『LP MAGAZINE numero2/Spring Summer 06』 / LA PERLA

表参道 VS モンテナポレオーネ通り。


取材を兼ねて、秋冬コレクション開催中のミラノへ行った。モデルやファッション関係者も多いビジネスの雰囲気は楽しいが、そのうちふと思う。これじゃあ東京にいるのと大して変わらない?

ブランド店が並ぶモンテナポレオーネ通りを歩いても、なんだか表参道を歩いているみたい。今や有名ブランドの多くが表参道近辺に進出し、店を構えているからだ。だけど、圧倒的に違うのは建物。石造りの古い建物が続くモンテナポレオーネ通りには、それだけでシックな風格が感じられる。

一方、表参道はといえば、統一感のない建物が無秩序に並び、我こそが目立て!という感じ。新しい建物が次々にできるから、目立てる期間は短く、エスキス表参道なんて、まだ4年ちょっとなのに解体してしまった。この中のいくつかのブランドは表参道ヒルズに移ったことになるわけだが、来年は、ここにどんな目新しいビルができるんだろう?

だが、東京とミラノの本質的な違いは建物じゃない。世界一のブランド輸入都市、東京とは異なり、ミラノの店はほとんどが自国ブランドで、レストランもカフェもブティックもイタリアン。自国の文化で埋め尽くされているというわけだ。

中心街に近い、流行りのレストランを予約してみたものの、場所がわからなくなってしまった。仕事帰りっぽいミラネーゼに聞いたら「この店をどうして知ったの!? ここは超おいしいわよ。一緒に来て」と案内してくれた。
最近、表参道近辺にもアジア方面からの旅行者が多く、私もよく店の場所を聞かれる。でも「この店をどうして知ったの!?」と驚いたりはしない。プラダもコルソコモもレクレルールも輸入ブランドであり、アジアからのお客様にとっても私にとっても、それらは同じ「異国文化」なのだ。もしも骨董品屋や蕎麦屋の場所を聞かれたら、私だって「この店をどうして知ったの!?」と思わず聞き返してしまうかも。

「LP MAGAZINE」は、イタリアのランジェリーブランドLA PERLAが発行している伊英 2か国語併記の雑誌だ。最新号は高級感のあるシルバーの装丁。春夏ランジェリーの紹介やショーのバックステージ、自社製品のハンドメイドへのこだわりやインテリアに関する記事なんかもある。

中でも興味深いのが、イタリアで暮らすことを選んだ日本人女性アーティストへのインタビュー。イチグチケイコ(漫画家)、スズキミオ(インテリアデザイナー)、スナガワマユミ(シェフ)、オガタルリエ(ソプラノ歌手)の4人に「日本へ持って帰りたいおみやげは何か?」「忘れられない日本の記憶は何か?」などと聞いている。

「日本へ持って帰りたいおみやげ」として彼女たちが挙げたのは、長い休暇、ゆっくり楽しむ食事、安くて美味しい肉や野菜、太陽、活気、温かいイルミネーション、社交場としてのバール、エスプレッソマシーン、生ハム、ワイン、パルミジャーノレジャーノ、など。
一方、「忘れられない日本の記憶」としては、四季、花、温泉、桜、新緑、紅葉、新幹線、効率的なサービス、時間厳守、ストがないこと、など。
イタリアのよさは、ゆとりと活気と食文化。日本のよさは、四季折々の自然の美しさと便利さ。そんなふうにまとめられるだろうか。

イタリア在住35年のソプラノ歌手、オガタルリエさんが「忘れられない日本の記憶」のひとつとして「セミの声」を挙げているのを見て気がついた。
表参道にはけやき並木があり、そのせいで、夏にはセミが鳴く。これらは、石造りの建物が並ぶばかりのモンテナポレオーネ通りには、ないものだ。

表参道ヒルズを低層にし、けやき並木を生かすことを何よりも優先した安藤忠雄は、正しいのだ。
2006-03-10

『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 青山真治(監督) /

役に立たない音を、出してみたい!


ギターを手にした浅野忠信が、4つの巨大なスピーカーを据えた草原で爆音を轟かせるシーンを見て、ヴィンセント・ギャロが白い砂漠をバイクで疾走する「ブラウン・バニー」の印象的なシーンを思い出した。
バイクに乗る理由と、ギターを弾く理由は、似ているのだと思う。

人間を自殺に至らしめる「レミング病」のウィルスが世界中に蔓延しつつある2015年。「浅野忠信と中原昌也のユニットが演奏する音楽に、発病を抑える効果がある」という事実がつきとめられる。

職人的な2人が、海やスタジオで黙々と作業したり、岡田茉莉子のペンションで食事したりする日常の風景は気持ちいい。演奏以前の「音づくりの原点」の描写はそれだけで楽しくて、ちょっとしたセリフすらも邪魔に感じてしまうくらいだ。近未来という設定や富豪一族の盛衰、回想シーンなどの説明的な要素も、うっとうしい。

結局、彼らの音はレミング病にきくのだろうか? 「本気の自殺」と「病気の自殺」はどう違うのか? ・・・んなことも、どーでもいい。理屈っぽいことは抜きに、ただただ開放的なロケーションと音楽を心ゆくまで楽しみたいのですが、ダメですか?

ウィルスに感染しなくたって、先進国では多くの人が自殺する。死を選ばなければならないほど不幸な人が多いともいえるけど、自由に死を選べるほど幸福な人が多いともいえる。誰がいつ病気や事故で死ぬかわからないのと同じくらい、誰がいつ自殺するかはわからないし、その本当の理由や感想なんて想像できない。生きている人を観察したって、その人が今幸せかどうかなんて判別できないわけだし、他人が決めつけるほど失礼なことはないだろう。

誰かが死んだとき、近くにいる人は、必要以上にがっかりしたりせず、自分の仕事をまっとうしろ! そういう職業映画なのだと思う。浅野忠信は、恋人に加え、仕事のパートナーまで自殺で失うが、このことが既に「音楽で人の命なんか救えない」と証明しているようなものだ。

パートナーの遺影は、パソコンのモニターに映し出される動画。浅野忠信は、死後も作業を続ける彼の姿を見て笑う。岡田茉莉子は、何十年もかけてようやく美味しいスープがつくれるようになり、客なんて来なくてもペンションの営業を続けていく。生きている人は、生きている限り、淡々と生き続ける。

誰かを救うために演奏するのではなく、したいからする。音のききめは、天に訊け!
むしろ音楽は、死者のために演奏されるべきで、誰かが死んだら、生きている人が「もっと生きる」しかない。すべての音はレクイエムであり、すべての表現は、先人へのリスペクトからスタートするはずだ。 この映画から思い出されるのは、ギャロの「ブラウン・バニー」だけじゃない。小津の「秋日和」、ヴィスコンティの「異邦人」、アンゲロプロスの「こうのとり、たちずさんで」、ロバート・フランクの「キャンディ・マウンテン」、ヴェンダースの「ことの次第」・・・。

先人や先輩をリスペクトし、影響を受けまくる映画監督、青山真治の真骨頂。
敬愛する人々の声をききつつ、自分の音を奏でるこの映画は、「役に立つこと」や「元をとること」ばかりを目指す商業主義的な表現への、痛烈な皮肉でもあるのだろう。

非常識なくらい大きな音を出すというだけで、価値がある。
バイクに乗る理由と、ギターを弾く理由と、映画を撮る理由は、似ているのかもしれない。
2006-02-14

『ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」』 マーティン・スコセッシ(監督) /

帰るための旅や、目的地をめざす旅は、つまらない。


ボブ・ディランの映画なんていっぱいあるのに、なんで今さら? しかも3時間半!
だが、ちらっと目にしたモノクロのスチール写真は、公開中のほかの映画と比べると素晴らしすぎて、劇場に足を運ばずに済ますわけにはいかなかった。

現在のボブ・ディランの語りをベースに、アメリカとボブ・ディランの60年代くらいまでを検証するこの映画は、回顧的ではなく現在進行形。音楽がどうやって受け継がれていくかに焦点をあてたものだった。彼はフォークやロックの創始者というわけじゃなく、継承者の一人に過ぎない。それは、ごく普通の若者の軌跡のように見えた。ロックとは素直さ。かっこよさとは純度。そう断言したくなる理由は、彼の原点がバンドではなくソロだからだ。

昔の映像はもちろん、現在のボブ・ディランのかっこよさといったらどうよ? 彼は今もノー・ディレクション・ホーム、道の途中なのだ。「たいした野心があったわけじゃないが、自分のホームを見つけたかった」というような、みずみずしい言葉にあふれた10時間におよぶインタビューは、長年の友人が撮ったものという。D.A.ペネベイカーの「ドント・ルック・バック」(1967)のほか、アンディ・ウォーホルやジョナス・メカスによる映像も登場し、イタリア系アメリカ人監督、マーティン・スコセッシのセンスが光る。

監督はインタビューの中で「今、世の中で起きているあまりにもたくさんのことによって自分自身を吸い取られるな」「ただ人が話をしているだけで、すばらしいロードムービーになりえるんだ」と言っていたが、ボブ・ディランが普通に話しているだけで、観客は心洗われてしまうのだから参っちゃう。人はこんなふうにしゃべればいいし、こんなふうに生きればいい。でも、それが難しいから、彼の発言のひとつひとつにクギづけになる。私たちの体はふだん、紋切り型のカサカサした安っぽい言葉に埋もれ、血が出そうになっているんじゃないだろうか。

ポリティカルソングの旗手として喝采を浴びたボブ・ディランがエレキギターを手にしただけで、ライブはブーイングの嵐。「商業的なポップミュージックじゃなくてフォークを聴きにきたんだ」と怒るファン。「この曲はどういう意味なのか?」と迫るマスメディア。しかし、今となってはジャンルなんてどうでもいいし、彼の詩に「意味」なんてない。ビート詩人アレン・ギンズバーグが「激しい雨」を聴いて自分もずぶ濡れになったと語るシーンや「ライク・ア・ローリング・ストーン」は50番まで歌詞があったという事実にこそ意味がある。ボブ・ディランは7年連続でノーベル文学賞候補になっているらしいけど、その理由がわかる気がした。

ファンは勝手だとか、マスコミは馬鹿だとかそういうことじゃなくて、通りすぎる景色というのは、自分とは関係ないことがあまりにも多い。困惑しながらも、そんな状況に対処するボブ・ディランの姿にはしびれてしまうけれど、心奪われるものだけに影響を受けていれば前を見失うことはない。インチキなものに取り囲まれていても、取り込まれないで生きることは可能なのだと、彼は、全力で示した。

How does it feel どんな気分?
To be on your own ひとりぼっちで
With no direction home 帰る場所もなく
Like a complete unknown だれにも知られず
Like a rolling stone? 転がる石のように生きるのは


*シアター・イメージフォーラム、シアターN渋谷、吉祥寺バウスシアターで上映中
2006-01-26

『東京タワー』 リリー・フランキー / 扶桑社

「オトン」と「ボク」。


パリの三ツ星レストラン「ピエール・ガニェール」が東京に進出した。
この店の主役は、肉や魚じゃない。お菓子のようにちまちましたスパイシーなアミューズ、とろけるような球形のバター、コース料理のように次々と登場するデザートのお皿・・・。
メインディッシュは夜景である。といってもそれは、宝石箱のような窓にトリミングされた、ブローチのような東京タワー。「厨房のピカソ」といわれるフランス人シェフのこだわりなのか、ここまで貴重品のように扱われる東京タワーも珍しい。

リリー・フランキーの小説「東京タワー」は、その窓と同じくらい、私にとってリアリティーのないものだった。

母というのはこうでなくちゃ、女というのはああでなくちゃという女性像を押しつけられる感じが強く、読んでいて苦しい。「ボク」にとっての踏み絵は「オカン」だ。「オカン」と相性がよくなければ「ボク」のテリトリーには入れない。

東京へ出てきた「ボク」が極貧の生活から這い上がり、徐々にまともになっていくのは、「ボク」が呼び寄せた「オカン」が「湯気と明かりのある生活」を実現し「ボクが家に居なくても友達や仕事相手がオカンと夕飯を食べているという状況」が珍しくなくなるほど、オカンのキャラクターが多くの人に愛されたからだ。
どこの誰がきても食事をふるまう「オカン」。こんな母親ってうらやましい。だが、この食事もまた踏み絵なのだ。

「お嬢様大学に通いながらゼミの紹介で出版社のアルバイトをしている女学生」が「ボク」のイラストを受け取りに来るが、「オカン」がすすめるお茶や食事にまるで手をつけない。その態度が遠慮ではなく「奇異であり迷惑」の表明と見極めた「ボク」は激しく憤り、彼女が帰ったあと、それを平らげてくれるアシスタントを呼び「マスコミ志望のヤリマンが残したもんだけど」と言うのであった。

この彼女のほか、「オカン」が亡くなった日に原稿の催促の電話をかけてきた女性編集者、そして「オカン」とうまくいかなかった父方の祖母、さらに「オカン」を幸せにしてやれなかった「オトン」に対しても「ボク」は厳しい。アパート暮らしを始めたころに通っていた別府の定食屋のおばさんがつくる、古い油のにおいがするおかずや具の少ないクリームシチューに対しても…。

この本の厚さは情の厚さであり、普通の男なら、きっと1行も書かずに心にしまっておくような内容だ。表現しない限り、他人に侵される心配もないのだから。だが「ボク」の場合は逆で、他人に侵されないようにするために、渾身の愛を臆面もなく綴った。守りのためのナイーブな攻撃性は、痛々しくもある。

「ボク」がそっくりなのは、「オカン」ではなく、実は「オトン」である。父親から受け継いだ恐るべきDNAを自覚し始めるとき、「ボク」の攻撃性は和らぐのかもしれない。「オトン」は、自分の母親と相性の悪かった「オカン」をテリトリー外に追いやった人。その不器用でカタクナな愛は、「ボク」が守り抜く「オカン」への愛と相似形を描く。

東京の人々に愛され、華やかな葬式に加えB倍ポスターまでつくってもらった「オカン」の魅力ってマジですごいなと思うけど、私は、あまり人には好かれそうもない「オトンの母親」のほうにリアリティーを感じる。老人介護施設にいる彼女を「オトン」と「ボク」が揃って見舞う風景は美しい。映画なら、いちばん残るシーンはここ。
父探しの物語は、まだ始まったばかりだ。
2006-01-16

『野ブタ。をプロデュース』 白岩玄 / 河出書房新社

内面のない男の子。


ドラマ「野ブタ。をプロデュース」が終わった。
まわりには「ドラマなんて見てない」「そのタイトルはどーかと思う」「KAT-TUNって何?」な人が多く、そのたびに私は「ドラマの中で『修二と彰』を演じたKAT-TUNの亀梨和也クンとNEWSの山下智久クンが歌うレトロな主題歌『青春アミーゴ』は今年初のミリオンセラーであり10代から40代まで幅広く売れている」とか「原作は文藝賞を受賞し芥川賞の候補にもなったステキな小説である」とか「1983年生まれの著者は『修二と彰』を足して2で割ったように見えなくもないジャニーズ系の男である」とか、たいして意味のないフォローをしたものだった。

私が本当に言いたかったのは、修二のキャラクターがいかに面白かったかってこと。自分の気持ちで動かない主人公、修二。要するに彼には「強い思い」がないのだ。現実へのイラだちや飢餓感とは無縁で、ちっともひねくれていない男。もしかしたら、原作を書いた著者にも「強い思い」なんてないんじゃないだろうか? と思ってしまうほど、それはリアルだ。

