『PALOOKAVILLE RELEASE PARTY』 ファットボーイ・スリム他 /

2004年9月25日の音楽的衝撃。


ライブっていうのはもはや楽器を演奏する時代じゃないんだと悟ったきっかけは、最近恵比寿に移りタワーカフェなどもできておしゃれに変身したリキッドルームが新宿で全盛期だった時に見たケミカル・ブラザーズだったろうか。デジタルロックという言葉が流行っていてビッグビーツなんて言葉はまだ主流でなかったような気がする1997年頃のことだ。
7時半ぴったりに開演してアンコールの曲順まで決まっている一方通行の大箱ライブではなく、ターンテーブルという楽器をあやつるアーティストと共に深夜になってようやく盛り上がるクラブ形式のエンターテインメント。

それから7年たった一昨日、音楽的衝撃は、新たな次元へと突入した。目黒通りのCLASKAでおこなわれたファットボーイ・スリムのアルバムリリースパーティを私は忘れないだろう。何が衝撃だったかって、ファットボーイ・スリムは何もしなかったのである。要はプレイしないで帰っちゃっただけなのだが、ポップ・ミュージックはここまで柔軟で双方向で決まぐれでアバウトで何でもありで世の中をナメてかかったものに進化したのである。

主役以外のDJとVJはフロアを十分に盛り上げた。クルーエルの井上薫、瀧見憲司に加え、FANTASTIC PLASTIC MACHINEの田中知之が上げるだけ上げて、10時半頃いよいよファットボーイ・スリムが登場!!...フロアは突然モッシュ状態に。しかし、ノーマン・クックは回さずに帰ってしまったのだ。あっけにとられてしまう。呆然とはこのこと。「ノーマン最低コール」はあったものの、暴動には至らず。

この日は、ageHaやyellowで既におこなわれた東京公演とこれから行われるはずの大阪公演の合間の余興の日。招待状にもゲスト:FAT BOY SLIMと書いてあるだけだ。しかもCLASKAは居心地がいい。くつろぎスペースがいっぱいあってクローズドのパーティやイベントにふさわしいクラブラウンジだ。ふだんはいわゆるデザイナーズホテルだからセキュリティもしっかりしていて安っぽくない。十分楽しんだ。汗もかいた。そもそも、お金を払って「ライブ」を見にきたのではなく、入場チェックだけはやたらと厳しい代わりに自由度の高い「パーティ」に来たのだから仕方ない。ノーマンが帰っちゃうのも「自由」なのだ。だがしかし…。

もしかしたらノーマンが深夜に戻ってくる可能性はゼロではないのではないだろうかなどという根拠のない前向きな思いを抱きつつ1階のソファで死んでいると、11時から急遽アフラが出演するというアナウンスが。富士ゼロックスのCFでもおなじみの「ヒューマンビートボックス」アフラである。楽器を使わずに1人で自在な音を発する彼ならターンテーブルもいらないのであるからして、これこそ究極のDJ。何でもありの音楽の行き着くところは、ここなのか?

回さずに帰るノーマン VS 回す必要すらないアフラ。これはもうアフラの勝ちでしょう。というのは単なる負け惜しみに過ぎず。私はノーマンを見に来たのであって、アフラは見ないで帰ったよ。何て律儀なんだ。
2004-09-27

『WRC第11戦「ラリー・ジャパン2004」』 北海道・十勝(9/3~5) /

スリルより マナーで示せ 君の腕


スリルより マナーで示せ 君の腕 ― 青山通りでこの交通標語を見るたびに、クルマの魅力はスリルだよなあとつくづく思う。マナーを守ってスリルを追求しようぜ。そう煽っているとしか思えない。いい標語だと思う。

私が最初に乗ったクルマは、スバルの軽自動車だった。アマチュア時代、コピーコンテストの賞品としてもらったのだ。嬉しくてたまらなかった。その後、知人の運転するスバル・インプレッサに乗せてもらった。青山3丁目のヘアピンをスピードを落とさずにターンしきった時、何かが私の中ではじけた(笑)。そして今、1970年代に2年連続でWRC 2位に終わった悲運のラリーカーに乗っている。

