男の子は、笑いながら血を流す。
「ビートたけしに弟子入りし、この世界で漫才師として飯を食うようになって十余年が経った。(中略)この世界で言っていいことと悪いことの分別もつけ、無難に、安全に仕事を選び、上手くやりすごす処世も身につけてきた」という浅草キッド。
TVブロスから、この本のもとになる連載の話を持ちかけられたとき、彼らの中で「猪木イズム」が目をさます。猪木イズムとは、たとえ自分が天国にいたとしても、憎いやつが地獄にいたら、わざわざ地獄にぶん殴りに行くエネルギー。「いつ、なんどき、誰とでも戦う!」というフレーズに象徴される「燃える闘魂」である。
彼らは、戦いながら、戦いについて書いている。歴史に残るプロレスカードのほか、「和田アキ子vs.YOSHIKI」「たけしvs.洋七」「爆笑問題vs.浅草キッド」といった芸能界における豪華な対戦の顛末が実況・解説される。この本には、彼らがリスペクトしつつイジりくずしてきたキャラクターがたくさん登場するのだが、私が個人的に好きなのは「城南電機の宮路社長 vs. 大塚美容外科の石井院長」の「ロ-ルス・ロイス対決」と「水野晴朗vs.ガッツ石松」の「自作映画対決」。
子供っぽくて血の気の多い、どこかロマンチックな男たちが織り成す戦いは、かなり過激で馬鹿馬鹿しいが、そんな戦いに捨て身で絡んだり、落としたりする彼らの口調は、さらに過激で馬鹿馬鹿しい。笑いながら読んでいると、もはや、どこまでが茶化しなのか、どこまでがリスペクトなのか、どこまでが本当でどこからがホラ話なのかなんて、どうでもよくなってくる。男の世界とは、すべて壮大なホラ話なのではないだろうか。
芸人社会のキナ臭い陣取り合戦も、プロレス団体の確執も、まるで企業社会そのものだ。男って本質的に弱肉強食のサバイバルゲームが好きなんだなあと思うけど、この本は、過激でありながらも、そんな社会のルールをふまえている。尊重すべき人をちゃんと尊重しているように見えるし、笑いなき中傷はしないというマナーが意識されているように見える。
「どの道、そこに『笑い』があるなら、そこに『闘い』がある。他人を斬り付ければ、返り血浴びるのは、承知の上」と序章に書かれているように、過激さは、笑いの中にある。笑いというのは、真実に近づける切り札なのかもしれないな。彼らは、血を流しながらでもホラ話を書くだろう。少なくともその覚悟だけは読み取れる。
最後にビートたけしが言う。「バカ野郎! お前らは誰かを好きになり過ぎるんだよ」「この商売はなぁ、てめぇが星だと思ってりゃあいいんだよ!」「それが出来なきゃな、男の子じゃないよ」
そんな師匠へのリスペクトで幕を閉じるこの本は「未完」だという。浅草キッドが、これからどんな星になるのかが楽しみだ。キナ臭い陣取り合戦を降りて、一匹狼になるのだろうか。
この本は、まだまだ気を遣いすぎている、とも思えるのだ。
*浅草キッドHP「博士の悪童日記」に掲載されました。
http://www.asakusakid.com/diary/0105-ge.html
2001-04-02