『ヴォヤージュ』 ダムタイプ / NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)

高層ビルからガード下へ。


エレクトロニック・ミュージックの最先鋭と評され、ダムタイプの音響ディレクターでもある池田亮司の新作「db」を体験した。

無響室における3分間の音楽体感である。番号札をもらい順番を待つ間、広々とした会場で他の展示や過去のパフォーマンスのビデオ上映を自由に見ることができるし、階下のロビーでお茶を飲んでいても現在の番号がモニターに表示されるから安心。大病院で診察を待っているような気分だ。

時間がくると、待合室のような場所で心臓が弱い人に対する注意事項などを読まされ、荷物を預け、スリッパに履き替え、緊急時に係員を呼ぶための非常ボタンを腕に巻き、個室に入る。中央の椅子にすわり、扉が閉められると何も見えなくなり、やがて「音楽」が始まる。

ちりちりと燃えるようなホワイトノイズ、聴覚検査のような信号音、高まる動悸のようなビートとボディソニック。目が慣れる気配すらない完全な闇の中で、コンピュータ処理された「テクノミニマル・ミュージック」(by浅田彰)とアナログな「自分の体内」だけが対峙する。

まじで恐いってば! それなのに、これは私たちの「生活音」そのものなのだと感じた。自分の周囲にあふれる音と自分の中に流れるリズムの研ぎ澄まされた先端。現実逃避のための音ではなく、現実と向き合うための音。ヒーリングミュージックに対する見事なアンチテーゼである。
3分後、真っ暗な無響室から真っ白な光のギャラリーへ。ここまでがワンセットなのだ。まさに拷問!

そんな緊張をチルアウトしてくれるのが、ダムタイプの新作インスタレーション「ヴォヤージュ」である。無響室ほどではないが、エントランスは真っ暗。だだっ広いスペースに足を踏み入れると、赤いレーザービームがウエストを包囲する。人が皆、赤いベルトをまとったように見えるしくみだ。こうして観客も作品の一部となる。

床に置かれた歩道のような装置に映像が流れ、その上を自由に歩くことができる。小さな円形の航空ナビゲーションが2つ、細胞分裂のようにゆっくりと離れたりくっついたりする間に、建物、人、砂、道路、枯れ葉などがきらきらと歩行のスピードで流れてゆく。映画や旅を思わせる美しさで、離れがたい。

だが、これも現実なのだ。「ヴォヤージュ」についてダムタイプの高谷史郎は言う。
「 "新しい海"が目の前に開けているというのではなく、今までと変わりない海が、その見る者の受け取り方次第で、新しく見えてくるのではと考えています」
自分が立っている場所というのは重要だ。旅はいつも、自分の足元にあるのだろう。

会場を出ても「db」や「ヴォヤージュ」は終わらない。東京オペラシティタワーのエスカレーターやエレベーターは、インスタレーションの続きにしか思えないのだ。

ビジネスとかケアとかコミュニケーションとか、そういう無機質な言葉が似合う建物だ。回転ドアを押して外へ出て初めて、私たちは高層ビル的な現実から逃れ、地面に足をつけ、自分のヴォヤージュを始めることができる。

私の気持ちは、ガード下的な現実へ向かう。明け方までにぎわう裏渋谷のカフェやクラブでは、トランス&チルアウトが、音楽や飲食や会話を通じてごく自然におこなわれているのだから。 1年前は、渋谷川に沿ってカッティングエッジなエリアが生まれるなんて思いもしなかったけれど、高層ビル的な現実に疲れたら、逃げ場はガート下にしかないのかも!

*ICCにて10月27日まで開催中
2002-10-24

『その夜、ぼくは奇跡を祈った』 文:田口ランディ 絵:網中いづる / 大和出版

クリスマスの正しい過ごし方。(その2)


クリスマスプレゼントにふさわしい小さな絵本。
収録されている3つの短編は、どれもイブの日の物語であると同時に「仕事」が重要なモチーフとなっている。

1 「クリスマスの仕事」・・・・・ 恋人のいない男が主人公。イブは相棒と仕事。
2 「一番星」・・・・・・・・・・ 恋人のいない女が主人公。イブは会社で仕事。
3 「恋人はサンタクロース」・・・ 恋人のいる男が主人公。イブは会社で仕事。

1と3の主人公は、いずれもクリスマスに関係の深い「営業」のお仕事で、かなりいい感じの内容だ。周囲の人たちもあたたかいしね。そんな中で、2の女性の仕事だけが、クリスマスに関係のない内勤の仕事で、先輩社員からは「イブだってのに、これみよがしに働かれると、かえって迷惑なのよね」なんて言われちゃう。しかも体調は最悪。彼女の人生に面白いことなんて何ひとつないように見える。

