『悪い人も積もればお金となる -刑務所の民営化-』 大川興業 第26回本公演 /

テロリストの記憶。


ベタなタイトルは、いかにも大川興業って感じだけど、内容は、ドキドキするほどアグレッシブ。
私は、大川興業のキレイでホンキなところが好きなのだ。と、この際、言い切ってしまいたい。

その刑務所では、携帯電話の使用が許され、演劇や音楽活動が許されている。服役囚たちが陪審員となり、おちゃらけた裁判をおこなうシーンでは、一人ひとりが「エリートサラリーマン」「偏差値の低い学生」「親の金でアパート経営」といった卑近なキャラを演じ、「ホモレイプ」や「食い逃げ」など、彼らの誰かが実際に犯した罪について話し合う。

別の役を演じることの意味は、現実を別の視点からあぶりだすことだろう。プライベートと仕事を行き来する私たちの日常も、かなり演劇的な日々といえるのかもしれないな。本来は、ただひとつの役割に専心し、素の自分で居続けることこそが誠実な生き方とも思えるが、多くの人が、 他人との出会いや、別の自分に変身するチャンスを切望している。仕事も不倫もインターネットも、別の役割を演じることを許された聖域のよう。

「素」で生きるには、つらすぎる時代なのだろうか。 刑務所の中ですら演技しなくちゃいけない状況は、一見自由で楽しいが、実は相当に病んでいる。自分をはぐらかし、本質をはぐらかしながら生きていく人生は、一体どんな回り道をするのだろう。この作品は、よく似たシーンを繰り返したり、スポットライトを手動で運動させたりすることで、演じることの病的な側面と快楽的な側面を、両方アピールしているのが面白い。

刑務所内の演劇ごっこはエスカレートし、彼らの生い立ちや想像の世界が次々と演劇化される。中国から密航してきた謎の中国人(江頭2:50)によって日本が客観化され、慰安にくる漫才コンビによって笑いが客観化される。服役囚たちは悪い奴なのか、いい奴なのか。彼らは刑務所にいたいのか、いたくないのか。どこまでが劇中劇なのか。

大川総裁が舞台に現れることで、ここは刑務所の中なんだと思い出す。米国の同時多発テロ事件がネタになることで、現実を思い出す。総裁は、舞台上のできごとを「素」のままで客観視できる唯一の存在なのだ。よって、大川興業はハメをはずし切ることがない。公演中にどんな事件が起きたって、彼らは軽やかに時事問題をサンプリングし、放送禁止用語できっちり笑わせ、観客を安心して帰らせることだろう。

松本キック演じる爆弾テロリストは、総裁に「おまえ、何も考えてないじゃないか」「テロをやりたいだけじゃないのか」と罵倒され、論破されてしまうのだが、このシーンの総裁はホンキだし、爆弾テロリストが記憶を剥奪されるシーンのキレイさにも驚いた。 過去のイメージの断片が三重のスクリーンにぶれながら映し出され、断続的に流れ、消えていく。彼はその後、言葉を失ったテロリストの役を完璧に演じきるのだ。

今日、ネット上で、どこかの国の人のこんな意見を読んだ。
「アフガニスタンに爆弾を落とすのではなく、食べ物や衣服や新聞を入れた包みを落とすべき。アフガニスタンの人々は空腹と貧困と不満に喘いでいます。空腹を満たし、今何が進行しているのか教えたら、彼らは喜んでテロ防止に協力してくれることでしょう」

これもまた美しいイメージだ。大量のアフガン人が国内外へ避難を始めたため、支援物資の輸送手段が確保できず、数週間で約100万人の難民が飢餓の危機に直面しそうだというニュースが、今流れてきた。

*9/24まで 東京/本多劇場
10/3~7 大阪/近鉄小劇場
10/12~14 名古屋/愛知県芸術劇場小ホール
10/20~21 福岡/西鉄ホール
2001-09-23

『JMM(Japan Mail Media)9/18号(No.132 )』 村上龍(編集) /

対岸の火事。


結局のところ、家族や特別な人や自分自身が被害にあわない限り、それは対岸の火事である。
どこかで大震災があっても、歌舞伎町で火災があっても、近所で殺人事件があっても、そういう意味では同じなのだ。なのに、NYのテロ事件だけが、リアル?