「変わりない生活はだらだらと続いていく。俺たちのだらだらぶりは多少時代のせいもあるはずだ。若者はいつだってその時代を如実に映している」

ただし必要以上に近づいてきて、内面に入ってこようとする奴に対してはビビりまくる修二。自分が実は冷たい人間なんじゃないかってことがバレちゃうからだ。ほとんどこの1点のみに怯えながら、人気者としての自分をプロデュースし、完璧に取り繕ってゆく修二。外見も育ちも要領も完璧に生まれついた男の子の、これは新しい悩みの物語なのか? コンプレックスがないことのコンプレックス。内面がないことの恐怖。だから今日も、修二は外側を着ぐるみで固めて学校へ行く。誰も入ってこれないように。

中身がないのに外見や口先がそれっぽくて、頭もよくて、根拠のない自信に満ちているって、どんな気分? 自分がプロデュースしたかっこいい自分。嘘でぬり固めた日常。だが、この小説には、そのことの底知れぬ空しさが描かれているわけではない。

「近過ぎたら熱いし、離れすぎたら寒い。丁度良いぬくいところ。そこにいたいと思うのはそんなに悪いことか?」

修二は、ださださの転校生をプロデュースし、人気者に仕立てる。プロデューサーってのは、客観的に人を見て、遠隔操作していくことだから、これは修二の得意技。だけど、相手は彼に感謝し、踏み込んでくる。そう、修二が苦手なのは、他人の心なのだ。その重さ。その深さ。そのまじめさ。そのうざったさ。やがて修二の冷たさは、思いがけないところで露呈してしまう。いったん着ぐるみがはがれると、何もかもうまくいかない。

「本当は、誰かが俺のことを見ていてくれないと、不安で死んでしまいそうだったんだ」

流暢な会話ができなくなり、しどろもどろになる修二はいとしい。丁度良い距離というのが、実はそれほど簡単には手に入らない、特権的なものだったことを彼は知る。

でも、そんな修二に対して、私は思う。
いつまでも冷たい、他人の気持ちなんてわからない修二でいてほしい。
弱みなんて見せない、表面的にかっこいい修二でいてほしい。
― この小説は、そんな思いにちゃんとこたえてくれる。

とりあえずラーメン食う。とりあえずマンガ読む。とりあえずテレビつける。悩みなんてなーんもないようにみえる。それが、男の子のあるべき姿なのだ。
2005-12-22

『平成マシンガンズ』 三並夏 / 河出書房新社

15歳のジレンマ。


「あたしも何故かこのマシンガンは人を殺さないような気がしていたから特に気にせず、浮かび上がった父や母、愛人や友達を適当に撃った。撃って何が起こるというわけではない、相手が死ぬわけではないし怪我もしないし心の傷も与えない」

なんて健康的な夢だろう。大人の作家なら、クールな視点や変化球で突き抜けようとするところだが、この小説はどこまでも王道。逃げないし、ひねてない。つまらない同級生やつまらない大人たちを過剰な自意識で見下しながらも、自分自身もまた相当つまらない人間であることがわかってしまっていて、それはどうしようもないことなのに、どうにかしようと思っている。

彼女のジレンマは「相手にダメージを与えないマシンガンで打ちまくる」というゲーム的なモチーフに結晶している。それは、手ごたえがないということではなく、自分自身だけにダメージを与えるという建設的な意味を含んでいる。

相手をなぐったり傷つけたりしてはいけないことになっている時代。なんとなくきれいに整備されている日々。生まれたとき既に1990年だった平成生まれの彼女は、何事もなかったかのような不自然さでアメリカナイズされた退屈な学校生活の中で「本能に従って自分の意思でしていること」はいじめだけと言う。

彼女たちの世代が可哀想ってわけじゃない。いつの時代も、子供たちの仕事は、大人たちに反抗することなんだから。だけど一体何に反抗すればいいかわからないのだとしたら、パワーがあり余るかも。いじめたり、いじめられたりを延々と繰り返すことで、かろうじてバランスをとっていくわけだ。

生々しいものは、とりあえずゲームの中にしかない。だからゲームで練習するしかない。この世に生まれ落ち、好きなことが見つかるまではゲームを続けてもいいし、ゲームを続けるしかないし、何なら一生ゲームに熱中したっていい。

そう、そのくらい、ゲームは子供にとって必要不可欠。もしもゲームが手に入らなければ、夢にゲームが出てきちゃうだけの話だ。夢にはいつも、現実にたりないものが登場して、私たちを満たしてくれる。だからせめて、大人の妄想がつくったゲームから選ぶのではなく、オリジナルな妄想を夢の中に構築したいもの。彼女はそれをやった。だから小説になった。思考停止状態からの、正面からの脱却を試みた。

「討つべき標的を知りたいと思った。闘うべき敵の正体を知りたいと思った」

まずは、世の中をまんべんなく撃ってみる。
そして、自分自身に跳ね返ってくるダメージを感じてみる。
やがて彼女は、本当に撃つべき相手のみを、正確に狙い始めるだろう。怖い!楽しみ!
2005-11-29

『春の雪』 行定勲(監督)/三島由紀夫(原作) /

三島由紀夫(80)の魂はどこに?


三島由紀夫の遺作「豊饒の海」。その第1巻である「春の雪」を読み直しながら、これはレオパルディだ、と思った。たまたまイタリア的悲観主義に関する本を読んだばかりだったので、三島由紀夫とレオパルディが結びついたのだ。

「彼(レオパルディ)の思想を簡単にまとめると、自然を超越するもの(神など)は存在しない。したがって、人間が置かれた状況(身体的、物質的な制限/制約も含め)から逃げられることはあり得ない。そして、人間の状況/環境である自然は、善良で優しいものではなく、邪悪な性質を持つか、それとも、少なくともニュートラルなもので、人間の苦に対しては冷淡で無関心である」 -「イタリア的『南』の魅力」ファビオ・ランベッリ(講談社選書メチエ)より

だけどまさか「春の雪」の終盤に、レオパルディの名がダイレクトに登場するなんて気づかなかった。学習院の校庭外れの草地で「美しい侯爵の息子」である主人公の清顕(きよあき)が、お化けと呼ばれる「醜い侯爵の息子」に初めて話しかける場面。

「いつも何を読んでるの」
と美しい侯爵の息子がたずねた。
「いや……」
と醜い侯爵の息子は本を引いて背後に隠したが、清顕はレオパルジという名の背文字を目に留めた。素早く隠すときに、表紙の金の箔捺(はくお)しは、一瞬、枯草のあいだに弱い金の反映を縫った。

「豊穣の海」全4巻の伏線ともいえる唐突なこの場面は、映画「春の雪」には出てこない。映画を見るだけでは、三島由紀夫のため息が出るような美文とその恐るべき読みやすさに度肝を抜かれることもないし、清顕の豊かすぎる想像力がもたらす屈折したお坊ちゃまぶり-喪失を恐れるがゆえの傲慢さや天真爛漫な残酷さといったきらめくような魅力-も圧倒的にたりない。

だけど、映画「69 sixty nine」における妻夫木くんに清顕との共通点を見出し、今回抜擢したのであろう(あくまで想像ですが)行定監督のセンスはさすがだと思う。個人的には、窪塚くんが演じる清顕も、ぜひ見てみたいところだけど。

映画「春の雪」は後半、禁じられた恋という制約の中、ようやく王道を駆け上がり、転げ落ちる段階になって、主演の2人(妻夫木聡&竹内結子)の魅力が増した。地位や伝統や着物は、乱れてこそ美しいのである。

清顕の周囲は、それぞれの政治力で動く鈍感な大人ばかりだが、中でも「咲いたあとで花弁を引きちぎるためにだけ、丹念に花を育てようとする人間のいることを、清顕は学んだ」と原作で表現される蓼科のユニークな人物造型を、大楠道代がうまく表現していたのが面白かった。

特筆すべきは、月修寺門跡を演じた若尾文子で、もうすぐ72歳の誕生日を迎えるというのはうそでしょう?の美しさである。三島由紀夫と若尾文子は、かつて「からっ風野郎」(1960)という増村保造監督のヤクザ映画で共演したというのも驚きだが、三島由紀夫がいま生きていれば80歳。この映画にだって、きっと出演していたに違いない。

いい作品は、作者の死後も、あらゆる世代によって真剣に受け継がれるのだなと思う。
若尾文子の高貴な京都弁、そして、ラストに流れる宇多田ヒカルの「BE MY LAST」が、この作品に魂を吹き込んだ。
2005-11-07

『ジグマー・ポルケ展 ― 不思議の国のアリス』 上野の森美術館 /

みずみずしい毒。


ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファーらとともに現代ドイツを代表する画家、ジグマー・ポルケ。日本での個展は今回が初めてだ。「日本におけるドイツ年」ということでようやく実現したわけだが、お金を出したのは日本側。ドイツのいかなる公的機関の助成も受けていないという。「ゲルハルト・リヒター展」(川村記念美術館11/3~)は、デュッセルドルフの州がバックアップしているというのに!

だから、今回のポルケ展は「すべてをカバーできていません。ドイツ人たちがまったく協力的でなかった点は強調しておいてください。オープニングなどになればどうせ彼らはやって来て、自分の手柄のように振る舞うでしょう」(美術手帖11月号インタビューより)ということなのだ。

「不思議の国のアリス」は1971年の作品タイトルで、既成のプリント生地を悪趣味に組み合わせ(2種類の水玉+サッカーのイラストプリント!)、その上にアリスと芋虫と毒キノコ、そしてアリスとは何の関係もないバレーボール選手が落書きのように描かれている。たちの悪い冗談のようだが、いつまでも見ていたい絵だ。なぜ、この作品がポルケ展のサブタイトルに?と考える間もなく、私は既に、自分がアリスの視点でポルケ展を見ていたことに気付く。

ポルケの絵は大きい。これは想定外のことだった。本の中でしか見たことのなかった絵たちが目の前に立ちはだかった瞬間、私は毒キノコを口にしたのである。

大きさも色も、本の中の印象とはまるで違い、別の作品集を見ると、またもや違う。とりわけ紫の顔料を使った3部作「否定的価値」(1982)と、血を思わせる天然の朱砂(水銀と硫黄の化合物)を使った4部作「朱砂」(2005)については、印刷物と実物はまったくの別物!としかいいようがない。2つの作品群は驚くほどフレッシュで、ところどころが濡れたように光っている。会場の温度が上がると、どろどろに溶け出すのかも…。そう、これらは、毒をもりこむように化学変化を想定した色。魔術的な意味を画材にこめるポルケが、錬金術師とよばれる所以である。

21世紀における絵画の意義と役割について、ポルケは控え目に語る。
「絵画があるということはいいことだ、と言っておきましょう。(中略)社会は絵画を必要としていません。社会が求めているのは映像であり、それは今日では機械的に、写真の技術で、フィルムその他によって創り出すことができます。絵画にもう何も啓蒙的なものはありません」

だが、こんなセリフを真に受けてはいけない。真実はいつだって作品の中にあり、実物をみれば一目瞭然なのだから。図録にも収まらず、公的機関のサポート枠にも収まらないポルケは、これからも世の中をあざむき続けるだろう。


*上野の森美術館で開催中(10/30まで)
*国立国際美術館で巡回展(2006年4/18~6/11)
2005-10-28

『アワーミュージック』 ジャン=リュック・ゴダール(監督) /

説教をやめたゴダール。


「地獄」と「天国」の間に「サラエボ」がある。とてもわかりやすい3部構成だ。
サラエボ編にはゴダール自身が出てきて、映画についての講義までする。だが、ほとんどの学生は退屈そうだ。「デジタルカメラは映画を救えますか?」と質問されたゴダールは何も答えないし、学生の一人であるオルガの死を知ったときも、ゴダールは何も言わない。

代わりに、パンフレットには、ゴダールのこんな言葉が紹介されている。

「昔は小さなデジタルカメラは存在しなかったけれど、こうした道具があるためにいっそうこの仕事は難しくなっているということです。誰でもデジタルカメラを買ってそこにある木を撮影することはできる。でもそれが映画になるわけではない。絵筆さえあれば誰でも画家になれるわけではないのと同じです。でもなぜかあの小さなカメラを買って技術的なことを一通り把握すると、これで映画が撮れると思ってしまうらしい」

「カンヌで観客に見せるためには英語の字幕をつけなければならない。私は最初は拒否したんです。なぜ英語字幕なのでしょう。(中略)英語字幕をつけることで、人は映画そのものを見なくなってしまう。観客は字幕を読み、時々顔を上げて画面にブラッド・ピットがいるかどうか確認するわけですが、この映画にはブラッド・ピットはいないので、途方に暮れてしまうのです」

「ところで、16対9という、日本発で世界中で採用されつつある画面サイズは、あなた方の目の形から来ているのでしょうか?日本人は世界を横長に見ているということでしょうか。(中略)わたしは棺や蛇のような横長サイズよりクレジットカードの形のほうがまだしも好きです」


この映画でゴダールが描く「天国」は、しっとりとした場所だが、楽園のイメージからはほど遠い。これが天国なのだとしたら、ゴダールはこれまで、天国ばかりを撮ってきたことになる。

「地獄」は各種戦争映像のモンタージュだ。ゴダールは自分でもしばしば戦争を描いているけれど、それは天国との違いがわからないようなヘナヘナでファッショナブルな戦争であり、お金をかけないキッチュな戦争だ。ゴダールは、地獄を撮ったことがないのだと思った。そして、それこそがゴダールを見るべき理由なのだ。

ゴダール以外の多くの映画は、多かれ少なかれ、地獄あるいは地獄を思わせる通俗的な概念にまみれていて、それが見る側を疲れさせる。映画よりも現実の風景を見たほうがマシなのではないか?という考えを捨て切れないのである。

だが、ゴダールの映画は、現実の予定をキャンセルしてでも見る価値がある。そこには、地獄がないからだ。広告看板とは逆の、心洗われるみずみずしさ。お金儲けのことばかりを毎日考えなければならないような人は、絶対見に来たほうがいいんじゃないだろうか?などと余計なことを思いつつ客席を見まわすと、あまりそういうことを考えていないように見える、幸せそうな人ばかりだった。

「天国」のラストシーンは美しい。「よく晴れた日だった。遠くまで見える。でも、オルガのいる所までは見えない」というナレーションが、「気狂いピエロ」(1965)のラストで引用される「見つけたぞ。何を? 永遠を」というランボーの詩に重なった。


*2004年 フランス=スイス 80分
*シャンテ・シネで上映中
2005-10-20

『アミービック』 金原ひとみ / 集英社

六本木ヒルズは醜悪か?


