『I.K.U.』 シューリー・チェン(監督) /

いやらしくない? R-18のサイバーポルノ。


オーガズム・データの収集という使命を受け、手当たり次第に人間と交わるレプリカントのレイコは、ネット時代のSEXを象徴しているのだろうか。 現実に、ネットナンパの成功率は驚くほど高いときく。お見合いが結婚を目的とするシステムであるように、出会い系サイトの多くはSEXを目的とするシステムといえなくもないわけだから、条件さえ一致すれば、交渉はたやすく成立するのだろう。

とはいえ、そのプロセスは意外と大変そうである。思わせぶりなプロフィールを掲示し、コンタクトを待ち、メールのやりとりをし、会う約束をし、待ち合わせ、落胆したりほくそえんだり傷ついたり被害にあったりマジで恋に落ちちゃったりして。もちろんハッピーに結ばれるケースもあるには違いないけれど、事態はそれほど簡単ではないだろうってこと。ネットナンパというと、どこかバーチャルでイージーな感じがするが、やっていることは街ナンパよりもアナログだと思う。なにしろ文章を綴ったり、想像力をとぎ澄ませたり、必要以上に汗をかいたりしなければならないのだから。

この映画には、そういったコミュニケーションの大変さは全く描かれていない。レプリカントを派遣しているのは、オーガズム・データベースにより肉体的接触なしの快楽を提供することに成功したゲノム社。レプリカント(複数の女優たち)があちこちでSEXする姿は、まさに普通の女の子がデータ収集のバイトをしているかのように見える。

映画というよりはVJに近く、日本語と英語が混じるラフで拙い言語感覚は、私たちの日常を席巻する等身大のおしゃべりといっていい。監督は台湾生まれでアメリカ国籍をもつ女性だが、I.K.U.というタイトルは、意味深かつベタな日本語だ。配給プロデューサーである浅井隆は、この映画を「愛から最も遠いセックスを描き、現代への批判をもくろんだ、ビジュアルで紡ぐ新世代映画」(5月6日付朝日新聞)という。

女性側からのSEXの視点(プッシー ポイント オブ ビュー)がユニーク。外性器にはモザイクがかけられているが、内部で何がおこなわれているのかがCGで描写されるのだ。私はこの映画を試写で見たが、税関・映倫を通した日本の劇場公開バージョンは、さらなる大幅な修正が加わっているという。ただ、CGが多用されるこの映画の場合、モザイクの違和感がなく、むしろ自然に見えるのが救いだろう。

試写会場では「この映画はいやらしくない」という声が多かった。要するに、生々しくないということだと思うけど、その感想は「このケーキは甘さ控えめ」という言い方に似ている。ケーキというのは適度に甘いほうがおいしいのであって、甘さ控えめというのは「ヘルシーで食べやすいけど物足りない」の言い換えに過ぎないのではないだろうか。となると、いやらしくないというのは「ポップで見やすいけど物足りない」ってことなのか。SEXしまくりの映画なのに、そんなことがありうるのだろうか。そんな単純な感想でいいのだろうか。だが、私には、この映画の砂糖(=いやらしさ)の分量が判断できなかった。舌が麻痺してしまったのだろうか、と焦る。いずれにせよ、一概にこうと決め付けることのできない作品は、それだけで新しくて面白い。

ネットナンパにアナログな想像力が求められるように、I.K.U.の「説明的でない映像」は説明以上のイマジネーションをかきたてる。世の中にバーチャルなイメージが氾濫するほど、リアルの魅力は浮上してゆくのだ。

*2000年 日本映画/渋谷シネパレスでレイトショー上映
2001-05-08