非常に多くの人が、他人ごとではないというある種の親近感を込めながら、ハリウッド映画やトム・クランシーの小説や日々の生活に酷似した、あの事件を語っている。NYの友人が言う。「ビル崩壊後の映像には、SF的な美しさもあった。荒れ果てたパレスチナの映像とは何かが根本的に違っていた。単に見る方の感情移入の違いなのか」

悲惨さや理不尽さは、いつの瞬間も世界中にあふれているのに。どこの国の誰が被害者であっても同じはずなのに。今のところアメリカは強く、ハリウッド映画の動員数は膨大なのだ。

岸を隔てた議論は、切実さと決め手に欠ける。だが、事件についていろんなことを言い、好き勝手に考えることは、当事者ではない者のさしあたっての役割だろう。

「JMM」(http://jmm.cogen.co.jp/)の臨時増刊号は、ワシントンを中心とした海外のシンクタンクで働く日本人ネットワークPRANJらによる緊急レポートを掲載していた。

「対岸の火事」という見方は大きな間違いではないかと警告するのは、ESI経済戦略研究所の研究員、村上博美氏。
日本が中立の立場をとるならば、日米安保を解消し、G7から脱退するぐらいの決意をもたなくてはならないし、外交政策として現状維持をとるならば、テロリストのターゲットとなることを覚悟しなくてはならないのだ。日本の経済・社会機能が壊滅的なダメージを受けるであろうテロの例は3つ。
1「首都圏や福井県の密集した原発群への爆弾テロ」
2「化学兵器(サリン等)によるテロ」
3「生物兵器(細菌、ウイルス)によるテロ」
「軍事報復ということになれば、報復合戦の悪循環に陥り第3次世界大戦につき進む可能性があります。仮にテロリストからの再報復で国際条約で禁止されている生物兵器が使われ、生物兵器の報復合戦にでもなれば、第3次世界大戦の終結は人類の滅亡によってもたらされるかもしれません」

イスラム過激派は多様で、必ずしも「反米」がテロ行為の主目的とはみなされ得ないケースも多いと指摘するのは、CFR外交問題評議会の研究員、古川勝久氏。
パレスチナ過激派ハマスの場合、テロ攻撃の目的は、「反米」「反イスラエル」というよりも、むしろ「反資本主義」や「反グローバライゼーション」に近く、パレスチナ過激派がイスラエル国内で選んだ自爆テロのターゲットも、ショッピング・モール、洋風飲食店、ディスコなどが多く、ユダヤ教あるいはイスラエルのシンボルと見なされる場所が選定されたことは、ほとんどなかった。
「タリバン派の場合、国も文化も宗教も問わず、あらゆる国々に対して極めて広範囲にテロ攻撃を行ってきた。『反米主義』の立場を表明する中国、ロシア、そしてイスラム諸国のサウジアラビア、イラン、パキスタンなどさえもが、過激派によるテロ攻撃に長年悩まされ続けてきたのである」

「対岸の火事ではない」という説得は、岸を隔てた人間を「当事者」という新たな次元に連れていく。それは、大地震がいつ起きるかわからないし、人間なんていつ死ぬかわからないといった漠然とした不安とは明らかに異なる。阻止できる可能性がゼロではない事件の当事者になるという、重責をともなった危機だ。
2001-09-18

『心とは何か - 心的現象論入門』 吉本隆明 / 弓立社

助けてくれ!


アメリカの映画専門ケーブル局は、テロの当日こそニュースを放映していたが、2日目からは揃いも揃って戦争映画ばかり放映しているという。NYで仕事をしている友人は「行く先は不安だらけ」とショックを顕わにしながらも「現実から逃避したい」と言い、最近ビデオで見たらしい「バトル・ロワイアル」や「はなればなれに」の感想を楽しそうに語ってくれた。励まそうなどと不遜なことを考えていた私のほうが元気づけられるありさまだ。

今朝の朝日新聞に「公園で2歳の息子を遊ばせている間に、乳母車のポップコーンをホームレスに漁られた」というような投稿があった。「何十年か前、彼もだれかの大切な赤ちゃんだったのにと思うと、なぜか涙がこぼれた」という彼女は、ポップコーンの残りをホームレスに与えるのだが、その男、彼女の息子に比べて本当に不幸だといえるのか? 感傷に浸っている場合ではない。憂慮すべきは2歳の子供の将来だ!