仕事場に向かう路地の正面に、派手なビルが見える。その形は意外と知られていないようで、「あれは何?」とこの2年間、何度も聞かれた。「六本木ヒルズの森タワー」と答えると、その後の反応は2通りだ。
a「そうなんだ!」(やや肯定的)
b「そうなのー」(やや否定的)

根津美術館から見えるその建物を「醜悪だ」と評する人もいる。芝浦で仕事をしているクレバーな幼なじみに「六本木ヒルズってどう思う?」と聞いてみたら「ごめん、行ったことない」とあっさり言われてしまった。「六本木ヒルズだけじゃなくて、汐留も丸の内もお台場も…」と。私だって仕事上の必要がなければ行かないかもしれないな。私はたまたまドメスティックな仕事をしており、彼女はグローバルな仕事をしている。その違いだ。

六本木ヒルズという場所にリアリティを与えてくれた、金原ひとみのアミービックな感覚には、そんなわけで、とても共感する。

「さっきタクシーを降りた時に目に入り、気になっていたコートを、やっぱりもう一度ちゃんと見てみようと思いながらヴィトンに向かった。黒いベルベットのコートを羽織り、腰元のベルトを締めると、それはぴちりと私の体にフィットした。じゃあこれを。何故だろう。何故買ってしまったのだろう。これで、今年に入って六枚目だ」

無感動にお金を落とせる場所。それが、六本木ヒルズの美しい定義かもしれない。「アミービック」は「私」が六本木ヒルズに足を向けてしまう理由をめぐる物語だ。「パティシエ」という言葉が冗談のように連発され、私たちを暴力的に取り巻く「おいしいお菓子」にまつわる定義を一蹴してくれる。「幸せな女はお菓子をつくる」というのはウソだし、「愛をこめてつくるお菓子はおいしい」というのもウソだし、「女はお菓子が好き」というのも大ウソなのだ。

「どうして私は始めてのお菓子作りでこんなにも完璧な代物を作り上げる事が出来るのだろう。何故私には出来ない事がないのだろう。何故私は嫌いな物に関しても天才なのだろう。もしかしたら私に出来ない事などないのではないだろうか。しかしそれにしても全く見ていると吐き気がする。全く、こんなもの世界上に存在すべきではない」


美しさとは、過激である。飲み物と漬け物とサプリメントで生きる「私」は、過激に美しい。それは、気にくわないものを徹底的に拒否する、過剰な全能感によって達成される。言い換えれば、ストレスをまともに感じることすらできず、不都合なことはすべて記憶から無意識に抹消されるほどの病的さだ。

こんなにも不健康で美しくてパーフェクトな女が、どこから生まれるのかといえば、無神経に二股かけるような冴えない普通の男から生まれる。女の過激さは、男の鈍感さの産物であり、女は鈍感な男とつきあうだけで、どんどん美しくなれたりするのである。すごい真理。すごい集中力。ありえない勘違い!

女がどれほどヤバイ状態になったら、男は気付くのだろうか?
2005-10-03

『頭文字<イニシャル>D THE MOVIE』 アンドリュー・ラウ&アラン・マック(監督)・しげの秀一(原作) /

観客全員が喜んでいた!


昨年10月、ユニマット不動産が160億円を投じて渋谷に開業し、今年3月、早くも東急リアルエステートが245億円で買い取った話題の不動産ファンドビル「ピカソ347」には、ファッション、インテリア、カフェ、レストラン、フィットネス&スパといったテナントが高い賃料で入居しているわけだが、先週の土曜あたりからターゲット外のように見える男子が集まるようになったのは、7・8階のシネコン「アミューズCQN」で「頭文字<イニシャル>D THE MOVIE」の上映が始まったせいである。

連載開始から10年。31巻までの発行部数が3900万部を突破した伝説のマンガを実写化するという信じがたい快挙を成し遂げたのは、香港映画だった。

原作ファンの監督は「日本人にとって、原作は国宝のような存在。現に、映画化権を取得するだけで、かなりの時間を要した」という。「頭文字<イニシャル>D」という現在進行形の国宝を自在に構成し、イメージをこわさずにコンパクトにまとめてみせた手腕には、香港映画の底力を見せつけられた感じ。原作者も手放しで絶賛しており、アジア各国では既に大ヒットを記録している。

撮影は日本でおこなわれ、カースタントは高橋レーシングが担当。だが、ガードレールにクルマを激突&クラッシュさせるような危ないシーンは、日本映画では撮れなかったかもしれない。青少年がマネしたらトヨタの責任になっちゃうもんな。

脚本もカメラも音楽も編集もバツグンのセンスだけど、とりわけキャスティングは素晴らしく、アジアの俳優たちが、みごとに登場人物になりきっている。私は字幕版をみたが、何の違和感もない。微妙な文化的ズレは、非常にマンガチックであって、それはつまり、マンガの映画化にふさわしすぎるズレなのであった。

父親がチューニングしたハチロクで、家業である豆腐を運ぶうちに信じ難いドラテクを身につけてしまうぼーっとした高校生、拓海を演じるのはジェイ・チョウ。台湾の芸能人長者番付1位という彼が、映画の中では、ガソリンスタンドでバイトする「近所の男の子」にしか見えない。

そんな拓海が経験する等身大の恋愛は、せつなすぎ。恋愛映画や恋愛小説といわれるもののほとんどは退屈であり、走り屋映画における長期的視野の中でこそ、恋愛は真の輝きを放つのである! と言い切ってしまいたいくらい、この映画における恋愛の描き方は魅力的だ。人生において、恋愛というのはたぶん、このくらいの分量が理想的なのだと思う。

大好きな彼女が、ベンツに乗ったオヤジとつきあっていると知ったとき、高校男子としてはどうすべきか? ここでつまずくと、男は人生を最後まで間違えることになるが、おそらく拓海が選んだ道は圧倒的に正しくて、したがって、頭文字<イニシャル>Dはまだまだずーっと続いていくはずなのである。


今シーズンのF1は、佐藤琢磨が思うように実力を発揮してくれないため、何となくウツウツしていた私だが、この映画を見てすっきりした。琢磨様(28)もアロンソ様(24)もライコネン様(25)もシューマッハ様(36)も、十代のころは皆、拓海だったのだ! そう思うだけで、残り3戦、ブラジルGPも日本GPも中国GPも、まっさらな気持ちで応援できる。
琢磨様にも、ぜひ見てほしい映画だ。
2005-09-22

『セッソ・マット(sesso matto)』 ディーノ・リージ(監督) /

1973年のレオンとニキータ。


つっこみどころの多い扇情的な特集タイトルで話題のペア雑誌といえば、「ちょい不良(ワル)」でおなじみの「レオン」と「艶女(アデージョ)」でおなじみの「ニキータ」。
10月号の見出しは、こんな感じだ。

●スーツからジャケパンまで選びのキモはちょいタイト 「モテピタ」オヤジの作り方 (レオン)
●小僧のツルツル顔よりも、オヤジの「渋顔」がい~んです! イタリアオヤジの「味出し美容」 (レオン)
●大いなる日本人女性の勘違い!! 「上品」こそが「SEXY」の極み (ニキータ)
●マンネリメイクじゃ老け込むばかり! 30オンナの艶(アデ)化粧四変化 (ニキータ)

シアターイメージフォーラムで上映中の「セッソ・マット(=色情狂)」にぴったりのキャッチフレーズ! この映画、雑誌のように9の短編が楽しめる、お洒落でエッチなイタリアン・コメディなのだ。70年代のファッション、インテリア、クルマとともにモンドミュージックのシャワーを浴びることができる。

正しい不良(ワル)を目指すなら、中途半端なジーンズの下げばきはもうやめて、股上の深いピタGやド派手スーツを着こなすイタリアン伊達男、ジャンカルロ・ジャンニーニこそを見習うべきだし、真のSEXYを目指すなら、スーツ、ドレス、白衣、水着、ランジェリーなどをまとったり脱いだりしつつ大胆な9変化を見せるイタリアのセックスシンボル、ラウラ・アントネッリこそを目に焼きつけるべきだろう。

ふたりが演じる9つの関係は、楽しすぎる。召使いとセレブなマダム、子だくさんの貧しい夫婦(ネオレアリズモ風)、老女マニアの夫と若妻、客と娼婦、シチリアの種馬とデンマークの看護婦、死者と未亡人…。

逃げられた妻への思いを描いた「帰っておいで!僕のLittle Girl」などは泣けてしまう。妻(ブサイク風)に執着するマニアックな男が、娼婦を家に上げ、妻のようにコスプレさせる話だ。「妻のほうが美人だけどね」と言われた娼婦役のラウラ・アントネッリが、日本語のような発音で「え~」と言いながら浮かべる困った表情にノックアウト。心が通うはずのないふたりの間に何かが生まれる、というようなウソっぽいドラマに仕立てないところがディーノ・リージのセンスのよさで、部屋の中には何ともいえないリアルで愛すべき空気が流れ始めるのだ。

世の中、捨てたもんじゃないと思う。ブサイクは愛しいのであり、不幸は幸福なのであり、キライはスキなのであり、体は心なのだ。

さらにいえば、ディーノ・リージはヴィスコンティである。
ディーノ・リージがこの映画を撮った2年後、ヴィスコンティは同じ2人の俳優を起用して、遺作「イノセント」を撮ることになるのだから。

「色情狂」は「純粋無垢」に結実したのである。


*1973年 イタリア映画
2005-09-01

『リンダ リンダ リンダ』 山下敦弘(監督) /

どぶねずみのように美しい風景。


結果の説明もないし、後日談もない。それがすごくよくて、4人の姿をもっと見ていたいなと思った。映画の続きを求める人たちが、パンフレットやCDや彼女たちの写真集に群がっている。

ローリング・ストーンズが「悪魔を憐れむ歌」を完成させるプロセスをゴダールが撮った「ワン・プラス・ワン」のようなシンプルさだ。4人の女子高生が、ブルーハーツのコピーを3日間で完成させていく。文化祭の直前にメンバーが抜けたことからオリジナルができなくなり、たまたま部室で聴いて盛り上がったブルーハーツをやることになるのだが、音楽的動機がヤワな分、バンドの意味が際立ってくるあたりが面白い。

延々と廊下を歩く響子(前田亜季)をとらえた横移動のカメラワークだけで、つかみはオッケー。雑然とした各クラスの様子が伝わってくるし、外廊下に出たところで、校舎全体を包む文化祭ムードがぱっと開かれる。その間に、彼女は多くの人と会話を交わすのだ。

ほかのメンバーにも、それぞれのキャラクターを象徴するシーンがある。煮つまった恵(香椎由宇)はプールで死体のように浮いているし、冷静な望(関根史織)はスーパーでショッピングカートを押しつつ皆を仕切るし、どこかズレているが熱いソン(ペ・ドゥナ)は、夜の校庭を踊るように走りぬけ、体育館でひとり、感動のリハーサルを演じてみせる。

4人の女優(ひとりはミュージシャンだが)は、制服をリアルに着こなしながら、高校時代の面白さやつまらなさや一触即発な気分やそれでもなぜか一緒にいてしまう感覚を自然に演じている。大げさな友情はないかわりに遠慮もほとんどなくて、ただ集まって食べたり会話したり練習したりいつのまにか寝てしまったり・・・そう、眠くなる以外に、何かをやめる理由なんてありえないから。

シネセゾンの客席には「高校生友情プライス」を利用している3人連れ女子が多く、映画のリアルさとリンクしていた。ロビーの自販機を見て「高い。買ってくればよかった」なんて言いつつ、熟考のうえ付加価値のあるお茶を買っていたり、帰りに売店のパンフを指さして、どの子が可愛くてどの子が可愛くなかったかをシビアに論じていたり。

夜の屋上で望が言う「本番のライブなんて、たぶん夢中ですぐ終わっちゃうけど、こういう今のことは忘れないんだよね」というようなセリフはちょっと浮いてるけど、この映画にはクライマックスなんてないんだよと暗に予告している重要なシーン。「結果を出す」という言葉が蔓延する社会とは異次元のピュアな衝動を描いたこの映画もまた、結果を出すことを第一の目的にはしていないように見え、それでいて大ヒットしているという素晴らしさなのだった。

そう、結果はあとからついてくるもの。結果を出すという言葉は、結果が出そうもないことはやめようという合理的消極性につながるが、やってみなければ、変化に富んだプロセスの風景は見えてこない。「NO ATTACK, NO CHANCE」とF1ドライバーの佐藤琢磨も言っている。

説明できない衝動を大切にしたいなと思う。つい足が向いてしまう場所とか、理由なく会いたい人とか、倒れるまでやらずにはいられないこととか。この世で愛を注げるものはごくわずか。だから、一瞬も逃せない。生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、いつだって目の前の風景が最初で最後。

かけぬける日々の中で、とどまりたいと思える出会いがあればいい。
2005-08-22

『この手であなたを癒したい』 高橋光 / 同朋社(発行) 角川書店(発売)

疲れた男たちを通わせる、究極のサービスとは?


歯科医や眼科には、できれば行きたくない。苦痛のイメージが強いからだ。
でも、耳鼻科になら通ってもいいかなと思う。

中耳炎になり、耳を洗浄してもらったことがある。その医者のテクニックはすごくて、こんなに気持ちいいことがあるのか、と衝撃を受けた。だけど、私はその耳鼻科に通うことはなかった。だって、中耳炎はすぐ治っちゃったから。医者というのはエステやマッサージじゃないんだから、もう大丈夫ですよといわれれば通う理由がない。むしろ出入り禁止である。

しかし、もはやそのことを嘆く必要はない。耳鼻科のいいとこ取りのようなサービスが受けられるサロン「レスプランディール ドゥ ボヌール」が6月末、南青山にオープンしたのだ。ヘアカット、ネイル、メイク、メンズエステスパ、レディースエステスパなどを提供するトータルビューティサロンだが、最大の売りは「イヤークリーンコース(耳そうじ)\8,400」。なぜなら、この店のオーナーは、本書の著者である「日本一指名の多い女性理容師」高橋光さんなのだから。

彼女は、床屋さんでの下積みを経て、世界各地のエステサロンを訪ね、理容師だけが与えることのできる究極の癒しを研究。ホテルセンチュリーハイアットの理容室「デボネール」の店主となり、フォーシーズンズホテルの理容室の店長も兼任。2001年に発行された本書の帯コピーは、長年の顧客である村上龍が書いている。

男の楽園、理容室での究極のサービスが、いよいよ女性にも開放されたのである。耳鼻科医は耳の洗浄ができるが、耳のうぶ毛剃りが許されているのは国家資格をもった理容師だけ。私はさっそく70分のイヤークリーンコースを体験したみたが、うーん、この快感は音楽に似ているなと思った。リズムと音と温度のハーモニー。冷たい飲み物を飲みながら、好きな音をipodで聴けば、疲れなんて一瞬で吹き飛ぶのと同じ。快楽の源泉が、ダイレクトに脳に流れこむのだ。

熱い蒸しタオル、シャリシャリという音がくすぐったい耳のうぶ毛剃り、何をどうされているのかほとんどわからない耳かき、やわらかい羽毛のぼん天、シュワシュワとはじける発泡ローション・・・他にもいろいろあったと思うが、ベッドに仰向けだから、ほとんど熟睡状態。冷たい飲み物が前後にサービスされ、1階のヘアサロンでブロー&セットしてもらえたのが嬉しかった。

本書を読むと、サービスする側の思いがわかり、さらに驚く。「わざと痒さを残すように、ときには痒さを増すように耳掻きを動かしていきます」とか、「鼓膜のすぐ手前の部分が、実に四肢がのけ反るほどのエクスタシーに達することができる、たったひとつの場所なのです」とか。彼女のテクニックで、失禁する人もいるというのだ。

手書きのDMを書かない理由、やきもちを焼くおじさまへの対処法、極道のお客さまとの交流、ホテルの部屋に連れ込まれたときにどうするか、「僕はもう長くないんだよ」と言われたときの切り返し方など、営業テクも満載。80代なのに青年のように若々しい宗教団体の教祖から、理容室の椅子で眠ったまま脳溢血で死んじゃった人まで、そこに通う男たちのエピソードを読んでいると、まるで銀座のママの話を聞いているみたい。要は、とっても古風なのである。

最大の山場は、金銭がらみで男に騙されるくだりだろう。「騙されることで人を癒すこともできる」と言い切る楽観的プロフェッショナリズムは、ぜったい真似できません。
2005-08-12

