子が1人だけいた。東京だが海に近かったせいだと思う。彼はいつも、海の向こうの町や文化を見ていた。

世の中の見えていなかった私は、14歳のとき、彼をリュウと名付け、原稿用紙5枚のふざけた作文を書き、賞金をもらった。それから10年後、相変わらず世の中は見えていなかったものの書くことを仕事として選んだ遠因にリュウの存在があったことは確かだが、同じ時期、彼は留学先の米国で銃に撃たれ死んでしまった。彼が何を愛し、どう生きようとしていたのかは知らないが、とにかく日本は、村上龍ばりの貴重な人材を1人失ったのだと私は思った。

映画版「69」は、原作とはずいぶん違う。1969年の風俗が、面白おかしくサンプリングされているだけなのだ。

「恐れることはない。とにかく『盗め』。世界はそれを手当り次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ」
-椹木野衣「シミュレーショニズム」(1991)より

雑多な要素のつめこみ過ぎでまとまりに欠ける映画だが、ケンを演じる妻夫木くんの日焼けしたランニング姿のまばゆさが、すべてを貫いている。楽しんで生きろというのが「69」の唯一のメッセージであり、楽しむってことは、実は相当エゴイスティックなことだから、まばゆさは残酷さでもある。ダサイ奴、馬鹿な奴、醜い奴を切り捨てる若いリーダーシップの残酷な輝きを、映画は切り取った。

「楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。(中略)だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしはその戦いを今も続けている。退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう」
-「69」あとがきより

村上龍は、今も戦っている。だが、脚本を書いた宮藤官九郎は戦っていない。小説の暗い結末を、あまりにも明るく処理してしまった。つまり、戦わずに楽しく生きられる世代がようやく登場したってことなのか? 鮮やかなラストのおかげで、まとまりのなさは払拭され、楽しい嘘をつくことの意味がくっきりと浮き彫りになった。楽しい嘘たちが、原作を、軽やかに超えてしまったように見えるのだ。
2004-07-28