この本の帯には「きっと、人はみんなひとつにつながっているんだ」というコピーがあり、どの短編も見事にそういう結末になっているのだが、私だったら「きっと、仕事って大切なんだ」というコピーにするだろうな。(そんなんじゃあ、クリスマスに売れないってば・・・)

完成度の高さという点では1と3が文句なく素晴らしいが、そんなわけで、私は2の彼女が気になって気になって気になって、この短編がいちばん心に残ってしまった。具合が悪くて会社を早退した彼女の目の前には、追い討ちをかけるように幸せそうなカップルが現れるのだ。しかし、この短編ですら、ちゃんとハッピーエンドに仕立てあげられているのだから参った。キスする2人を前にした彼女はこんな感じ。

「たぶん今夜は、私の人生で最悪のクリスマスイブになることだろう。
それでもわたしは、不思議なことに、心穏やかだった」

えー、ほんとに心穏やかになれたのー!? かなり無理してない? 私だったら、ぐれちゃう。

イブの当日に、クリスマスっぽい営業系の仕事ができる人は幸せかもしれない。たとえ恋人がいなくても、幸せを与える側のサンタにはなれるのだから。彼女の場合は、ラストでようやく叫ぶことのできたひとことで、サンタになることができたのだろうと納得した。


私の仕事は、コピーライターという一種のサービス業で、今年もクリスマス向けのコピーをいろいろ書いた。そういうものが今、ちょうど街に出ているわけだが、自分の手掛けたポスターの前でカップルがキスしてたりしたら、さぞかし心穏やかに・・・・・なれねーよな、やっぱし。


*絵の著者からメッセージをいただきました。Thank you!
2002-10-12

『ブルガリ全面広告』 村上龍 / 10/9朝日新聞・日本経済新聞

好きになる瞬間の変化。


今朝の新聞で、小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞の記事とともに目立っていたのは、ブルガリの全15段カラー広告だった。ピアノの鍵盤に配された時計やリングの写真とともに、白抜きの文字で村上龍の文章が掲載されていた。J-waveでは、ジャクソン・ブラウンの「lawyers in love(愛の使者)」がかかっていた。今日はジャクソン・ブラウンとジョン・レノンの誕生日なのだそう。


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もう二十年以上前のことになる。『コインロッカー・ベイビーズ』という小説を書いていた頃だ。わたしにとって初めての書き下ろしで、また初めての本格的な長編小説だった。執筆には十一ヵ月かかった。(中略)

執筆に疲れると近所の公園で犬とサッカーをした。犬は雌のシェパードで、名前をローライといった。(中略)

むずかしいシーンを未明に書き終えて、妙に頭が冴えてしまい、眠れそうになかったので、まだ薄暗かったがローライを連れて夜明け前の公園に行った。(中略)いつものように一対一のサッカーの勝負を続けているうちに、空が明るくなっていき、やがて光の束が低く公園の地面を照らした。そして、朝日に照らされた地面を見た瞬間、わたしは息を呑んでその場に立ちつくした。(中略)

昨日までは枯れていて色を失っていた公園の一面の草が、朝日を受けて緑色に輝いていたのだ。地表を覆う草はまるでシルクのカーペットのような鮮やかな緑色に変わり、朝露に濡れていた。(中略)変化というものはゆっくりと進行するが、あるとき急激に目に見えるものとして顕在化するのだ、そう思った。

長い間支配的なシステムだった年功制のせいだろうか、わたしたちの社会には、レベルやグレードというものはゆっくりとしかアップしないという常識があるような気がする。だが外国語を学んだ人だったら誰でも同じような経験があると思うのだが、相手の言うことが急に理解できるようになったり、ふいにからだの内側から言葉が溢れてくるように話せるようになったりする瞬間がある。それは初めて自転車に乗れるようになったときの感覚に似ている。わたしたちはゆっくりと自転車に乗れるようになるわけではなく、あるとき突然、「自転車に乗る」感覚をつかんでしまうのだ。

わたしたちは何かをマニアックに好きになるとき、ゆっくりと少しずつ好きになったりしない。ふいに強い感情に襲われ、わけのわからないものに魅入られた感じになり、そしてあとになってからそれを好きになったのだと気づく。(中略)バッハやモーツァルトの作品を聞くとき、それが「作られた」ものではなく、最初からこの宇宙のどこかに存在していたのではないかと思ってしまうことがある。