『逃亡くそたわけ』 絲山秋子 / 中央公論新社

夏の旅のすべて。


「あたしは冷静ではあったけれど、決してまともなわけではなかった。それを自覚していた」(本文より)

マルクスの資本論の一節が幻聴としてきこえる「花ちゃん」。
「人間の精神は言語によって規定される」(byヴィトゲンシュタイン)ゆえに、名古屋弁をしゃべらない「なごやん」。
ふたりは病院を抜け出し、お金とクスリが少々たりない状態で、九州を縦断する。
クルマは名古屋ナンバーの「ルーチェ」、BGMは「THEピーズ」。
おなかがすいたら土地の名物を食べ、畑の野菜を盗む。
病院に連れ戻されるのはイヤだから、他人のポルシェにぶつければ逃げるのみ。
しかも、花ちゃんは無免許だ。
車中泊に疲れれば温泉に泊まり、街に出ればホテルヘ。
宮崎では化粧をし、鹿児島では「普通に動いている町」に元気をなくす。

善悪のみさかいのつかない、ナチュラルなアウトローぶりは特筆に価する。
いきあたりばったりの旅は、なんて魅力的なんだろう。
潮時がくるまで、それは、つづくのだ。
物語なんていらない。状況だけでいい。エアコンがこわれるだけでオッケー。
クルマ好きにしか書けないロードムービーだ。
メーカーに入社し、各地を赴任し、躁鬱病で入院中に小説を書き始めたという著者の体験が、美しく結晶していると思う。

「もう、いいからさ、高速乗ろうよ。捕まらないよ」
道の単調さになごやんは辟易した様子だった。
「高速は山の向こうったい」
なごやんはうんざりした顔で溜息をついた。
「マツダのディーラーないのかなあ」
「こげな道にあると思うと?」
「ないよなあ」
国道265はどんどん細くなっていった。センターラインもいつの間にか消えてしまった。(本文より)

「あたしはただ、こんなに幾晩も一緒にいて、男と女なのに一度もさせてあげなかったら可哀想かな、と思っただけだった。でもなごやんはほんとのお兄ちゃんみたいに優しい声でおやすみと言った」(本文より)

資本論は、花ちゃんの失恋のキズと関係があるのだった。
精神病とわかった途端にふられた彼女を、なごやんはヘーゲルを引用しつつ、なぐさめる。人は見たいようにしか見ないんだよ、精神病くらいでいなくなる友達なんか、遅かれ早かれ分かれる運命だったんだよ、と。

そしてふたりは、ぐったりするような劇薬「テトロピン」の代わりに、ラベンダーを探しにゆくのだ。

「すてきだなあ、やさしいなあ、あるかなラベンダー」(本文より)
2005-07-26

『BALI deep展』 阿部和重ほか / 代官山ヒルサイドフォーラム

男の子にとってのバリ。


2005年上期のヒット商品番付が発表された。
東の横綱は「富裕層向けサービス」。西の横綱は「生鮮100円コンビニ」。勝ち組と負け組みに二分されたといわれる時代を立証するかのような結果だ。

西の大関には「ロハス」(LOHAS=Lifestyles Of Health And Sustainability)。「価格や効率ではなく、環境に配慮しつつ、自分の価値観でモノやサービスを選ぶスタイル」というような意味なのだろうが、いま、この言葉が注目される理由は、定義のゆるさに加え、勝ち負けなんてカンケーないじゃんと思っている人の多さと無関係ではないだろう。

気がつけば私も、ロハスなお仕事に囲まれている。アロマ、オーガニック、スローライフ、ヨガ、リラクゼーション・・・そんなキーワードだらけの日々。自らを振り返ってみると、日ごろ真摯な思いで書いているはずの美容法や健康法など、まるで遵守していない生活に笑ってしまうのだが、そういうテキトーなスタイルも、たぶん、ものすごくロハスなのだと思う。ロハスは曖昧。ロハスは寛大。ロハスはエゴ。ストレスフリーで好きなように生きている人は、みんなロハス!

私はときどき、心配になる。こんなにたくさんの情報があって、みんな、大丈夫なんだろうか。押し潰されたりしないだろうか。こういうふうに生きなくちゃ、この美容法をやらなくちゃという脅迫観念にとらわれたりする人はいないだろうか? だけど、ほとんどの女の子は、惑わされたりなんかしていない。ひとつに決めたりもしていない。その都度、好きなものを好きなだけ楽しんでいる。

危ないのは、実は、男の子だ。ナイーブな男の子は、自分の世界を乱されると病気になったり、アイデンティティの危機に陥ったりしてしまうから、惑わされないふりをするしかない。

というわけで、「バリ」が必要なのは、男の子だと思う。女の子はたぶん何だっていいのだが、男の子はバリを愛したら、バリがいいと思い続けるだろう。ひとつの定食屋を見つけたら通い続けるように。あれこれちょっとずつ違うものを食べたいとは思わないように。

「BALI deep展」は、東京で最も美しい場所のひとつで開かれている。まさに、パスポートの要らないバリ。映像と音楽と写真と阿部和重の文章が楽しめて、いい匂いがして、広々としていて、涼しくて、きもちいい。会場の外には、ロハス系セレブから届いた花輪が大量に並んでいて驚くが、旧山手通りを歩き、この展覧会をみて、ヒルサイドカフェでお茶を飲むというのは、悪くない夏のすごし方といえる。しかし! スローなはずのこの企画、なんと、たった6日間だけで終わってしまうのだ。その後はバリに会場を移し、1か月間近く開かれるようだけど。

すぐに終わってしまう「BALI deep展」は女の子のためのものだが、男の子のためには「終わらない箱」がもうすぐ発売される。牢獄の扉を思わせる重厚な箱の中に、BALI deep展がすべてつまって、約3万円。ナイーブな男の子感をもりあげるのは、もちろん阿部和重の文章だ。

「バリの時間を操作し、旅行者たちを安らかな夢へと導いてくれるのは、宿の屋根裏に棲む、一匹の巨大なヤモリである。この、『BaliDeep』という一つの入口もまた、ベッドの天蓋を這い歩く、巨大ヤモリのごとくさりげなく、快い睡夢の深みへとあなたを忽ち引きずり込むだろう」


*6.26まで代官山ヒルサイドフォーラムで開催中
*7.4~7.31 BALI Puri Lukisan Museum in UBUD
2005-06-24

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 山田真哉 / 光文社新書

お金に関する本はなぜ売れるのか?


さおだけ屋が潰れない理由が気になって気になって気になって眠れない・・・という人がいたので「じゃあ私が代わりに読んで教えてあげる」と言ってしまった。代行読書である。

さおだけ屋が潰れない理由は、会計学によって説明される。企業というのは「継続」が大前提であり、継続するためには「利益」が必要。利益を増やすためには「費用を減らす」か「売り上げを増やす」の2通りの方法しかない。
著者が例をあげるのは、費用を減らすことに着目した堅実なさおだけ屋と、利益を増やすことに着目したヤバイさおだけ屋。どちらのさおだけ屋も、理論上は潰れないのである。

会計がわかれば、経済がわかるようになり、数字に強くなり、出世につながるという。だが、はっきりいって、会計学ってケチくさい。「節約」「キャッシュ・フロー」「機会損失(チャンスロス)」「在庫」「回転率」「連結経営」「支払いはなるべく遅く、回収は早く」・・・こんなワードを眺めているだけでズーンと意気消沈してしまう。
ケチとは「『利益を出す』という会計目的に対して、もっとも合理的に行動している人間」と著者は言うが、会計目的だけでは企業も人も生きていけない。会計上の合理性が現実の成功に結びつくとは限らないのだ。この本に書いてあることをそのままやったら、会社は潰れるだろう。

会計上の理想を追求している企業は私のまわりにも多いけれど、「翌月末払い」という支払い条件を「手形」に変えた途端に取引先がごっそり離れてしまったり、過激な経費削減策のせいで有能な社員が辞めてしまったりという例を見るにつけ、ケチは嫌われるに決まってるじゃん!と思う。支払いを遅くして回収を早くする? そんな自己チューなことばかりを皆が第一に考えていたら、世の中一体どうなるわけ?

この本は、公認会計士である著者が、企業や個人の会計についてやさしく説明してくれているのだから圧倒的に正しいし、会計志望の人にとっては楽しい入門書となるだろう。しかし、そうでない大半の人は、これを知った上で、どうやって生きていくかを自分で考えなければいけないのである。

「費用を減らす」と「売り上げを増やす」を同時に実現する「ラクしてボロ儲け」的なサジェスチョンを、最近よく耳にする。みんな、そんなにラクしたいのだろうか? 堅実な実業ではダメなわけ?「生産的なことをして、働いた分だけ儲ければいいじゃん」というような考えはもはや少数派?

さおだけ屋にせよバブリーな事業にせよ、その仕組みを生み出す人はスゴイなと思う。だけど、それに追随する人ってのはどうよ? どこまでラクをしたいんだお前は!と誰に向かって突っ込んでいるのか自分でもよくわからないけれど、とにかく虚業的な事業経営者の周辺には、同じような顔をしたコピー人間が無数に現れて、六本木や渋谷をうろついている。
2005-06-06

『半島を出よ(上・下)』 村上龍 / 幻冬舎

生きのびる男は、だれ?


女性専用車両というのはどうかなと思う。
電車の中には痴漢男もいるが、痴漢をつかまえてくれる勇敢な男もいる。そもそも電車というのは痴漢よりもコワイことが起こりうる危険な密室なのだから、痴漢男と一緒に勇敢な男まで排除するのは本末転倒。女性専用車両をつくるなら、せめて各ドアにマッチョなボディガードを配置してほしいものだ。

・・・などと思っていたが、こういう認識は甘すぎるなと、この小説を読んで思った。
誰にも頼らずに、自分で戦わなくちゃ。助けたいと思う男や女を、自分が助けなくちゃ!

この小説には、勇敢な女がふたり登場する。高麗遠征軍の女性士官と、NHK福岡放送局の女性アナウンサーだ。ふたりとも組織に所属しているが、自分の判断で勝手な行動をとる。やるべきことの優先順位がわかっていて、本能に忠実なのだ。女はもともと少数派であることに慣れており、腕力では男にかなわないことや、出世の限界を知っている。だから、現実的な判断をくだすことができる。

お母さんたちも、たくましい。
「これから福岡はどうなるのか、それはわからない。だがやらなければいけないことははっきりしている。今までと同じように、子どもを育てるのだ。食べさせ、風呂に入れ、服を着せ、幼稚園に送る」

一方、社会の多数派となることに成功した男たちは、庇護されることによって現実と向かい合うことを避けてきたため、いざという時にやるべきことがわからない。著者が着目するのは、多数派社会から脱落した凶悪な少年たちだ。住民票コードすら持たない「イシハラグループ」。著者は、チームという概念から最も遠い彼らにチームを組ませるのである。

少年たちに住居を提供している49歳の詩人イシハラは言う。
「暴走族は寂しくて、ただ愛に飢えているだけだ。お前らは違う。お前らは別に寂しくないし、愛が欲しいわけじゃない。愛も含めて、どんな社会的な約束事に対しても、そもそも最初から折り合いをつけられないんだ。だからお前らは誰にも好かれないが、誰にも騙されない。暴走族はすぐに多数派になびく。だがお前らは多数派のほうから拒絶されている。だからお前らは面白いんだ」

イシハラグループでは「趣味的」「おせっかい」などという言葉が嫌われる。彼らは単なる「マニア」や「おたく」ではなく、何かを模倣してその気分を味わうような洗練された希薄な趣味性や、表面的な共有感覚とはかけ離れた場所に孤立する存在なのだ。わけのわからない破壊への欲求を秘めた少年たちに可能性があるとしたら何か? それがこの小説のテーマだ。こういう少年たちと、北朝鮮という特殊な国から来たゲリラたち。ふたつのマイノリティを戦わせることで、多数派の思考停止状態と貧弱さをあぶり出す。ゲリラと正面から対決できるのは、社会から見捨てられたマイナーな少年たちだけなのである・・・という美しいおとぎ話だ。

「共有する感覚というのは静かなものなんだ、モリはそう思った。みんな一緒なんだと思い込むことでも、同じ行動をとることでもない。手をつなぎ合うことでもない。それは弱々しく頼りなく曖昧で今にも消えそうな光を、誰かとともに見つめることなのだ」

少年たちは、なんて繊細なんだろう。
そして、そんな彼らが生きのびるのは、もちろん簡単なことではない。

勇敢なふたりの女性は、自分が助けたいと思う男を、助けることができた。
助けてくれる女がいない男にとっては・・・つらい世の中だと思うのだ。
2005-05-23

『エレニの旅』 テオ・アンゲロプロス(監督) /

太陽よりも、くもり空。


沖縄でのモデル撮影に同行したが、雨だった。1年分のポスターを撮影しなければならないのだから、予定調和的にいえば、夏のポスターはピーカンの海岸でということになる。だが、ちっとも晴れないし「晴れ待ち」の時間もない。
撮影がスタートすると、意外といいんじゃないかと思い始めた。モデルの肌が濡れるのもいいし、まぶしすぎて表情が固まってしまう心配もない。雨の海岸はちっとも沖縄らしくないけれど、そもそも沖縄のイメージというのが、あまたのピーカンポスターによってつくり出されていることは間違いない。

一方、私にとってギリシャのイメージといえば、どんよりとしたモノクロームの海と空である。これは間違いなく、陽光に満ちた地中海ロケにおいて断固たる「曇り待ち」をするアンゲロプロス監督のせいだ。

最新作「エレニの旅」は水没する村の物語だから、雨のシーンも多かった。監督はCGを使わず、映画のために2つの村をつくってしまった。ひとつの村は、1年のうち数か月だけ水が干上がる湖に建設し、水が満ちるのを待ったのである。

沈むことを前提とした村をつくるなんて、どこかのディベロッパーみたいだ。売ることを前提としたビルを建て、テナントを誘致して付加価値を高めて…。しかし、アンゲロプロスは企画屋でもブローカーでもない。撮影によってイメージが具現化する瞬間こそが喜びと語るピュアなアーティストだ。「一番好きな工程は撮影なんだよ。今までこの世に存在しなかったもの、自分でも予想しなかったものが生まれる瞬間がね」

アンゲロプロスならではの、決めのシーンが随所に登場する。そのたびに笑いや拍手が起こってもいいんじゃないかと思うくらいのサービスぶりだ。ロビーでは「あれがアンゲロカラーだよねえ」なんて語り合うファンの声も。

1シーン1カットの長回しも、むしろ短く感じられるほどで、あげくの果てには「え、もう終わりなの?」って感じ。2時間50分の映画をこんなふうに感じるのは、私が重篤なアンゲロ中毒患者であると同時に、この映画が3部作の1つめに過ぎないからだろう。

アンゲロプロスの映画の特徴は、国境を越える難民。そして、たとえ殺される寸前であっても相手の国籍をたずね、自らを名乗ることだ。私は誰であなたは誰なのか? この映画では、エレニのうわごとに集約されている。
「看守さん、水がありません。石鹸がありません。子供に手紙を書く紙がありません。また違う制服ですね。あなたはドイツ人ですか? 私の名前はエレニです。反逆者を匿った罪です。私は難民です。いつどこへ行っても難民です。今度はどこの牢獄です?」

映画のあと、傘もなく、雨の銀座をさまよった。日曜だったため目指す店がすべてクローズし「夕食難民」になってしまったのだ。霧雨の中、しっとりとぬれた街は映画の続きのようだったが、お気楽な難民である私には、水没する町が美しい理由、悲劇の物語を限りなく美しく撮る理由がわからなかった。

