『ゴモラ』マッテオ・ガッローネ(監督)

悪い仕事で稼ぐのは、悪いこと?



『ゴモラ』は旧約聖書に登場する町。繁栄を極めたが、道徳的退廃により天に滅ぼされた商業都市だ。2008年、カンヌで審査員特別グランプリを受賞した作品だが、日本での公開はようやく今。かえって、いいタイミングだったかもしれない。今や日本のそこかしこが、この映画と同じ匂いを放ち始めていることに、私たちは気付いてしまったのだから。治安のいい国に住んでいてよかったなんて安心してる場合じゃない。

イタリア4大マフィアのひとつといわれる「カモッラ」についての映画だ。監督は「カモッラのメンバーの日常生活すべてを見せたかった」と言う。そこには批判的な視点やメッセージはない。丁寧な描写と事実に基づいた物語があるだけだ。俳優と素人を混在させ、カモッラに支配された町全体をドキュメンタリーのような手法で撮っているのだから、映画がカモッラ批判であれば、当然、町の協力は得られなかっただろう。

ナポリを拠点とするカモッラは、3日に1人、30年で4000人もの命を奪っている暴力・犯罪組織だ。ドラッグ売買や武器の密輸、産業廃棄物の不法処理(汚染地域では発がん率が20%上昇)、不動産投資(ツインタワー再建にも彼らの資金が流入している)で多額の利益を得ているほか、建設、観光、アパレル、銀行など多くの事業に参入しているという。子供から老人まで、周辺住民はすべてカモッラに関わっており、日常シーンと殺戮シーンが同居している。

5つのエピソードがあるが、どの話もテーマは「仕事」である。悪事に手を染めるきっかけはどこにだってあり、就職はその入り口だ。モラルを破るのは簡単で、この町では、モラルに抵触しないで生きることのほうが難しいだろう。組織を裏切れば、命の保障などないのだから。

13才のお洒落な少年トトは、晴れて組織の一員となるが、対立組織との抗争に利用され、親友を欺かなければならなくなる。

大学を卒業したロベルトは、産業廃棄物の不法処理会社に就職する。高収入で安定した管理業務だが、現場の状況や被災者の姿を目の当たりにし、自分はこの仕事に向いていないと社長に切り出す。

仕立屋のパスクワーレは高級オートクチュールの下請けとして働き、搾取されているが、彼の腕を見込んだ中国人の縫製業者が「工場で技術指導をしてくれ」と近づいてくる。業者を訪ねると手料理で歓待されるが、車での移動時は危険なためトランクに押し込まれる。工場では拍手で迎えられ、堂々と実技を教えるパスクワーレ。妻と赤ん坊の待つ家に帰ると「マエストロと呼ばれたよ。スズキの料理が旨かった」と言い、破格の報酬を妻に渡すのである。

ほかに、組織の帳簿係をつとめる中年男の話と、組織に属さずにやんちゃな行動を繰り返す若者2人組の話が展開されるが、この2つのエピソードの顛末は悲惨である。

最も救いがあるのはパスクワーレの話だろう。最終的に彼は危険な目にあい、下請け会社の社長に命を助けられる。給料を上げるから仕事を続けろと言われるが彼は断る。最後のシーンでパスクワーレはトラック運転手をやっており、休憩時間にTVを見ている。小さな画面に、米国の女優スカーレット・ヨハンソンが彼の仕立てたドレスを着た姿が映し出されるのだ。

そのときの彼の表情が秀逸だ。どんな状況であろうと、ものをつくる行為の周辺には、美しい空気が漂う瞬間があるのだ。手に職があり、技術に誇りをもっていれば、必ずそれを正しくお金に換え、生きていけるはずだと信じたい。パスクワーレはトラックで走り去るが、彼はどこへ行くのだろう。

映像はリアル、音楽はポップ、デザインはソリッド。おぞましい効果音が流れる殺戮現場など、現実にはないということだ。エンディングテーマはマッシヴ・アタック。最前線のクリエーションが融合したこの映画に、希望を感じる。
2011-12-01