こんなことを思ったのは、本書に収録された講演録のひとつ「異常の分散―母の物語」を読んだ直後だったから。個人の精神の発達史において、0歳から2歳までの乳児期と、幼児期をすぎて思春期にいたるまでの2つの期間が「不可解」であり、「この時期なしに精神の病はありえない」らしい。精神の病は、母親の物語と深く関わっており、授乳のしかたは乳児にとって決定的な意味をもつ。「本当は子どもを産みたくなかった」「夫が憎い」というような気持ちが深刻な形で続けば、実存的な影響が生涯にわたって及ぶというのである。

吉本隆明は、ジャン=ジャック・ルソー、三島由紀夫、太宰治、分裂病女児ジェーンの4人の生い立ちを例にとり、実存的な解釈を試みる。三島由紀夫は、ひどい育てられ方を意志の力で超えようとし、世界的な作家になったものの「老いにいたる前のところで、やっぱりじぶんで死んじゃうことになった」し、偉大な思想家であるルソーも「じぶんの生涯は不幸だった」と述懐する。彼らの功績は奇跡にすぎず、ほとんどの不幸はそれを超えることができないのだという記述は鋭く、「実存の不幸というものは、そんなことには代えられないほど重要なことのようにぼくにはおもわれます」と著者はいう。

人間は、母親の物語に深刻に追いつめられた場合、回避、常同、作為、妄想、幻覚といった「異常の分散」によって克服しようとするらしい。著者は、自身の語り方の中にある「異常の分散」のパターンについてこう語る。

「ぼくなんかも、今しゃべった話を速記か何かで見ると、なんてくどくどと同じことをいってんだっていうくらいうんざりする常同的振舞いや言葉があります。(中略)本音をいうと、どうやって振舞っていいのかとか、どういう言葉を使ったらいいのか判らないけど、本当は簡単で『助けてくれ』っていってるわけです。助けてくれといいたいんだけど、助けてくれという言葉はいえなくて、常同的な振る舞いとか、常同的な言葉をいっている。しかし、本当は何をいいたいのか。要するに、『助けてくれ』っていいたいんだ。あるいは、『もう地獄だよ』ってことをいいたいんだ。しかし、常同的な言葉や振る舞いでしかいえない。そういうばあいには、たぶん母親の物語の中に枠組みがなかったとはいえないまでも、枠組みがとても不安定だった。それがある期間持続した。そう物語的にいえば対応関係がつくようにぼくにはおもわれます」

助けてくれ、と皆が言っているような気がしてくる。私も毎日、それだけを言い続けているのかもしれない。
人間のあらゆる行為が「異常の分散」に見えてくる。
2001-09-15

『母は松田聖子、私は女優14歳』 SAYAKA / 文芸春秋10月号

14歳の文章に学ぶ。


日曜の深夜、セブンイレブンで月曜売りの文芸春秋を見つけた。 コンビニに文芸春秋? なんか、似合わない感じ。目次を見ると、松田聖子の一人娘、SAYAKAの文章が掲載されていた。

彼女が主演し、カンヌ映画祭で短編部門のパルムドールを受賞した「BEAN CAKE(おはぎ)」のこと、ロスの日本人学校のこと、オーディションを受けた理由、撮影中のエピソード、CMデビューの話などが7ページにわたって綴られる。母親については、超素敵で超カッコいい、何でも話せてわかりあえる親友のようなママであると大絶賛。オーディションの際も、親身に協力してくれた母だが、演技指導は一言もなかったという。

「私が松田聖子の娘として生きているぶん、母が作りあげた"SAYAKA"にしたくなかったのではないかと思う」
「母をただ外から眺めているだけでも、芸能界で仕事をしていくことの大変さが伝わってくる。外側から見える華やかさ、そして内側に秘めている地道に続けて来た数々の努力、沢山のつらいこと。何か少しでも動けば、それが全国の人に知れ渡ってしまうプライバシーのなさ」
「おそらく母は、芸能界に入って、普通に暮らしていればしなくても良い苦労や痛みを私に経験させたくなかったんだと思う。デビューした今、母に守られていると実感する」

この文が、純粋に彼女によって書かれたものであるなら、彼女は母親以上に周囲に気を遣い、愛想をふりまくことのできる天性の「ぶりっこ」なのかもしれない。文末にしばしば使われる(←笑)という記号にも、それが現れていると思った。 私は、メールなどで(笑)を使わないで済ませる方法をいつも考えているのだが、うまくいかない。代案として(←笑)はちょっと新鮮だ。矢印を入れることで、文章と距離ができるような気がする。しばらく(←笑)を使ってみようかな。そうすれば、(笑)もそのうち自然にやめられるかもしれない。