ボートの群れ、木に吊り下げられた羊たち、別れの赤い毛糸…この映画の決めのシーンは、すべて哀しみに満ちている。それは難民という、旅をせざるを得ない人々を象徴する美しさだ。「必然性をもった旅」という推進力によって映画は進み、監督のピュアな想像力によって風景や音楽が具現化される。現実の物語をなぞったものではなく、まさに「今までこの世に存在しなかったもの」の美しさなのだろう。

アンゲロプロスの映画には、一国の階級意識に縛られることの下品さとは無縁の清清しさがあると思う。


*2004年 ギリシャ映画(ギリシャ・フランス・イタリア・ドイツ合作)
2005-05-03

『コーヒー&シガレッツ』 ジム・ジャームッシュ(監督) /

コーヒーもシガレッツも、無意味である。


1日に何度も私をカフェに誘う人がいた。そんなに私と話がしたいのねと思っていたら、その人は単なるコーヒー&シガレッツ中毒とわかり、大笑い。

私自身はコーヒーを飲まないしシガレッツも吸わないけれど、それでも私はコーヒー&シガレッツが好きだ。コーヒー&シガレッツとともに過ごす時間の愛すべきばかばかしさや無意味さの中毒になったのかもしれない。

そしてこの映画も「映画」というよりは「中毒」とか「習慣」とかいうジャンルに分類したいような、意味のない映画である。モノクロで映されるコーヒーとシガレッツは汚くて、ちっとも美味しそうじゃないし、会話も面白くなんかないし、人間関係も当然うまくいかない。

会話なんて、もともと面白くないんだってこと。コーヒーなんて、かっこよくないんだってこと。シガレッツなんて、体に悪いだけなんだってこと。それでも人は会話したいしコーヒーを飲みたいしシガレッツを吸いたいのである。

映画のあと渋谷のワインバーに行ったら、私が手にしていたパンフレットを見てスタッフが言った。「それ、僕が明日見ようと思っている映画です」。デートですかと聞くと「こういう映画やゴダールは彼女を誘えないから必ず1人で」と笑った。圧倒的に彼は正しいと思う。そして、まさにこれは飲食店に勤める人には必見の映画。こういうニュアンスが感覚的にわかっていたら、最高のサービスができるはず。

コーヒーとシガレッツの汚さとは対照的に、ジャームッシュはモノクロ画面の中で女優の魅力を最大限に引き出す。とりわけ怪しげなニューヨーカー、ルネ・フレンチは前作「女優のブレイクタイム」におけるクロエ・セヴィニーを超える美しさだ。

ロベルト・ベニーニの演技が過剰でダサすぎると感じても、おかしな二人がトム・ウェイツとイギー・ポップだとわからなくても、ケイト・ブランシェットが一人二役だとわからなくても楽しめる。リチャード・ベリーをトリビュートしたイギー・ポップのテーマ「ルイルイ」は、秋冬コレクションでクラシック音楽にデビッド・ボウイの「ヒーローズ」を重ねたという気鋭のファッションブランド、ドレスキャンプのようではないか。

ジム・ジャームッシュ。1953年生まれ。洗練とはかけ離れた若さ。こんなつまんない映画に立ち見が出ている。


*2003年アメリカ映画
*シネセゾン渋谷で上映中
2005-04-17

『MOOG(モーグ)』 ハンス・フェルスタッド(監督) /

ピュアな冒険家 ― モーグ博士とフラハティと中村史郎。


電子楽器の神様、ロバート・モーグ博士は、物理学と電子工学が専門。
1964年に初のシンセサイザー「モーグ」を世に送り出した人だ。

モーグを愛するミュージシャンへのインタビューやライブが楽しめる映画。ビースティ・ボーイズの1月来日公演にも同行したマニー・マーク、ラウンジ系モンドミュージックをファッションにしたステレオ・ラブ、プログレで名高い元イエスのリック・ウェイクマン、ファンクな下ネタ連発のバニー・ウォレルなど、モーグをマジで叩きまくるパワフルな旧世代から、ゆるゆるのレトロ感覚で取り込む最近の世代までバラエティに富んでいる。

モーグの魅力を100%引き出すことに成功しているのが、エド・ケイルホフというシンセプレイヤーによるシェイファービールのCF。1969年ごろNYで撮影されたらしいが、「男は黙ってシェイファービール」というコピーに驚いた。このコピーはサッポロビールのオリジナルかと…。

シンセサイザーの電子音というのは、もはや癒し系の音なのだと気付く。そう、初期のシンセは、コンピュータを使わないアナログな機械。「素晴らしい楽器をありがとう」とモーグをリスペクトする人たちが博士と会話する様子はハッピーそのものだ。

サビついたトヨタ・ターセルに乗るモーグ博士は、シンセの電子回路を「感じる」ことができる。新しいアイディアも、自分のものではなく、どこからかやってくるのだという。博士はそれを感じとり、次のプロセスにつなげるだけなのだ。

「ある映画作家の旅-ロバート・フラハティ物語」(みすず書房)の中の「先入観なしに」という言葉を思い出した。ドキュメンタリーの父、ロバート・フラハティがエスキモーの生活に密着した代表作「極北のナヌーク」(1922)を見て衝撃を受けた私だが、このひとことで映画の謎がすべて解明されたような気がしたのだった。モーグ博士の生き方も、まさにこれだと思う。何かを見つけるために勇んで冒険するのではなく、自然に外へ出て自然に帰ってくるような趣味的な冒険家。

エスキモーの子供が、複雑なシャッター機構をもつカメラを、その目的も知らないまま監督に代わって組み立ててくれたというエピソードも印象的だ。「極北のナヌーク」の上映会では全員がスクリーンに突進したというほどイノセントなエスキモーの人々が、カメラという機械に対する天性のセンスを持ち合わせているというのだから目からウロコ。エスキモー語には、「作る」「創造する」という言葉がないというが、ロバート・フラハティも、そんな彼らを映画として撮る前に、先入観や目的なしに「感じた」のだと思う。

先日、日常のものをプロがデザインしなおすというコンセプトの番組「ニューデザインパラダイス」の総集編を見た。面白いものがないなと感じる中、ひとつだけすごいものがあった。日産のデザイン本部長、中村史郎がつくったクリスマスケーキである。クリスマスに家路へ向かう雪道を表現したという高さのある白いケーキ。これには驚いた。だって、ケーキである前に、道なんだもん。クルマや道路のことばかり考えている異分野の人だからこそ、子供みたいな感覚で、どこにもないものがつくれるのだろう。

チョコレートについての雑誌のインタビューでも、結局は日産のマーチにショコラというボディカラーがあるという話になり「あのクルマはトリュフに似てませんか?」なんて言っていた中村史郎さんは、ロバート・フラハティやモーグ博士と、どこか似ている。


*2004年アメリカ映画
*シブヤ・シネマ・ソサエティでレイトショー上映中
2005-04-07

『グランド・フィナーレ』 阿部和重 / 講談社

世界を救うかもしれないメルヘン。


芥川賞の選評を読んだら「小説としての怖さがどこにもない」と石原慎太郎。「作品にリアルな怖さがない」「肝心な部分が書かれていない中途半端な小説」と村上龍。
だが、この小説はそもそも怖いモチーフを扱ったものなのだろうか?

普通に生きているのに、いつのまにか、ぎりぎりの場所を歩かされてしまっている。そういう主観と客観のずれを描いた小説だと思う。主人公は自分のことを正常と開き直っているわけでもなく、異常という劣等感にさいなまされているわけでもなく、特別な優越感を抱いているわけでもない。非常にまともな感覚をもっている印象だ。ナルシシズムとは無縁の知的なイノセンスは、それだけで読むに値する。次第に明らかになる主人公のプロフィールを、友達になっていく気分で読み進めることができるのだ。

実際、主人公の友だちは皆すばらしい。冷たくも温かくもなく、そのまんまだ。思ったことはズケズケ言うが、裁かない。感動的なことを言わないし、彼を本質的に助けたりもしない。普通に鈍感で、普通に信用できる。あんまり頼りにならないけど安心できる。これこそが友だちってものの理想的な距離感かも。こんな友達がいるだけで、主人公はきっと大丈夫なはずなのだ。

ロリコンという言葉は、主人公を説明するための後付けのタームにすぎない。この小説はとても親切な構造になっていて、主観的な描写のあとで、必ず客観的な説明がなされるのだ。カメラで世の中を趣味的に切り取っていた主人公は、ふとしたきっかけから脚本・演出によって世の中を動かし始めるのだが、そのことは、こんなふうに説明される。

「カメラを手にしなくなったわたしは、言葉のみを使いこなして現実に介入しなくてはならない難儀な場所へと辿り着いてしまった。果たしてわたしはこの難関を、乗り切ることが出来るのだろうか」

犯罪的行為の受け取られ方というのは、千差万別だと思う。世間は騒ぐかもしれないが、友達は聞き流すだけかもしれない。親友であれば同情するかもしれないし、後輩なら武勇伝ととらえるかもしれない。妻にしてみれば耐え難い苦痛かもしれないし、当事者である幼い娘は傷ついて死ぬかもしれない。

ロリコンとは子供を愛することの対極ではなく、延長なのだというのが、この小説の重要なメッセージだ。ロリコン的嗜好は子供を傷つけることもあるだろうが、子供を救う可能性もあるのだということ。世界のある部分とディープに関わってしまうマニアックな人がどう生きていけばいいかのヒントを与えてくれる。

以前、クライアントであるIT関連の会社社長が、一心不乱にパソコンに向かう社員の一部を指さして私にこう言った。「こいつらには社会性はないんだけどね。役に立つから飼ってるんだよ」。

パソコンマニアの一部がハッカーになり、印刷技術の進歩が偽札づくりを助長し、クローン技術の追求が生命のモラルをおびやかし、学校の先生が子供を愛することの延長にも犯罪がある。すべてのプロフェッショナリズムは、違法な行為につながる可能性を秘めているのかもしれない。

主人公は故郷に帰り、2人の少女と出会う。
「二人そろって頷いてみせた―その肯定の身振りの力強さが、わたしをますます脱力させて、仄かにときめかせた」

脱力し、仄かにときめく。なんと小さな手がかりだろう。世界とつながるための、あまりに弱々しすぎるモチベーション。でも、この繊細な手がかりが重要なのだ。このメルヘンこそが、世界を救うグランド・フィナーレの鍵になるかもしれないのだ。

強さのみを志向する人には、世の中を救えない時代になった。
2005-03-11

『対岸の彼女』 角田光代 / 文藝春秋

女の友情を描いたふりをしたホラーな純文学。


あまりにも冴えない、あまりにもぱっとしない世界。一体、何のためにこういう小説を書くのか? どこからこういうものを構築するのか? こういう小説を読む意味は何なのか?このネガティブさは、読者を危うく共感させてしまうほどだ。そこが角田光代という作家の恐ろしいところ。ネガティブなディティールの凄まじい積み重ねが、エンタテインメントにすら見えてしまう。

自分のコンプレックスを受け継ぐ娘、何で結婚したのかと突っ込みたくなるようなつまらない夫、嫌味なだけの姑、薄っぺらい友情、不器用でだらしない女社長、ジゴロみたいな醜悪な男・・・。読んでいるだけで不信感にまみれ、どっと疲れてしまう。やだなあ、こんな主婦も、こんな女社長も、こんな会社も、ここで働く女も、ジゴロみたいな男も、事業内容も、何もかも。

些細な苛立ちの集積が読者を疲れ果てさせる露悪的なフィクション。醜悪な日常が繰り返され、しかも、それは長いタームで繰り返される。気が晴れるような新しい風景はどこにも見出せず、ただ、掃除し残した場所を掃除し直すための人生。そのための再会。

この小説は一見、子持ちの主婦である小夜子と、独身の起業家である葵の対比を描いたものに見えるが、そうではない。小夜子と葵は、読んでいると混乱してくるくらい、ほとんど同じタイプの人間に見える。細密な描写と検証を重ねるほど似てくるのだ。それでは「対岸の彼女」とは誰か。

唯一、魅力的に描かれている人物に思いを馳せればわかる。ナナコである。高校時代のナナコだけが、あらゆる登場人物と異なる次元のことを言っている。彼女の立ち位置だけに、抜け感がある。謎が残されたままだからだ。

「あたし、大切じゃないものって本当にどうでもいいの。本当に大切なものは一個か二個で、あとはどうでもよくって、こわくもないし、つらくもないの」
ナナコが登場するとき、この小説はホラーになる。ぞっとするような底なしの美しさ。

「ずっと移動してるのに、どこにもいけないような気がするね」
高校時代の葵と家出し、補導される寸前の、ナナコのこのセリフは秀逸だ。どこにも行けないロードムービー。まさに、この小説のことである。ナナコだけが小説全体を俯瞰している。そして、ナナコだけが、どこかへ行ってしまうのだ。

そういう意味では、葵の父親もいい。職業はタクシーの運転手であり、どこにでも移動できる。こんな身軽で都合のいい父親、ちょっといない。そんな彼の計らいで葵とナナコが再会するシーンは、よしもとばななの「ムーンライト・シャドウ」を彷彿とさせる名場面だと思う。

著者のこの不思議なバランス感覚は面白い。リアリティを追求しないもののほうに、よりリアルな魅力があるのだ。小説とは、言葉とは、本来そういうものかもしれない。真実は、小説の中にあるのではなく、別のところに生まれる。小説を読むために小説があるのではなく、現実を生きるために小説はある。本をパタンと閉じて、外へ出るために。
2005-02-21

『カルヴィーノの文学講義/新たな千年紀のための六つのメモ』 イタロ・カルヴィーノ / 朝日新聞社

名前と涙―イタリア文学とストローブ=ユイレ


文学の価値を決める要素とは何か?
文体、構成、人物造詣、リアリティ、そしてユーモアである。
…などという凡庸なことをカルヴィーノは言わない。

現代イタリア文学の鬼才が出した答えは「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」。
こんな章立てを眺めているだけでうっとりしてしまう本だけど、カルヴィーノは1984年、ハーヴァード大学で実際に6回の講義をおこなった。(6回目のテーマ「一貫性」のメモはない)

文学を語りながらイメージについて語るカルヴィーノ。文学の魅力は映画の魅力と同じじゃん!と私は思い、5つの要素にストローブ=ユイレがつながった。フランス出身だが、原作に合わせてドイツ語映画やイタリア語映画も撮っている監督夫妻だ。

彼らの映画の第一の魅力は「軽さ」だと思う。わずか18分の軽妙な処女作「マホルカ=ムフ」(1962)、あるいは、もっとも一般受けしたという「アメリカ(階級関係)」(1983-84)を見ればわかる。後者はカフカの未完の長編小説の映画化だが、船、エレベーター、バルコニー、列車へと移動する主人公の軽やかさは、何度見ても釘付け。カルヴィーノの「軽さ」についての講義も、まさにカフカの短編小説「バケツの騎士」の話でしめくくられているのだった。

「早すぎる、遅すぎる」(1980-81)という2部構成のカッコイイ映画の魅力は「速さ」。ロータリーをぐるぐる回るクルマの車窓風景から始まり、農村や工場を延々と映したり、田舎道を延々と走ったりしながら政治や歴史を語る風景ロードドキュメンタリーだ。

「視覚性」を追求した映画は「セザンヌ」(1989)。セザンヌの絵やゆかりの風景を、評伝の朗読とともに凝視することで、地層の奥や歴史までもが見えてくる。

「正確さ」なら、レナート・ベルタのカメラが冴える2本「フォルティーニ/シナイの犬たち」(1976)と「労働者たち、農民たち」(2000)だ。前者は人がしゃべり終わって沈黙した後もずーっとカメラを回し続け、ヴィットリーニの小説を映画化した後者は、台本を朗読する数人の男女が映されるばかり。映画の中で本を読ませる手法において、ストローブ=ユイレはゴダールよりも徹底している。演技やそれっぽさを排除することで、引用の意味が際立つ。映画化とは、原作を正確に伝えるための方法を選ぶことなのだ。

神話、家族、故郷、対話といった「多様性」の魅力は、同じくヴィットリーニを映画化した「シチリア!」(1998)とパヴェーゼの映画化である「雲から抵抗へ」(1978)で味わえる。棒読みの演技、寓話的な物語、そしてストレートな対話の魅力は、ロッセリーニとゴダールとパゾリーニとワイズマンを足したような面白さ。

原作と風景と人間へのリスペクト。そこには必然性と自由がある。「シチリア!」という映画であれば、シチリア出身者をシチリアで撮ることに最大の意味がある。料理と同じで、テクニックやレシピよりも、大切なのは素材なのだ。

ヴィットリーニといえば「名前と涙」という掌編(新読書社「青の男たち-20世紀イタリア短篇選集」に収録)が印象に残っている。よく見るために目をつぶり、そのものを描かないことで浮かび上がらせるような作品だ。ある名前を地面の奥深くに書き付ける主人公の姿を思うと、それは映画の一場面になる。その名の人物は姿を現さず、涙をふいたハンカチだけがあとに残る、失われつつある記憶についての物語。

言葉を追っているのに、いつのまにか言葉が消えてしまうような…そんな映画がいいなと思う。
2005-01-27

『若かった日々』 レベッカ・ブラウン(著)柴田元幸(訳) / マガジンハウス

タバコは悪か?


