フレッシュな遺影たち。
写真集に出会った。買ってしまった。買わされてしまった。
表紙のアイスキャンディーと帯紙のカラーコーディネートにやられたのか。サナヨラというわけのわからないタイトルに魅せられたのか。大森克己という人間の魂に突き動かされたのか。
4年かけてつくられた写真集らしい(ロバート・フランクみたいに焼き直しばかり出してる人とはちょっと違った)、脈絡はないけれど完成度の高い写真が並んでいる。この誠実で丁寧な世界が、自分には必要だったんだと思う。分けてほしかったんだと思う。写真集が「必要」になるなんて、ヤバさ半分、うれしさ半分。
なぜ、写真には、人柄が出るのだろう。生き方が出るのだろう。どんなものを前にしても、今の彼が撮れば、きれいなっちゃうんだろうか? 電車の中で女性の足を盗み撮りした1枚も、手のひらにハチがいっぱい乗ってる1枚も。ホンマタカシでも平間至でもない、ストレートすぎる健全なまとまりだ。この人は、カメラマンである前に、人として人気があるんだろうなと思わせるような。心洗われるというよりは、普通に生きようぜって突きつけられるような。
フレッシュな遺影たち。そんな感じ。
彼自身によるあとがきで、フィンランドで出会ったという「サナヨラ」の意味が明らかになり、この言葉が断然、身近になった。
「とても誠実で、はじまりとおわりが同時にある。よろこびとかなしみのニュアンスがおおよそ半分づつで、笑いのスパイス少々。そして全然ハードコアじゃない。僕の新しいあいさつだ」
木枯らし1号が吹いた早朝の東京の空と光はありえないほど輝いていて、これならまだ大丈夫、と私は思った。
2006-11-12