中学生の女の子が発する生の言葉といえば、「ラヴ&ファイト」(新潮社)だろう。雑誌「ニコラ」の読者ページに寄せられた手紙を編集した本で、「我マンしちゃ×だよ!!がんばれ→」というような勢いのある文章が並び、彼女たちの悩みの純粋さと、それに対する励ましの一途さが、ダイレクトに胸を打つ。

たとえば、クラスの男の子に更衣室で乱暴され、それを訴えた友人達にも裏切られ、親にもいえず、先生も聞いてくれないという14歳の「HELP ME」さんの悲痛な叫び。そして、それにこたえるいくつもの手紙がある。そのひとつである14歳の「ドラえもん」さんの言葉。

「ひどい!ひどすぎるよ。それにクラスの人もひどい事言うんですね!キズついたのは『HELP ME』さんでしょ?だったらなぐさめたり、もし知ってても知らないフリをしてあげるべきだと思います。でも、死んじゃだめ!私も昔何度も思った。でも悪いのは、あなたじゃない!E君でしょ!!だからだめ!それからその学校の先生!相談に乗ってあげてよ!なんで聞いてあげないの?それでも先生なんですか?もうこうなったらきちんと親に話して、校長先生やPTAの人などにうったえて、なんとかしてもらおう!このままじゃなにも変わらないと思うよ!Fight!!」


SAYAKAに学び、ドラえもんに励まされる。いろんな14歳がいるなと思う。
2001-09-11

『路地へ 中上健次の残したフィルム』 青山真治(監督) /

言葉より前に、風景がある。


ユーロスペースの狭いロビーの隅に、エキゾチックな雰囲気の女性が佇んでいる。中上健次の長女で、作家の中上紀だとすぐに気づいた。「路地へ」の上映後、彼女と堀江敏幸のトークショーがおこなわれるという。ラッキー。

地味な印象の男(紀州出身の映像作家、井土紀州)が運転する地味な印象の国産車。その後部座席から撮った映像が延々と続き、ただひたすらクルマが走るだけで、十分に面白い映画ができるんだなってことがわかる。ダム工事だけを撮ったゴダールの「コンクリート作戦」もそうだけど、まさに映画の原点。「路地へ」の場合、あとから音楽をつけていたのがちょっと残念。エンジン音のみのほうが気分が盛り上がったのに。

ほぼ同様のルートを走ったことがあるので、映像による追体験はとても楽しかった。中上紀によると、父親の生前、毎年家族で帰省していたのと全く同じルートだという。

クルマを降りた井土紀州は、中上健次の小説の断片をさまざまな場所で朗読する(中上紀は、紀州弁の朗読を素晴らしいと誉めた)。 そして、ときおり挿入される色の濃い映像が「中上健次の残したフィルム」だ。かつての路地の輪郭は、井土紀州が立つ現代の白っぽく抜けのある風景とは対照的で、被差別部落と呼ばれた場所が本当に失われてしまったのだということが伝わってくる。

中上健次は、空をほとんど撮らず、路地の隅々を記録している。そこに宿っているもの、たまっているものを捉えようとする強烈な意志。人間は、自分がいま生きていることを実感したい時には空を見るが、確かに自分がそこにいたのだという事実を記憶にとどめたい時には地面の隅っこを凝視するのではないか ― そんなことを考えた。駄菓子屋、トラック、蓋をされた井戸、おしゃべりなおばあさん、自転車に乗る子供、カラフルな傘をさす人、干してある布団・・・そこに映る汚れや淀みのようなものまでが美しく見える。

「そのアホな人から始まった路地が、道の鬱血のようなところだったと思った。鬱血した道であろうと、太い流れのよい動脈であろうと、道である事に変りはない。道の果てはどうなっているのだろうかと考えた」(「日輪の翼」より)

ラストシーンの海を見て、「海へ」という初期の短編を読み直してみようと思った。吐き気に耐えながら海辺の城下町のバスにゆられ、途中で降り、海へと歩き、海と一体化する話。意味よりも映像がくっきりと浮かんだ。映画を観たせいだろう。