というわけで、初めて日本で開催されるWRCを見に行かないわけにはいかなかった。昨年のチャンピオンであるノルウェーのペター・ソルベルグ(スバル・インプレッサ)は総合4位に甘んじていたものの、スバルのホームラリーとあって、初日から首位に立った。

私が見たのは硬派な林道コースではなく、ナンパなスーパーSSナイトレース。帯広市街地に近い札内川の河川敷につくられた2.2キロの8の字型コースを2台が同時にスタートし、トンネルとジャンプ台で交差しながらタイムを競う。もちろん競技の一部だが、見た目は「ライトアップされた仮設サーキットにおける音楽と実況つきのラリー・ショウ」。サイレンを付けたテストカーの走行だけで場内は興奮のるつぼと化し、まるでサーカス。スタンド席にいたのに、クルマが走るたびに砂粒が飛んでくる。立ち見席なんて怖すぎだ。

サーキットの裏には各チームのブースや屋台が並び、今回メーカー直系では出場しなかった三菱自動車も出店。帯広の夜は予想以上に寒く、皆ここで、公式グッズや帯広名物の豚丼などを買い求めるのだ。応援のためというよりは防寒のために、チームロゴ入りのジャンパーが飛ぶように売れていく。「Lサイズありますか?」「カード使えないんですか?」「STIって何ですか?」…。

メインイベントはすぐにやってきた。ペター・ソルベルグと、2位のセバスチャン・ローブ(シトロエン・クサラ)がこのコースを一緒に走ったのだ。ソルベルグのほうがわずかに速い。素人目にも明らかなムダのない走りと華麗なドリフト! これが終わると、帰る人が続出。

ソルベルグは、両親ともにラリードライバー。昨年結婚したスウェーデン出身の妻も元ラリードライバーだという。まさに生粋のサーカス一家。パフォーマンスも派手で「日本食は世界一おいしい」と発言するなどサービス精神たっぷり。ハリウッドとあだ名がつくほど調子のいいキャラクターと堅実な走りは、両立するのだ。

中村獅童が吠えるスバル・インプレッサのCFが、シンプリー・レッドの「スターズ」の旋律とともに私を揺さぶる。この日以来、CFの映像が、道南の美しい空と海岸であるように見えてしまうのだ。たぶん違うと思うけど。
2004-09-12

『CLUB TROPICALNA 2003』 ハイラ & チャランガ・アバネーラ / GRIOT RECORDS

キューバ音楽最高峰のコラボレーションライブ!!(←CDジャケットコピーby村上龍)


村上龍のあまりの絶賛ぶりに、毎年ハウステンボスへ行っちゃおうかなあと思いつつ叶わなかった噂のライブを、渋谷のDuo Music Exchangeで見ることができた。リュウ ムラカミ&ブルガリ&ヴォーグニッポンのコラボレーション企画である。

初めて食べるキューバ料理は、さつまいもの天ぷらみたいな青バナナのフライや、お赤飯みたいな豆のライスなど、和食と見まがうばかりの親近感。デザートの甘いクリームを舐めながらフレッシュミントの葉がたっぷり入ったラムのカクテル、モヒートなど飲んでいると、もう踊るしかないって気分になってくる。現地の料理でお腹いっぱいにさせてからノセるというのは、正しすぎる演出だ。

村上龍のナイーブにしてチャーミングな挨拶に続きステージに登場したラテンのビッグバンド、チャランガ・アバネーラは、ヴォーカル4人、ホーンセクション4人、パーカッション3人、ピアノ、ベース…総勢15名はいただろうか。まさに南国リゾートならどこにでもありそうな「**ナイト」っていうノリでスタートしたものの、そのテクニックは素晴らしく、振りはゆるく、パフォーマンスは官能的。全員がこれ以上ないってくらい楽しそうに演奏している。

ダイナマイトバディの歌姫ハイラは、ヒールの高い白のアンクルブーツで登場。全身「光る白」のコーディネートは、キューバの作家アレナスがハバナを回想しつつ眺めたニューヨークの雪を思わせて目にしみた。というのはこじつけ過ぎだけど、実にキュート!