小説も音楽も、そして精緻な宝石も本当は完成までに気の遠くなるような時間がかかっている。だが、それを受け取る人は瞬間的にその世界に引き込まれる。美しいものは、急激に顕在化し、一瞬でわたしたちを魅了する。
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何かを好きになるとはこういう感覚なのだと、久しぶりに思い出したような気がした。こんな大切なことを、私は忘れていたのだろうか? 実際、たいして心を揺さぶられないものを、好きだと思い込もうとしたことが確かにあった。そんな時、自分の中のどこかが濁るような気がした。

だから私は、この文章に「救われた」と思った。

美しいものが急激に顕在化する瞬間を、私はいつも待っている。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年ほど前のことだが、強い感情に襲われた記憶は色あせない。

美しいものは世の中に残り、強い感情は人の中に残るのだと信じたい。
2002-10-09

『きみとあるけば』 伊集院 静(文)堂本 剛(絵) / 朝日新聞社

伊集院静氏がモテる理由。


アンアン10月2日号の「愛されるひと、愛されないひと」特集の巻頭にhitomiと優香が登場していた。

彼氏に振られ慌ててしまい、軽い気持ちでこの世界に入ったという優香は「私には競争心というか、人の上にたちたいという気持ちがあまりない」と言い、子供の頃に両親が離婚したことから愛情あふれる人に憧れるというhitomiは「『IS IT YOU?』という曲の歌詞で"君だと信じた瞬間に強い風が吹き乱れた"というフレーズがあるんですが、そういう歌詞を作るとき、自分の中で大きな愛を意識します」と言う。

彼女たちが「愛されるひと」であるとするならば、その理由は、他人を受け入れ、信じることの大切さを知っているからではないかと思う。他人を信じるとは、自分の価値観を信じること。未知の存在を受け入れることで、人は初めて自力で自分を肯定できる。そんな自立した価値観こそが、多くの人に愛されるのではないだろうか。

「少年の心を忘れない2人による異色のコラボレーション」という帯のついた本書は、最後の無頼派とよばれる作家の伊集院静氏が少年時代を綴り、タレントの堂本剛クンがイラストを描いており、愛される男の代表として2人が選ばれたかのようにも思われる。2人の共通点はダックスフントを飼っているということで、彼らが犬の話を通じて語っていることもまた、他人を受け入れ、信じることの大切さなのだった。

大家族の中で、少し変わった子どもというレッテルを貼られて育った伊集院静氏が、最初に相手を信頼し、相手も無条件に友だちと認めてくれたのは、一匹の雑種の仔犬だったそう。「私のファースト・フレンドはベストパートナーでもあった。私はしあわせな時間を持てたと今も思っている」と彼は言う。「最後の無頼派」の原点は、こんなハッピーな少年時代だったのだ。

小学2年生の時、伊集院静氏が初めて自分の絵を誉められたときの話も印象的だ。
先生「うん、これはいいぞ。とてもいい絵だ」
F君「うわっ、面白い。とてもいいよ」
このときのF君の声と表情を、彼は今も覚えているといい「あの時、私はF君に、ありがとう、と言っただろうか」「素直に人が賢明にやったことを誉める人間に自分はなっているだろうか」と自問するのである。

幼い頃に、このような形で信頼しあえる犬や友達に恵まれた人間は、大人になってからひねくれるはずがない、と私は思う。まっすぐに他人を信じ、自分を信じることのできる人間は、弱い者をいじめたり蹴落としたりすることがないだろう。こういう男は、他人との比較の中で生きるということがないから、オンリーワンになれる。つまり、確実にモテるのである。

本書に収められている伊集院静氏の文章は、堂本剛クンに向けて書かれたという。彼は剛クンの写真を初めて見たときにこう思う。「変な話だけど、もし地震なんかが起きて、私が柱の下に埋まったとして、『すみません、助けてください』と頼んだら、きっと助けてくれそうな感じがしたんだよね(笑)。男の子同士だからわかる感覚で、これはすごく大事なんです」

モテる男は、年齢・性別を問わずに他人を信頼し、甘え、スペシャルな関係を結んでしまう。伊集院静氏は、落ち着いた年長者の口ぶりでありながら、実は、30歳も年下のアイドルに甘えているのだ。さすが、かつて夏目雅子と桃井かおりを三角関係で争わせた男だけのことはあるではないか。本書の中で、現在の妻、篠ひろ子が彼に対して使う敬語には「うっそー」と驚いてしまうが、現実には、彼のほうがどろどろに甘えているにちがいない。
2002-09-27