世界の終わりへの旅は、終わらない 2
ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレは、ストローブ=ユイレの名で映画を制作している夫婦。フランス国籍を持ち、ドイツで暮らした後、イタリアに移住した。カフカの未完の長編「失踪者」(旧題「アメリカ」)を映画化した『アメリカ(階級関係)』(1983-4)は、ドイツ人少年カール・ロスマンが故郷を追われ、船で単身ニューヨークへ渡る物語だ。世間知らずで誇り高い彼は、理不尽な階級社会にぶつかっていく。
ロビンソンという男は、そんな旅の途中で出会う因縁のアイルランド人。最悪のタイミングで再び現れ、カール・ロスマンにまとわりつき、金をせびり、大暴れする。カール・ロスマンはロビンソンの面倒を見たせいで、エレベーター・ボーイの職を失うことになる。パトリック・キーラー監督が『ロビンソン三部作』で引用したのは、ヒーローのチャンスを奪う厄介な男の名前だったのだ。
カール・ロスマンは、やがてオクラホマ劇場の裏方の仕事を見つけるが、輝かしい未来が待っているかどうかはわからない。しかし、これだけはいえる。私たちの人生において重要なのは、旅の途中で出会ってしまったロビンソンのような人物の言動を、少なくとも無視しないことではないだろうか。
カール・ロスマンは、オクラホマ行きの列車に乗る。延々と続くラストシーンに、映画の魅力が炸裂する。ミズーリ河沿いを走る車窓風景を2分間以上映し続け、さらに音だけを2分。「世界の終わりへの旅」は、ここにもあった。未完の小説の主人公、カール・ロスマンはどこへも辿り着かない。だが、車窓風景は変化し続ける。私たちは、変化を見つめることをやめてはいけない。
ストローブ=ユイレは『あの彼らの出会い』という作品で、2006年9月、ヴェネチア映画祭の特別賞を受賞した。妻のユイレが癌で亡くなる直前のことだ。「映画の言葉の革新」(l’innovazione del linguaggio cinematografico)に対して賞が贈られたという。
この作品は、パヴェーゼの詩『レウコ(白い女神)との対話』の映画化で、古代ギリシャの神々と人間の対話が、オリュンポスのような山中で演じられる。素人俳優が2人1組で本読みをしているだけのように見えるけれど、この映画における俳優は、いわば「詩の奏者」。バッハの二重奏をオリジナル・スコアに忠実に演奏するように、パヴェーゼの対話詩をオリジナル・テキストに忠実に発声しているのである。とんでもなくアグレッシブな試みだ。
夫のストローブは、ヴェネチア映画祭への欠席の手紙にこう書いた。「警察や私立警官たちがテロリストを探し回っている祝祭で、お祝い気分に浸ることはできそうにない。テロリストは私なのだ。わかりやすくフランコ・フォルティーニの言葉を引用しよう:“アメリカ帝国主義的資本主義が存在する限り、世界には決して充分な数のテロリストがいるとはいえない”」(D'altronde non potrei festeggiare in un festival dove c'è tanta polizia pubblica e privata alla ricerca di un terrorista - il terroristasono io, e vi dico, parafrasando Franco Fortini: finché ci sarà il capitalismo imperialista americano, non ci saranno mai abbastanza terroristi nel mondo.)
その後、パリ郊外で2005年10月27日に起きた事件の現場を記録したビデオ作品「EUROPA 2005 - 27 OCTOBRE」(12分)が公開された。ストローブ=ユイレが2006年春、イタリア国営放送の依頼で撮ったという。10代の移民労働者による暴動のさなか、2人の少年が警官に追い詰められた末、感電死した変電所の入り口付近が映っている。晴れた午後の風景はのどかだが、「止まれ!命を危険にさらすな」というフランス語の看板と、最後に映像と重なる「ガス室」「電気イス」というフランス語の文字がまがまがしい。桜の花が風に揺れ、犬の吠える声が聞こえる。ほぼ同じテイクが5回、繰り返される。
2015-10-27