禁煙化が進んでいる。
最先端のバリアフリービルでは、優雅に車椅子をすべらせる人の脇で、初老の愛煙家が血まなこになって喫煙コーナーを探している。ようやく見つけた唯一のカフェで貴重な灰皿を確保する彼に、隣席の客が眉をひそめる。「タバコ、遠慮していただけませんか?」
この言葉に拒否権はない。いまや禁煙=正義であり、喫煙者=人間失格なのだから。

一方、愛煙家が肩身のせまい思いをせずにすむ場所も、まだまだ多い。
彼は一応、目の前の知人にだけは断りを入れる。「タバコ、吸ってもいいですか?」
この言葉にも拒否権はない。波風を立てたくない知人は、喫煙という暴力に甘んじるしかないのである。
愛煙家と嫌煙家は、もはや一触即発の状況だ。

私は、愛煙家でも嫌煙家でもないが、本書に収められている「煙草を喫う人たち(The Smokers)」という短編には1票を投じたい。ここには、極端な二項対立の現実を凌駕する、ごく個人的な真実が描かれている。

喫煙者のいない家で育った私にとって、一家全員がタバコを喫うこの小説は新鮮だ。家じゅうに灰皿があり、たとえば外に置いてある灰皿や、母親のフォード・ステーションワゴンはこんな感じ。
「雨が降ったあとは、薄汚く泡立った、紅茶みたいに茶色い水がたまって、灰やフィルターやゴミが浮いていた」
「吸殻がぎっりしり詰まっていて、口紅のついた折れたフィルターが飛び出していて、それが床に落ちて…(中略)灰皿の蓋はどうやっても閉まらなかった」

美しいとは言い難い描写を軸に、家族の関係が浮き彫りになってゆく。対照的なタバコの喫い方をする父と母、彼らの不和、兄と姉と私の初めての喫煙、喫煙を軽蔑する祖母の家での母、インチキな父が3番目の妻についたウソ、父と母の死…。

「私」の両親は2人で3つのガンを経験し「直接の原因だったかどうかはともかく、喫煙がそれらに貢献したことは間違いないと思う」と述懐されるのだが「でもそれと同時に、喫煙が何年ものあいだ彼らの救いになっていたとも思う」と著者は振り返る。「つらい年月を両親が生き抜く上で何か助けがあったことをありがたく思う」と言い切るのだ。

レベッカ・ブラウンは、本当のことを静かに、ストレートに突きつける作家だ。彼女の小説を読んでいると、真実とは、定義できないものや見えない部分にこそ宿るのだとわかる。鋭利な少女的感性で切り取られる家族の物語は、読んでいるだけで疲労困憊してしまうほどだが、すべての過去を美化する潔さが、かろうじて疲れを消し去ってくれる。美化 ― それは、傷ついた人だけが行使することを許される癒しの能力なのかもしれない。

すべての短編を読み終えたあと、2ページに満たない冒頭の掌編「天国(heaven)」を読み返さずにはいられない。両親へのさまざまな思いをこんなふうに昇華できる。それが、天国という場所(=小説)なのだと思う。

「二人がそこにいるのを思い描けるような場所がどこかにあるんだと信じられたらいいのに」
彼女がそう書いているだけで、天国の存在を信じることができる。
すぐれた小説家の想像力は、灰にまみれた現実を、瞬時にぬりかえてしまう。
2005-01-07

『「美」と「若さ」をお金で買う方法-私が試しつくした“若返り医療”の真相』 佐藤真実 / 講談社

美容整形を思いとどまらせるのは誰?


「世界のどこかで新たな国の指導者が誕生しようが、内戦が勃発しようが、私にはさして重要ではない…。私にとって、いちばん重要なことは、顔からなかなか消えようとしないこのシワだ」

1962年生まれの著者は、35歳で挑戦したコラーゲン注射を皮切りに、あらゆる「若返り美容法」を試す。皮膚をメスで切るフェイスリフト、下まぶたの脂肪をとるレーザー手術、ケミカルピーリング、脂肪移植…何かひとつやるたびに、新たな症状や副作用が見つかり、手術依存症は次第にエスカレートする。

「短大を卒業して勤めた商社を二年で辞めて、イベントコンパニオン、DJという道を歩いてきた私だ。転職っていったって、三〇すぎていったい何ができるというのだろう? 当時の私にとっては、恋人より、家族より、友人より、何よりもDJという仕事が大切で、そのために何かを犠牲にすることもいとわなかった」

老化を恐れ、仕事を失うことを恐れる著者だが、その抵抗も空しく、2回にわたる脂肪移植が終わった頃、担当していた番組を降ろされてしまう。「美容」を仕事にしようと決意した後は、ホルモン補充療法、HGH(ヒト成長ホルモン)を使った若返り療法、プラセンター注射、運動、食事療法と、さらなる遍歴が続くのだった…。

「女はいつまでも美しくなくてはならない」という強迫観念に苛まされ続け、ついには薬の副作用でうつ病にまでなってしまう著者。そこには、「美容整形の女王」といわれる中村うさぎが「ネタ先行」であるのとは対照的な切実さがあると思う。著者がどんなに「私をまねしないで」とクギをさしても、共感し追随する人が絶えないだろう。

アメリカ暮らしの経験がある著者は「日本、とくに東京って街は、疲れるところだと思う」と述懐する。アメリカではラフな服装や化粧っけのない顔が当たり前でも、帰国すると「東京仕様」に戻していくしかない。このような悲劇を繰り返さないためには、もはや「東京仕様」から脱出するしかないのである。

私は、「整形手術のディアナ」といわれるフランスのアーティスト、オルランを思い出す-。

1947年生まれのオルランは、美術学校の教師でイコンの研究をしていたが、ある時、絵画上の5人の美女と自分の顔をコンピュータ上で合成する。「モナリザ」の額、「狩のディアナ」の目、「アモールとプシュケ」の鼻、「エウロペの略奪」の唇、「ヴィーナスの誕生」の顎…。

この顔を目指して整形手術をおこなったことから、オルランのアーティスト活動はスタートした。手術室は毎回、儀式的に飾りたてられ、医師はコスチュームをまとい、オルランは決まったテキストを読み上げる。手術中のパフォーマンス映像は衛星中継され、切り取られた肉を使ったオブジェがつくられるといったエグさだ。

手術後のポートレートとともに回復期の痛々しい写真を公開するオルランは、「私の芸術はゲームじゃないのよ」と言い放ち、「ホントの顔なんてとっくに忘れちゃったわ」とうそぶく。美しくなりたいという欲求など、とうに突き抜けているといえるだろう。

エキセントリックなアーティストの活動は、いつの時代も、眉をひそめられるものだ。が、オルランのような女性の存在は、「東京仕様」に疲れきった私たちを、いくらか癒してくれるんじゃないだろうか?
2004-12-21

『人のセックスを笑うな』 山崎ナオコーラ / 河出書房新社

田中康夫を嫉妬させ、高橋源一郎を楽しませた文藝賞受賞作。


「ユリは睫毛のかわいい女だ。それから目じりのシワもかわいい。なにせオレより二十歳年上なので、シワなんてものもあったのだ。あの、笑ったときにできるシワはかわいかったな。手を伸ばして触ると、指先に楽しさが移るようだった」

「恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ」

一見美しくないものが、本当は美しかったりする ― というようなことは、恋愛をしてみなければわからないことだ。そう。どんな恋愛も美しくなんてない。不器用で見るに耐えない感じ。だけど、そのことを神の視点から「笑うな」とクギをさした小説があっただろうか。ひたすら長く続いた「(笑)」の時代がようやく終わり、「(笑うな)」の時代がやってきたのかもしれない。

女は、ある程度美しくなければ恋愛できないかのように思われているふしがあるが、実際に縁遠いのは、賢くてセンスのいい女に決まってる。

だって賢かったら、恋愛なんて怒りの連続だろうし、センスが研ぎ澄まされていたら、ふさわしい相手なんて見つからないだろう。だから女は、あか抜けない原石のうちに恋をするべきなのだ。

美術教師のユリは、いい年なのにトウがたっていない。「ほとんどの絵を褒めて、厳しい批評はしない。的確なアドバイスもしない」わけだし、肌の手入れもしないわけだし、家も散らかっているわけだし、自己中心的なわけだし。こういう女は、料理上手な夫を持ちながら、20歳も年下の「オレ」と恋におちる。いくつになっても少女のような恋愛ができてしまうのだ。

なのに、そんなユリがオレから離れていく。彼女もしたたかなのだ、という空気が悲しい。ユリのような女も、洗練されたり、向上したりしてしまうのだろうか。

一方の「オレ」は、誰のことも憎んだりしない。ユリの夫にも、友達の彼女にも、好意を抱く。つまり、あやふやなのだ。そして、そのあやふやな優しさゆえに、どんな女も受け入れ、愛することができるのだ。もしかすると、すべての男は「オレ」みたいな感じなんじゃないだろうか? この小説は、男を癒す小説だと思う。山崎ナオコーラは、わかっているのだ。女の残酷さと男の優しさという美しい構図が、世界を支配していることを。

ふざけたタイトルやペンネームとは裏腹の、生真面目な手ざわり。誰も憎まれず、誰もダメにはならないこの小説は、ただひたすら、微妙な痛みに貫かれている。つまりそれは、幸福な人生なのだと思う。

この手ざわりは、忘れられない。
2004-12-09

『フレデリック・ワイズマン映画祭2004』 アテネ・フランセ文化センター /

美化されないから、美しい。


飲み会で、外資系銀行に勤める女子が言う。「昨夜も飲みすぎて、今日は会社休んじゃったんだけど、ここへ来るまでに何人も会社の人とすれ違って、気まずかったよー」。
保証会社に勤める男子は言う。「実家が新潟の被災地の近くで、会社の人たちから見舞い金をもらっちゃってさ。休みを取ったら、帰るの?大変だねって言われて、イタリアに遊びに行くなんて言えなかったよー」。
実際はナーバスな状況なのだろうが、彼らが楽しそうに話すので、私も笑いながら聞いてしまう。

会社の話が面白いのは、そこが「建て前」で成り立っている場所だからだ。建て前は、時に美しい―。

個人的な演技を撮るには俳優や演出が必要だが、社会的演技(=建て前)はそのまま撮影すればいい。集団の中では、誰もが特定の役割を担っており、演技することが自然だからだ。フレデリック・ワイズマンは、ある集団における人々の描写に徹することで、建て前から真実をあぶりだしてしまう。

ワイズマンのドキュメンタリー映画は、さまざまな場所で撮影される。精神異常犯罪者を矯正するマサチューセッツの刑務所(「チチカット・フォーリーズ」1967)、ハーレムの大病院(「病院」1970)、NATOのヨーロッパ演習エリア(「軍事演習」1979)、ニューヨークのモデル事務所(「モデル」1980)、ダラスの高級百貨店(「ストア」1983)、アラバマの障害者技術訓練校(「適応と仕事」1986)、黒人ばかりが住むシカゴ郊外の公共住宅(「パブリック・ハウジング」1997)、フロリダのDV被害者保護施設(「DV」2001) などだ。

「これは○○な時代を生き抜いた××な男たちの物語である―」といった説明的なナレーションや大袈裟なBGMに慣れてしまうと、世の中は感動的なエピソードだらけのような気がしてくるが、ワイズマンの映画を見ると、そんなものは実はどこにもないことがわかってしまう。つまり、そこに描かれているのは、淡々とした等身大の日常そのもの。一面的な結論を捏造しないことで、多様な現実が見えてくる。

ワイズマンと好対照をなす2人の映画監督が思い浮かぶ。1人は、キッチュな映像とミスマッチなナレーション、ずたずたに切り刻んだ音楽などを組み合わせ、よりわかりやすく人々を啓蒙するジャン=リュック・ゴダール。もう1人は、独善的な視点から世の中の構造を単純化し、ニール・ヤングやルイ・アームストロングなどの曲をまぶすことで、よりわかりやすくエンターテインメント化するマイケル・ムーア。2人の監督が自分の存在を前面に押し出すのに対し、ワイズマンは自分の存在を徹底的に消す。観客へのサービス以前に、ひたすら興味の対象を注視することから生まれる純粋な映像は、ドキュメンタリーの原点というべきもので、心洗われる。視聴率の呪縛から逃れられないテレビの人が見れば、命の洗濯になるのではないだろうか。

とりわけ、仕事をテーマにした「モデル」「ストア」「適応と仕事」の3本は美しい。モデル事務所で面接を受けるモデルたちにも、百貨店で働く従業員たちにも、職業訓練をこなす障害者たちにも励まされるし、一人ひとりのモデルに短時間で的確なアドバイスをするモデル事務所のスタッフや、確固たる企業ポリシーを語るニーマン・マーカス百貨店の経営者、一人ひとりの障害者についてじっくり討議する技術訓練校のスタッフなど、組織側の人間の社会的演技(=建て前)にも救われる。

ワイズマンは美しいものばかりを選んで撮っているのだろうか? まさか!
手術、嘔吐、凶悪犯罪…胸が悪くなるような正視に堪えない映像が一方にあるからこそ、この3本の「普通の美しさ」が際立つのだ。
2004-11-29

『シェフ、板長を斬る悪口雑言集(1、2)』 友里征耶 / グラフ社

レストランという名の、固有の物語。


本書に取り上げられている店は、フードジャーナリストたちが絶賛するレストランや料理店。東京のフレンチ、イタリアン、和食店が中心だ。

著者が批判するのは、店や料理人に都合のよい情報だけを垂れ流す自称料理評論家や、実名取材で受けた特別待遇を店の評価につなげるジャーナリスト。あるいは、テレビでは美味しい料理をつくるのに店では美味しくないものを出す鉄人や、バブリーな再開発ビルに他店舗展開したせいでモラルが低下したシェフなど。