というわけで大盛り上がりの帰り際、このCDをサイン入り生写真付きで手に入れた。ハウステンボスでのライブバージョンである。1か月待ちでようやく届いたばかりのブルーのiPOD miniで聴いてみたくなったのだ。

イコライザーを「ラテン」に設定してもいまひとつだったのに、「ダンス」にしてみると、これが決まった。低音が強調され、音の抜けも格段にいい。マンボのステップが体の内側から湧き出てくる。というのは言い過ぎだけど、iPOD miniに入れる最初の1枚として、最もふさわしかったラテン・ライブ・アルバム。
2004-08-30

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク 2004 TOKYO』 梅窓院 祖師堂ホール /

南青山で、透明人間になる。


耳の聴こえない夫婦の家を訪問し、インタビューしたことがある。
いちばん鮮烈だったのは彼らの赤ん坊で、母親に抱かれながらも、何か要求があるたびに彼女の体をバシバシたたき、強引に自分のほうを向かせる。夜中もそうやって母親を起こすのだという。泣く前に、たたく。それが、泣き声の通用しない世界における、彼のサバイバル法なのだ。

真っ暗な空間を歩き、視覚以外の感覚でさまざまな体験をする展覧会「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が南青山で開催中と知り、思い出したのはそのことだった。見えない世界で、自分は何を頼りに生きていくのだろう? それを知るチャンスだと思った。世界70都市で開催され、既に100万人以上が体験しているらしい。

スニーカーを貸し出され、光るものや音の出るものはすべてロッカーへ。白杖(はくじょう)とアテンドスタッフだけを頼りに、見知らぬ7人と共に会場に入る。

完璧な暗闇だった。最初はこわくて一歩も動けないが、アテンドスタッフがリラックスさせてくれる。水の音や鳥のさえずりが聞こえる森林浴のような演出に救われた。蒸し暑かったり息苦しかったりしたらパニックになるところだ。

アテンドスタッフは視覚障害者。赤外線メガネをかけているわけでもないのに、彼だけが8人の位置を把握しているみたいだ。ダンゴ状態でそろそろと移動する8人をナビゲートしつつ、自分は普通の速度で動きまわり、ディズニーランドのスタッフみたいなトークで楽しませながらガイドしてくれる。すごいなと思った。

揺れるつり橋を渡る。わらを踏みしめる。木がある。街がある。スタジアムがある。改札をくぐる。駅がある。駅の喧騒は怖い。ホームから落ちる人がいる。2人乗りのブランコに乗る。ぬいぐるみにさわる。オレンジの匂いをかぐ。階段を下りる。バーがある。サービススタッフがいる。椅子に案内される。テーブルを囲む。ワインを注文する。グラスについでもらう。「アルコールの匂いだ」と声がする。乾杯する。ひと口飲んでみる。「赤?白?」と隣の人に聞かれる。「赤」と答える。サービススタッフに「正解です」と言われほっとする。

なんでもない手すりや椅子、テーブルの心地よさは驚きであった。人が触れることを想定したプロダクツには、やさしさがあるのだと知った。闇の中では、人とぶつかるのも、それほど嫌ではない。誰ともぶつからないよりは、はるかにましなのだ。

見えない世界で、私はふだんより饒舌になっていた。黙っていると置いていかれるかもしれないし、誰も助けてくれないかもしれない。足を踏まれるかもしれないし、踏んでしまうかもしれない。絶えずしゃべっていることが身を守ることにつながるのだ。そう、私は「見えない人」になったのではなく、誰からも見られることのない「透明人間」になったのだった。だから、しゃべることにした。それが私のサバイバル法だった。だが、他の人は違うかもしれない。全然しゃべらない人もいた。バーでテーブルを囲んでいても、静かな人はそこにいるかどうかもわからず、私は、テーブルの形や座席の配置を最後まで把握できなかった。

会場全体がどんなレイアウトだったのかもわからない。私には、どうしても地図が描けないのだ。だが、描けるという人もいた。会場を明るくしてもう一度歩いてみたいなとその時は思ったが、そんな種明かしはしないほうがいいのかもしれない。何も見えなかったのに、まるで映画のような記憶として思い返すことができる。そのことが単純に面白い。


*完全予約制・9月4日まで開催中
2004-08-26