「言葉(それは禁句だった)が口唇の先で映像に還元される」 (「海へ」より)

トークショーでは、岐阜が故郷だという堀江敏幸がチャーミングな感想を述べ、それに呼応する形で、中上紀が、トンネルや橋にさしかかる時には必ず皆が興奮して大騒ぎになったという家族のエピソードなどを披露してくれた。彼女は、そこを通るたびに自分がゼロになって生まれ変わるような気がしたそうで、映画にはその辺がちゃんと表現されているという。ある作家をテーマにした作品の細部が、彼の娘によって、ひとつひとつ承認されていく。まるで映画に生命が吹き込まれるみたいに。

父のおもかげを残しながらも、まったく別の時代の、別の空間を、別の感覚で生きているように見える彼女が、「自分の中に既にある幼いころの記憶の意味がわかってきた」というようなことを言い、やわらかく微笑んだ。これは、一人の女性に認められた幸福な映画だ。

*東京・渋谷 ユーロスペースでレイトショー上映中(64分)
2001-08-30

『映画突破伝』 江戸木純/叶井俊太郎 / 洋泉社

愛は、タブーをつきぬける。


ギャガ・コミュニケーションズを経てエデンを設立した映画評論家の江戸木純と、アルバトロス・フィルムのプロデューサーである叶井俊太郎。本書は共に1960年代生まれ(つまり働き盛り)の2人のトークだ。深夜にお茶かお酒を飲みながら、だらだらずーっと聞いていたいような掛け合いだが、明け方ソファに寝転んで頁をめくりはじめたら異様におかしくて、ゲラゲラ笑いながらあっという間に読んでしまった。

叶井にとっては、会社を首になるほどやばい話であるが、 映画好きの甘い幻想を打ち砕くバクチ的な業界事情は、目からウロコのアナザー・ビュー。実話とギャグの境界線上に、捨て身の格闘ロマンがたちのぼる。

江戸木はギャガ時代、ビデオ作品の邦題を決めてコピーを書き、チラシ裏の解説を書き、ビジュアルの指示をする作業を月に15本もやっていた。しかも「映画史にまったく残らないようなものばかり」で「わざわざそんな映画を観なきゃいけないんだから、だんだん頭がおかしくなってきてね」と。時には何も観ないでドキドキしながらストーリーを書いたそう。

叶井は社運をかけた「アシュラ」を渋谷で公開中、劇場に客が一人もこない回というのを経験する。観客動員数のファックスに「ゼロ」とあったのが信じられなかった彼は「ゼロって何?渋谷には人がたくさんいるのに!」と叫ぶ。 劇場では、遅れてくる人のために1時間だけフィルムを回すそうなのだが・・・。

逆に、宣伝費をかけないのにヒットした例もある。「肉屋」という映画がそれで、タイトルに妙に反応したスポーツ紙や週刊誌が勝手に取り上げてくれ、「お願い、肉屋さん。私の熟肉(おにく)を荒々しくさばいて…」のコピーに反応したシニア層が殺到したという。「郵便屋」も同様にヒット中のようだが、アルバトロスの最新配給作品は来年公開予定の「アメリ」。これは本国フランスで大ヒットした正統派で、社員によると「この会社にいて初めて良かったと思えた」とのこと。いい話だ。

「賞が取れなくても、映画はヒットしたほうが偉いんだよ」と江戸木はいう。「観客がいちばん偉いという考え方が、日本では欠落している」とも。たしかに映画を作ることのほうが上で、配給や宣伝は下という考えはおかしいかも。「映画って、そんなに格調高いものじゃないよ。ウソだと思うなら、アルバトロスの作品を観てくれって(笑)」という叶井は、トロント映画祭で、ある日本映画を観た際に「最悪ですね。寝ちゃいましたよ」と正直に配給の人に言ったところ、プロデューサーが隣にいて会場を追い出されたという。

江戸木「ふつう、つまんなきゃ寝るよね。それって、バスがタラタラ走る映画じゃない?」
叶井 「当たり(笑)。いやぁ、恐かったよね。マジでビビったよ」

これって、どう考えても青山真治の「ユリイカ」じゃん! 自社配給の映画は嘘をついてまで宣伝するが、好みではない他社の映画には一切コビを売らない姿勢が、すがすがしい。