いまいちかなと感じていた店が厳しく批判されている場合、そこまで言うか?と思いながらも笑いながら読んでしまう。そうそう、そうなのよねー。
例1「こんなイタリアン、いや、お店が存在していてよいのだろうか。味、サービスどれをとってもシャレにもならない」(笄櫻泉堂/神宮前)
例2「こんなはずではない、何かの間違いだろう」(トゥール・ダルジャン/ホテルニューオータニ)

自分が素晴らしいと思う店が絶賛されていれば、安心して読める。うんうん、最高だよねー。
例1「やはり今現在では東京でいちばんおいしいフレンチだ。料理だけでなく、ワイン、サービス、価格などのバランスを考えても最高峰だろう」(ロオジェ/銀座)
例2「人気イタリアンとしては価格もリーズナブル。リピートしてメニューを制覇したくなる店と考えます」(トラットリア・ダ・トンマズィーノ/北青山)

だが、自分が素晴らしいと思う店の評価が低かった場合には、心をかき乱される。あんなに美味しかったのにー? なんでなんで!
例1「さすが隠れ家レストランだ。うまくなくて高かった。それにしても、あの階段は危ない。保険に入っているのかな」(SIMPEI/上大崎)
例2「ネタ、揚げ方などに傑出したものを感じない。近くに行った際には、一度は立ち寄ってみてもよい店と考えます」(てんぷら深町/京橋)

そして、最も孤独を感じるのが、自分が最低と思う店が好意的に書かれていた場合だ。
たとえば、なぜか皆が絶賛する超人気イタリアンA。仕事場に近いため「来週あそこでランチしよう」などと言われるたびに、満席とわかっていながら電話してみるが、応対は決まって高飛車。電話するだけで嫌な思いをさせられる店のサービスがどんなものかって、そりゃあもう! 著者にだけはわかってほしかったのに。

総合的に考えると、いちばん面白く読めるのは、行ったことのない店がメッタ斬りされている場合かもしれない。たとえば、恵比寿の「ル・レストラン・ドゥ・レトワール」。著者はこの店のシェフに「さっさと出て行け、二度と来るなよ、塩をまいとけよ」という捨て台詞を吐かれたという。私は、著者の態度に問題ありと感じたが、シェフも相当くせのある人みたいだ。1冊めのこの対決だけでも面白いのに、著者はなんと、2冊めでこの店を再訪しているのである。

さて、今、レストラン業界&ファッション業界で最大の話題といえば、12月4日にオープンするシャネル銀座ビルの「ベージュ東京」だろう。フランスのトップシェフ、アラン・デュカスとシャネルのジョイント・ベンチャーで、ビルの設計とダイニングのデザインはピーター・マリノ、ユニフォームのデザインはカール・ラガーフェルド、キッチンのデザインはポール・ヴァレ、総支配人はソムリエ界の石田純一こと渋谷康弘氏である。既に予約受付が始まっており、クリスマスや土日のディナーは満席になりつつあるらしい。コースの価格しか発表されておらず、どんなものが食べられるのかわからないのに、だ。
私は、この店に対する著者の評価を、予約したいなという気持ちだ。
2004-11-15

『揺れる大地、他』 ルキーノ・ヴィスコンティ(監督) /

いちばん明るいヴィスコンティ映画。


ヴィスコンティ映画祭が終わった。パスポートを手に入れ、毎日のように通った。睡眠時間を削ってでも、見る価値があるものばかりだった。匂いや温度や倦怠までがリアルに感じられ、イタリア11日間の旅に行ったような気分になった。

イタリアン・ロードムービーの原点であり処女作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1943)、若き甥(アラン・ドロン)に負けない初老の男(バート・ランカスター)の魅力を描き切った貴族映画「山猫」(1963)、ヴィスコンティ映画のあらゆる要素がミステリアスに凝縮された「熊座の淡き星影」(1965)、マストロヤンニとアンナ・カリーナが不思議な日常を演じた「異邦人」(1967)、三島由紀夫も絶賛した死の美学が暴走する「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)、徹底した視線への執着が美しい「べニスに死す」(1971)、不倫の顛末を完璧なカラーコーディネートで見せた遺作「イノセント」(1976)etc…。

おしゃれな短編もある。舞台裏の女優の魅力が炸裂する「アンナ・マニャーニ」(1953)、貴族階級の労働とファッションをテーマにした「前金」(1962)、キッチュなメイクアップ映画「疲れ切った魔女」(1967)の3本だ。

ヴィスコンティ映画の真骨頂は、何と言っても、崩壊寸前のダメ男の美学。ほとんどの作品にダメ男が登場するが、女との対決という意味では、リリカルなナレーションがそそる究極のメロドラマ「夏の嵐」(1954)のダメ男ぶりがいちばん抜けている。経済力のある女がダメ男に金を与えれば、ダメ男はその金で若い女を買ったり、飲んだくれたりして、さらにダメになっちゃうのであるという経済論理がここまで正面きった女への侮辱や罵倒とともに語られた映画があっただろうか。女というものは、わかっていながらダメ男に何度でも騙されるし、騙されたいのである。ダメ男を信じたいからではなく、自分を信じたいからだ。愚かな女は結局、ダメ男によって完膚無きまでに打ちのめされるのだが、それでも「夏の嵐」の女は最後まで負けない。すべてをさらけ出すダメ男に対し、究極の愛のムチを選択するのである。「イノセント」と同様、凄まじい結末だ。ダメ男の名を呼びながら、気がふれたように暗い街を彷徨う女の姿が忘れられない…。

だが、最高の1本を選べといわれたら「揺れる大地」(1948)だろう。上映後、熟年カップルが「暗い映画だねー」と悪態をつきながらそそくさと会場をあとにするのを見た。シチリアの貧しい漁村を、現地住民を使い、現地ロケで撮ったモノクロ映画なのだ。この作品で不幸に見舞われ、崩壊してゆくのは、貴族ではなく庶民の一家なのだから、設定は確かに暗い。だけど中身は、最も希望に満ちた映画だと思う。主人公はまだ若いし、密輸業者と共に島を出て行った弟の今後も楽しみだ。

南部からミラノへ移住した一家の苦労を描いた「若者のすべて」(1960)では、南部の様子が描かれないため、アラン・ドロン演じる三男が最後まで故郷に固執する理由がわからなかったのだが、「揺れる大地」を見てようやく理解できた。人は、自分が生まれ育った土地の仕事や環境を不遇と感じたとき、それでも故郷に執着すべきなのか? それとも外の世界へ出て行くべきなのか?

「揺れる大地」は、外へ出て行かない映画なのに、希望がある。小さな漁村の中に、世界がある。自分にとって最も重要なものは何かを考えれば、どんな悩みにも自ずと答えは出るはずで、そこに愛と信念がある限り、人は何度でもやり直せるのだと思う。たとえどん底に陥っても、自分の原点と可能性を見つめ直して、もう一度、這い上がろうとすればいいのである。
2004-10-19

『メール道』 久米信行 / NTT出版

大量のメールに、愛は込められるか?


ライブドアの堀江貴文社長は、1日5000通のメールを読んでいるそうだ。しかも8時間寝ている!
こういう人は例外かと思っていたら、最近はそうでもないみたいで「月曜にパソコンを立ち上げるとスパムメールが1000通くらい来てるのよねー」と涼しげに言う人が身近にいた。インターネット関連の仕事をしている女性だが、要は、1日に処理するメール量が違うのだろう。

彼女のような人にメールを出す場合、タイトルは英文にしてはいけない。というような基本的なことも「メール道」を読むとよくわかる。じゃあ、どういうのがいいタイトルなのか? 本書には具体的で示唆に富んだ実例が満載されており、送信者名の設定から電子署名、返信を加速する方法、「礼儀正しさ」と「親しみやすさ」のバランスまで、ビジネスメールの書き方を手とり足とり教えてくれる。だが、最も重視されているのは、そんなふうに量産されるメールに「いかに心を込めるか?」ということだ。

著者は、親しい人へのメールは「こんにちは! くめです!」と、ひらがなで元気に始めるという。しかも「こ」と入力するだけで、いくつかのバリエーション(漢字バージョンとか肩書き付きバージョンとか)に変換されるのだ。私は思わず笑ってしまったが、ここは笑うところではない。「変換と同時に、頭の中で『こんにちは!』と復唱すると、一文字一文字打ったのと同様に心が込もるような気がいたします」と著者はいう。大真面目なのだ。

結びの言葉も、相手との関係や内容に応じて10種類ほどを使い分けて単語登録をしているそう。「しかしながら、本音をいえば、こうした大切なあいさつを、いわば手抜きで入力、変換することに、ささやかな罪の意識を感じています。一字ずつ打つのに比べて、心が込もらなくなるような気もするのです」。そこで著者は、表示されるあいさつ文を「目で追って、心で復唱」するのである。

極めるべき「メール道」は、各々の職業やキャラクターやメール量によって変わってくるだろう。私自身は本書に書かれていることをほとんど実践していないことがよくわかったし、今後も実践しないような気がする。だが、ゲーム感覚でラクしてボロ儲け!というトーンにあふれたネットビジネス界において、著者の説く「道」は救いだ。趣味よりも儲かることを仕事にしろと言い、メール速読術を提唱し、ビジネス処理能力を極限まで高めていく志向のライブドア社長とは、対極の立場だと思う。

「メール道」を通じて、豊かな人に近づいていきたいという著者だが、豊かな人の定義は「生活や趣味に困らないだけのほどよい『お金』を持ったうえで、『時間』『友人』『家族』『ライフワーク』『健康』『信条』もバランスよく持っている人」のこと。これは、村上龍が定義する成功者の定義「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼出来る小さな共同体を持っている人」(人生における成功者の定義と条件/日本放送出版協会)と通じるものがある。

最後の章のタイトルは「『メール道』の先にある『道』」。メール道はここに行き着くのか!と驚き、ウケた。

私は、たまたま著者にお会いしたことがある。「メール道」も素晴らしいが、実際の人柄のほうがはるかに面白い。とりわけ、しょうもない馬鹿話をする時の生き生きとした表情といったら!
というわけで、大真面目な文体には、つい笑ってしまう私であるが、著者のキャラを思うと、本書は、おそらく笑ってもいい本なんじゃないかと思うのだ。(ちょっと不安)
2004-10-05


『PALOOKAVILLE RELEASE PARTY』 ファットボーイ・スリム他 /

2004年9月25日の音楽的衝撃。


ライブっていうのはもはや楽器を演奏する時代じゃないんだと悟ったきっかけは、最近恵比寿に移りタワーカフェなどもできておしゃれに変身したリキッドルームが新宿で全盛期だった時に見たケミカル・ブラザーズだったろうか。デジタルロックという言葉が流行っていてビッグビーツなんて言葉はまだ主流でなかったような気がする1997年頃のことだ。
7時半ぴったりに開演してアンコールの曲順まで決まっている一方通行の大箱ライブではなく、ターンテーブルという楽器をあやつるアーティストと共に深夜になってようやく盛り上がるクラブ形式のエンターテインメント。

それから7年たった一昨日、音楽的衝撃は、新たな次元へと突入した。目黒通りのCLASKAでおこなわれたファットボーイ・スリムのアルバムリリースパーティを私は忘れないだろう。何が衝撃だったかって、ファットボーイ・スリムは何もしなかったのである。要はプレイしないで帰っちゃっただけなのだが、ポップ・ミュージックはここまで柔軟で双方向で決まぐれでアバウトで何でもありで世の中をナメてかかったものに進化したのである。

主役以外のDJとVJはフロアを十分に盛り上げた。クルーエルの井上薫、瀧見憲司に加え、FANTASTIC PLASTIC MACHINEの田中知之が上げるだけ上げて、10時半頃いよいよファットボーイ・スリムが登場!!...フロアは突然モッシュ状態に。しかし、ノーマン・クックは回さずに帰ってしまったのだ。あっけにとられてしまう。呆然とはこのこと。「ノーマン最低コール」はあったものの、暴動には至らず。

この日は、ageHaやyellowで既におこなわれた東京公演とこれから行われるはずの大阪公演の合間の余興の日。招待状にもゲスト:FAT BOY SLIMと書いてあるだけだ。しかもCLASKAは居心地がいい。くつろぎスペースがいっぱいあってクローズドのパーティやイベントにふさわしいクラブラウンジだ。ふだんはいわゆるデザイナーズホテルだからセキュリティもしっかりしていて安っぽくない。十分楽しんだ。汗もかいた。そもそも、お金を払って「ライブ」を見にきたのではなく、入場チェックだけはやたらと厳しい代わりに自由度の高い「パーティ」に来たのだから仕方ない。ノーマンが帰っちゃうのも「自由」なのだ。だがしかし…。

もしかしたらノーマンが深夜に戻ってくる可能性はゼロではないのではないだろうかなどという根拠のない前向きな思いを抱きつつ1階のソファで死んでいると、11時から急遽アフラが出演するというアナウンスが。富士ゼロックスのCFでもおなじみの「ヒューマンビートボックス」アフラである。楽器を使わずに1人で自在な音を発する彼ならターンテーブルもいらないのであるからして、これこそ究極のDJ。何でもありの音楽の行き着くところは、ここなのか?

