『愛の風俗街道―果てしなき性の彷徨』 花村萬月(写真:荒木経惟) / 光文社 カッパブックス

嫌な思いをするために、女を買う。


鈴木くんが、水商売の女性とつきあい始めたという。 話をちゃんと聞いていなかった私(そもそも彼の話に登場する女の数が多すぎるのだ)は 、「鈴木くんが風俗の女性とつきあうなんて意外!」と軽口をたたいてしまうのだが、とたんに彼はむっとして、「風俗じゃないよ。水商売だってば」と怒り始めたのである。そこんとこだけは間違えてもらっちゃ困る、という感じで。 ああ、私は、なんてデリカシーのないことを言ってしまったんだろう。

世の中には、風俗が「好きな男」と「好きでない男」の2種類がいる。「好きだけど後ろめたいから滅多に行かない」「好きじゃないけど誘われれば行く」というような微妙なメンタリティの男性も多いのだろうが、大雑把にいえば「行く男」と「行かない男」に二分できるのではないかと思うのだ。

この違いは何なんだろう? ちなみに鈴木くんは、「風俗に行くほど女に不自由してるわけじゃないぜ」ってタイプである。じゃあ、一体どんな男が風俗に行くのか? 私の立てた仮説は、「欲望が強いのにモテず、男友達も少ない男は、1人で風俗に行く」「男同士でつるむのが好きな男は、モテるモテないに関わらず、連れ立って風俗に行く」の2つだ。つまり、風俗通いには、欲望を満たすという単純な動機のほか、おつきあい的な側面も見逃せないのではないだろうかという話。 本書は、主として2番目の仮説を具体的に検証してくれる。

「北海道」「東北・北陸」「関東」「京都」「関西」「四国・九州・沖縄」の6エリアにおける百戦錬磨な男の体験が、その土地の経済・文化的背景にまで踏み込みつつ語られる教育的な風俗ロード・ムービーだ。 「この中に紹介されている悪所場に独りで、あるいは悪友と出かけて、私の味わった愚かさと無常観と、そして幾ばくかの快感を味わってください」 「たくさん遊んでください。あるとき、あれほど煌いていたものが、ひどく縮んで、くすんで見えるときがきます。そうしたら、そろそろ卒業です」という具合。

著者は小学1年生のころから学校にほどんど行かず、五年生のときに紡績工場の若い女工さんたちに五百円で回され、中学の3年間に施設でトルエンを覚え、その後は女を知り尽くした悪ずれの十代を過ごし、バイト感覚で覚醒剤(結晶状態の純粋なもの!)を削るようになり、「薬を使って彼女にしてしまった彼女たちって二十人ほどかなあ」などとうそぶく。彼のキャリアに匹敵するワル(しかも更正したワル)は、なかなかいないだろう。

作家らしい含蓄あるお言葉も多い。

「お金では、美女は買えないのですよ。美女の心までモノにしなくては意味がないでしょう。金で買えるのは、看板のようなもの、だけなのです」
「街中だったら絶対に声をかけない、金を貰ったってやりたくないような女性でも、金を払うとやるしかない。で、『この人傷つけたらまじいな』とか、変なことまで思っちゃって。人類愛の世界です」
「こういう遊びは独りで行くよりも誰かと行った方が絶対に愉しいですね。一人で行ってですよ、なんか凄いお婆ちゃんと抱きあってしまったりすると、やたらと人生が暗く、重くなります」
「だいたい女性を金で買うという行為は、じつは嫌な思いをしに行くという側面が強いんでね(中略)このあたりがわからない者は、女性を買う資格がありません」

悪事の限界を知っている人だ。著者が「やめたほうがいい」ということは、たぶん、本当にやめたほうがいいことなのだろう。この本は、遊び方よりも何よりも、本当にヤバイことは何かってことを教えてくれる。
2001-12-16