江戸木「僕は、上映後にお客さんが出てくる時の雰囲気がとても好きだな。『ムトゥ 踊るマハラジャ』は、みんながニコニコして出てきてくれて、それは非常に忘れがたい思い出になったよね」
叶井 「それは、この仕事をしていて、いちばん幸せな瞬間だから」

どんな業界にも暴露話はある。「会社に関わる人間はひたすら真面目に仕事をしている」なんて信じてるウブなお客様は今どき皆無だろう。 私たちは、不真面目で愛おしいオシゴトの中で一体何ができるのか? 何のためにオシゴトをするのか? あらゆる考察や革命は、本音で語ることから始まると思う。
2001-08-27

『すべての女は美しい(天才アラーキーの「いいオンナ」論)』 荒木経惟 / 大和書房

アラーキーには、撮られたくない。


「私の裸を撮って!」という女が列をなしているそうだ。彼は、全国から送られてくるそんな手紙を毎日読み、体調がよくない日もあって大変ではあるけれど「できるだけ期待に応えたい」という。

ノンフィクションライターの与那原恵は、「モデルの時間―荒木経惟と過ごした冬の日の午後」<「物語の海、揺れる島」(小学館)に収録> で、荒木との濃密な時間を写真とともに記録している。彼を駅まで迎えにいき、ワインを買い、部屋へ向かい、2人の関係ができ、脱ぎ、吹き出てくるような「女」を止められなくなリ、涙まで流すという・・・。だけど、彼女の場合、やはりどことなく「取材」の色が濃い。表現の主導権は彼女にあるのだ。

写真を撮ること自体が「相手におイタをすること」だと荒木はいう。だから、触ったり話したりセックスしたりしながら撮る。 「人に頼まれてヘアヌード撮ってもしょうがないんだよ。自分がほれ込んだ女のヘアや女陰を撮らないとダメ。写真家と相手との私的関係なんだよ」。

だが、「私を撮って!」と頼んできた女を短時間で撮影する日々というのは、一体どうなんだ? ときには白い目で見られながら、拝み倒して好みの女を撮っていた若いころと比べると、まるで慈善事業のようではないか。アラーキーは、今や、女たちにとって、列をなすほど安心のブランドになってしまったのだ。

荒木に撮られたい女は、彼の写真が好きという以上に、アラーキーという商品に興味があるのだろう。「噂のテクニックでその気にさせてほしい」もしくは「記念に抱いてください」っていうノリ。サイン会でキスをせがむファンに彼がディープキスをサービスしたところ、それ以降のファンは次々にキスをせがんだそうである。 アラーキーとは動物園のパンダみたいな存在なのか? みんながよく知っていて、61歳の可愛いおじさんで、檻の中にいるから安全で、でも、もともとは野生動物なんだよ、というような。

「撮ってほしいってくる女との関係性ってのも、ストレートにはいかなくなってきたね。ただ単に、オレにヌードを撮ってほしいっていうのじゃなくって、自分を女として認めてほしいとか、なんだか屈折したものがあったりすることが多くなってきた」と彼はいう。

女にしてみれば、「みんなと同じように撮ってほしい」では決してなく、「私を特別に撮ってほしい」なんだろうな。その場で擬似恋愛に陥って、言葉で自信をつけてもらって、写真という証明書までもらって・・・ほとんどセラピーの領域である。

電通のカメラマン時代、いつも変な格好をしていたため正面玄関から入ることさえ許されず、おそらく眉をしかめられながらスタジオで生身の女を撮り、下町のいきいきとした子供を撮り、妻の死写真を撮り、と次々に新しいことをやり続けてきた彼の過激さは、失われてしまったのか?

写真というのは、未練だと彼はいう。女々しい作業なんだという。妻が死んだ哀しみは、ずっと長持ちさせたいっていう。その気持ち、かなりわかる。未解決の問題をだらだらひきずっていたり、傷ついたときのヒリヒリするような痛みを自分の中にキープしておくことの甘美な罪悪感。それがなくなると、生きてる意味ないっていうか。

でも、そういう泣きの部分はあんまり表に出さずに、むしろ、皆が眉をひそめるようなことを、がんがんやってほしいです。アラーキーに撮られて非常に不快な思いをしたぜっていうルポが読みたいな。 ほんとうは自分が書きたいところだけど、やっぱ、列に並ぶのは趣味じゃない。 彼にもうひと花咲かせたかったら、女たちよ、気軽に絶賛したり、並んだりしちゃだめだ。
2001-08-21