回さずに帰るノーマン VS 回す必要すらないアフラ。これはもうアフラの勝ちでしょう。というのは単なる負け惜しみに過ぎず。私はノーマンを見に来たのであって、アフラは見ないで帰ったよ。何て律儀なんだ。
2004-09-27

『WRC第11戦「ラリー・ジャパン2004」』 北海道・十勝(9/3~5) /

スリルより マナーで示せ 君の腕


スリルより マナーで示せ 君の腕 ― 青山通りでこの交通標語を見るたびに、クルマの魅力はスリルだよなあとつくづく思う。マナーを守ってスリルを追求しようぜ。そう煽っているとしか思えない。いい標語だと思う。

私が最初に乗ったクルマは、スバルの軽自動車だった。アマチュア時代、コピーコンテストの賞品としてもらったのだ。嬉しくてたまらなかった。その後、知人の運転するスバル・インプレッサに乗せてもらった。青山3丁目のヘアピンをスピードを落とさずにターンしきった時、何かが私の中ではじけた(笑)。そして今、1970年代に2年連続でWRC 2位に終わった悲運のラリーカーに乗っている。

というわけで、初めて日本で開催されるWRCを見に行かないわけにはいかなかった。昨年のチャンピオンであるノルウェーのペター・ソルベルグ(スバル・インプレッサ)は総合4位に甘んじていたものの、スバルのホームラリーとあって、初日から首位に立った。

私が見たのは硬派な林道コースではなく、ナンパなスーパーSSナイトレース。帯広市街地に近い札内川の河川敷につくられた2.2キロの8の字型コースを2台が同時にスタートし、トンネルとジャンプ台で交差しながらタイムを競う。もちろん競技の一部だが、見た目は「ライトアップされた仮設サーキットにおける音楽と実況つきのラリー・ショウ」。サイレンを付けたテストカーの走行だけで場内は興奮のるつぼと化し、まるでサーカス。スタンド席にいたのに、クルマが走るたびに砂粒が飛んでくる。立ち見席なんて怖すぎだ。

サーキットの裏には各チームのブースや屋台が並び、今回メーカー直系では出場しなかった三菱自動車も出店。帯広の夜は予想以上に寒く、皆ここで、公式グッズや帯広名物の豚丼などを買い求めるのだ。応援のためというよりは防寒のために、チームロゴ入りのジャンパーが飛ぶように売れていく。「Lサイズありますか?」「カード使えないんですか?」「STIって何ですか?」…。

メインイベントはすぐにやってきた。ペター・ソルベルグと、2位のセバスチャン・ローブ(シトロエン・クサラ)がこのコースを一緒に走ったのだ。ソルベルグのほうがわずかに速い。素人目にも明らかなムダのない走りと華麗なドリフト! これが終わると、帰る人が続出。

ソルベルグは、両親ともにラリードライバー。昨年結婚したスウェーデン出身の妻も元ラリードライバーだという。まさに生粋のサーカス一家。パフォーマンスも派手で「日本食は世界一おいしい」と発言するなどサービス精神たっぷり。ハリウッドとあだ名がつくほど調子のいいキャラクターと堅実な走りは、両立するのだ。

中村獅童が吠えるスバル・インプレッサのCFが、シンプリー・レッドの「スターズ」の旋律とともに私を揺さぶる。この日以来、CFの映像が、道南の美しい空と海岸であるように見えてしまうのだ。たぶん違うと思うけど。
2004-09-12

『CLUB TROPICALNA 2003』 ハイラ & チャランガ・アバネーラ / GRIOT RECORDS

キューバ音楽最高峰のコラボレーションライブ!!(←CDジャケットコピーby村上龍)


村上龍のあまりの絶賛ぶりに、毎年ハウステンボスへ行っちゃおうかなあと思いつつ叶わなかった噂のライブを、渋谷のDuo Music Exchangeで見ることができた。リュウ ムラカミ&ブルガリ&ヴォーグニッポンのコラボレーション企画である。

初めて食べるキューバ料理は、さつまいもの天ぷらみたいな青バナナのフライや、お赤飯みたいな豆のライスなど、和食と見まがうばかりの親近感。デザートの甘いクリームを舐めながらフレッシュミントの葉がたっぷり入ったラムのカクテル、モヒートなど飲んでいると、もう踊るしかないって気分になってくる。現地の料理でお腹いっぱいにさせてからノセるというのは、正しすぎる演出だ。

村上龍のナイーブにしてチャーミングな挨拶に続きステージに登場したラテンのビッグバンド、チャランガ・アバネーラは、ヴォーカル4人、ホーンセクション4人、パーカッション3人、ピアノ、ベース…総勢15名はいただろうか。まさに南国リゾートならどこにでもありそうな「**ナイト」っていうノリでスタートしたものの、そのテクニックは素晴らしく、振りはゆるく、パフォーマンスは官能的。全員がこれ以上ないってくらい楽しそうに演奏している。

ダイナマイトバディの歌姫ハイラは、ヒールの高い白のアンクルブーツで登場。全身「光る白」のコーディネートは、キューバの作家アレナスがハバナを回想しつつ眺めたニューヨークの雪を思わせて目にしみた。というのはこじつけ過ぎだけど、実にキュート!

というわけで大盛り上がりの帰り際、このCDをサイン入り生写真付きで手に入れた。ハウステンボスでのライブバージョンである。1か月待ちでようやく届いたばかりのブルーのiPOD miniで聴いてみたくなったのだ。

イコライザーを「ラテン」に設定してもいまひとつだったのに、「ダンス」にしてみると、これが決まった。低音が強調され、音の抜けも格段にいい。マンボのステップが体の内側から湧き出てくる。というのは言い過ぎだけど、iPOD miniに入れる最初の1枚として、最もふさわしかったラテン・ライブ・アルバム。
2004-08-30

『ダイアログ・イン・ザ・ダーク 2004 TOKYO』 梅窓院 祖師堂ホール /

南青山で、透明人間になる。


耳の聴こえない夫婦の家を訪問し、インタビューしたことがある。
いちばん鮮烈だったのは彼らの赤ん坊で、母親に抱かれながらも、何か要求があるたびに彼女の体をバシバシたたき、強引に自分のほうを向かせる。夜中もそうやって母親を起こすのだという。泣く前に、たたく。それが、泣き声の通用しない世界における、彼のサバイバル法なのだ。

真っ暗な空間を歩き、視覚以外の感覚でさまざまな体験をする展覧会「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」が南青山で開催中と知り、思い出したのはそのことだった。見えない世界で、自分は何を頼りに生きていくのだろう? それを知るチャンスだと思った。世界70都市で開催され、既に100万人以上が体験しているらしい。

スニーカーを貸し出され、光るものや音の出るものはすべてロッカーへ。白杖(はくじょう)とアテンドスタッフだけを頼りに、見知らぬ7人と共に会場に入る。

完璧な暗闇だった。最初はこわくて一歩も動けないが、アテンドスタッフがリラックスさせてくれる。水の音や鳥のさえずりが聞こえる森林浴のような演出に救われた。蒸し暑かったり息苦しかったりしたらパニックになるところだ。

アテンドスタッフは視覚障害者。赤外線メガネをかけているわけでもないのに、彼だけが8人の位置を把握しているみたいだ。ダンゴ状態でそろそろと移動する8人をナビゲートしつつ、自分は普通の速度で動きまわり、ディズニーランドのスタッフみたいなトークで楽しませながらガイドしてくれる。すごいなと思った。

揺れるつり橋を渡る。わらを踏みしめる。木がある。街がある。スタジアムがある。改札をくぐる。駅がある。駅の喧騒は怖い。ホームから落ちる人がいる。2人乗りのブランコに乗る。ぬいぐるみにさわる。オレンジの匂いをかぐ。階段を下りる。バーがある。サービススタッフがいる。椅子に案内される。テーブルを囲む。ワインを注文する。グラスについでもらう。「アルコールの匂いだ」と声がする。乾杯する。ひと口飲んでみる。「赤?白?」と隣の人に聞かれる。「赤」と答える。サービススタッフに「正解です」と言われほっとする。

なんでもない手すりや椅子、テーブルの心地よさは驚きであった。人が触れることを想定したプロダクツには、やさしさがあるのだと知った。闇の中では、人とぶつかるのも、それほど嫌ではない。誰ともぶつからないよりは、はるかにましなのだ。

見えない世界で、私はふだんより饒舌になっていた。黙っていると置いていかれるかもしれないし、誰も助けてくれないかもしれない。足を踏まれるかもしれないし、踏んでしまうかもしれない。絶えずしゃべっていることが身を守ることにつながるのだ。そう、私は「見えない人」になったのではなく、誰からも見られることのない「透明人間」になったのだった。だから、しゃべることにした。それが私のサバイバル法だった。だが、他の人は違うかもしれない。全然しゃべらない人もいた。バーでテーブルを囲んでいても、静かな人はそこにいるかどうかもわからず、私は、テーブルの形や座席の配置を最後まで把握できなかった。

会場全体がどんなレイアウトだったのかもわからない。私には、どうしても地図が描けないのだ。だが、描けるという人もいた。会場を明るくしてもう一度歩いてみたいなとその時は思ったが、そんな種明かしはしないほうがいいのかもしれない。何も見えなかったのに、まるで映画のような記憶として思い返すことができる。そのことが単純に面白い。


*完全予約制・9月4日まで開催中
2004-08-26

『コピーの時代-デュシャンからウォーホル、モリムラへ』 滋賀県立近代美術館 /

ホンモノより、アタラシイモノが見たい。


桜の季節には京都国立近代美術館のカフェへ。
燕子花の季節には根津美術館の庭園へ。
紅葉の季節には足立美術館の茶室へ。
だが、この夏はなんといっても滋賀県立近代美術館である。

というのは屁理屈だが、人はなぜ美術展へ行くのだろう? 本物を見るため? だとしたら、東京から琵琶湖までわざわざコピーアートを見に行くのは馬鹿げている?

マルセル・デュシャンから始まって、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、森村泰昌まで、22名と1グループによる137点の作品を6つのゾーンに分け、引用と複製の歴史を振り返り、シミュレーショニズムの最前線に迫る企画展だ。

紙幣をコピーした赤瀬川源平、コンビニのサインボードから文字を消した中村政人、名画の登場人物を1人だけ消したり、ありそうでどこにもない風景を写真のように細密に描く小川信治、登場人物の視点から名画を描き直したり、著作権侵害にならないようにディズニーアニメをコピーした福田美蘭、オリジナルのない映画の登場人物になりきるシンディ・シャーマン…。

福田美蘭の最新作(2004)は、この美術館の所蔵作品(人間国宝による着物と壷)のパロディー。着物をまとった想像の自画像と、壷を収納しておくための木箱や詰めものを描いた作品が「本物」と並べて展示されているのだから面白すぎ。今回、メインの作品と対比するための「本物」のいくつかは、所蔵美術館からのレンタル期限切れで撤去されていたのだが、この美術館の所蔵品ならノープロブレムだ。

デュシャンの作品は、便器を倒して署名しただけの「泉」(1917)をはじめとするレディメイドシリーズや、モナリザの顔にひげを書いただけの「L.H.O.O.Q.」(1919)などたくさんあったが、「オリジナル」ではなく1964年にミラノで複製されたもの。これも、オリジナルと並べて展示したら面白いかも。

1917年、デュシャン自身が委員をやっていたニューヨークのアンデパンダン展で「泉」が出品拒否されたのは有名な話だが、「デュシャンは語る」(ちくま学芸文庫)によると、どうやら無視されたってことらしい。便器は会場の仕切りの外に置かれており、「展覧会の後で、仕切りの後に『泉』を見つけました。それで取戻せたわけです!」なんて本人は語っている。「私はいっぺんで受けいれられるようなものは、何もつくれなかった」とも。

本当に面白いものは、展示会場ではなく、仕切りの後ろにこそあるのだ。それが、美術展に足を運ぶ理由でもある。回顧展を観るだけでなく、オリジナルが生まれる瞬間に立ち会えたらいい。

*9月5日まで開催中
2004-08-12

『69 sixty nine』 村上龍(原作)・李相日(監督) /

地方出身の男が、女と世界を救う?


「経済力もお嫁さんもない地方都市の無名の十七歳だったら、誰だって同じ思いを持っている。選別されて、家畜になるかならないかの瀬戸際にいるのだから、当然だ」
-「69」より

女を幸せにするのは、地方出身の男である。というのは嘘ではなく、私の個人的な考えだ。
1969年の佐世保について1987年に書かれた小説が、2004年の今、映画になった。

村上龍は、どこへ行くのだろう。洗練されることなく文化の最前線を突っ走ってほしいものだが、一方で、彼ほど政治家に向いている人はいないとも思う。「長崎生まれ、武蔵野美術大学中退」という肩書きは「東京生まれ、一ツ橋大学卒業」の田中康夫を超える武器となるだろう。

「69」の主人公ケンは、佐世保時代の村上龍だ。こんなに世の中の見えている高校生は、私が通っていたマザコンばかりの東京の高校には、1人もいなかった。重要なことに早く気付くためには、中心を外側から眺める見通しのいい場所にいなきゃダメなのだ。そんなわけで、東大に入る人数だけはやたらと多い私の高校は全滅だったが、中学には「69」におけるケンのような男子が1人だけいた。東京だが海に近かったせいだと思う。彼はいつも、海の向こうの町や文化を見ていた。

世の中の見えていなかった私は、14歳のとき、彼をリュウと名付け、原稿用紙5枚のふざけた作文を書き、賞金をもらった。それから10年後、相変わらず世の中は見えていなかったものの書くことを仕事として選んだ遠因にリュウの存在があったことは確かだが、同じ時期、彼は留学先の米国で銃に撃たれ死んでしまった。彼が何を愛し、どう生きようとしていたのかは知らないが、とにかく日本は、村上龍ばりの貴重な人材を1人失ったのだと私は思った。

映画版「69」は、原作とはずいぶん違う。1969年の風俗が、面白おかしくサンプリングされているだけなのだ。

「恐れることはない。とにかく『盗め』。世界はそれを手当り次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ」
-椹木野衣「シミュレーショニズム」(1991)より

雑多な要素のつめこみ過ぎでまとまりに欠ける映画だが、ケンを演じる妻夫木くんの日焼けしたランニング姿のまばゆさが、すべてを貫いている。楽しんで生きろというのが「69」の唯一のメッセージであり、楽しむってことは、実は相当エゴイスティックなことだから、まばゆさは残酷さでもある。ダサイ奴、馬鹿な奴、醜い奴を切り捨てる若いリーダーシップの残酷な輝きを、映画は切り取った。

「楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。(中略)だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしはその戦いを今も続けている。退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう」
-「69」あとがきより

村上龍は、今も戦っている。だが、脚本を書いた宮藤官九郎は戦っていない。小説の暗い結末を、あまりにも明るく処理してしまった。つまり、戦わずに楽しく生きられる世代がようやく登場したってことなのか? 鮮やかなラストのおかげで、まとまりのなさは払拭され、楽しい嘘をつくことの意味がくっきりと浮き彫りになった。楽しい嘘たちが、原作を、軽やかに超えてしまったように見えるのだ。
2004-07-28

『下妻物語』 嶽本野ばら(原作)・中島哲也(監督) /

下妻が世界とつながっている理由、もしくは「ジャージ」と「お洒落なジャージ」の違いについて。 


茨城県・下妻を舞台にした映画が、世界で公開される。
カンヌ映画祭のマーケット試写会にて「カミカゼ・ガールズ」という英訳で上映されたところオファーが殺到し、米国、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダ、ベルギー、チェコ、中国、韓国、タイなどで上映が決まったという。

下妻ってどこよ? ヤンキーとロリータの友情? 極端すぎて、どこにも共感できるスキなんてないじゃん。予告編を見てそう思った私は浅はかだった。

世界の共感を得るのは、グローバリズムなどではなくローカリズムに決まってる。中島哲也監督はサッポロ黒ラベルの温泉卓球編などで知られるCMディレクターであるからして、絵づくりがいちいち決まっているし、編集やCGにも妥協がない。土屋アンナの体当たり演技は、それだけでヤンキー精神全開...時々お仕事でご一緒する機会があるけれど、こんなに姉御肌でカッコイイ20歳女子を私はほかに知りません。

下妻物語は、優れたファッション・マーケティング映画でもある。深田恭子演じるロリータの桃子と土屋アンナ演じるヤンキーのイチゴという両極な二人だが、お洒落に没頭する女の子の気持ちを的確に言い当てている。代官山を舞台にフツーの流行を見せたって、説得力のあるファッション映画は撮れないだろう。桃子の住む下妻には巨大なジャスコがあるのに、どうして休みのたびに何時間もかけて代官山まで来てロリロリのお洋服を買わなきゃなんないのか。そもそも桃子はどんな家に育ち、どういう経緯で下妻に住み、いかにロココの精神を身にまとうに至ったのか。ファッションを語るには、ここんとこが最も重要なのだ。

しかもこの2人、スジが通っていてかっこいい。互いに信念を持っているからこそ、見た目の違い、主義の違いを超えて認め合える。友だちって必要なのか? 学校って行くべきなのか? 仕事ってするべきなのか? 借りって返すべきなのか? ほんと、ためになる映画だけど、もちろん現実にはこんなスジの通った女子高校生など存在しないはず。2人の生き方は、原作者、嶽本野ばら氏の「ハードボイルドじゃなきゃ乙女じゃない」という美学のイコンなのである。

「人のものでも好きならば取ってしまえば良いのです。どんな反則技を使おうと、狙った獲物は手に入れなければなりません。我儘は乙女の天敵です。自分さえ幸せになればいいじゃん」

「酸いも甘いも噛み分けた人生経験豊富なレディになることなんて私は望みはしません。酸っぱいものは食べたくない、甘いものだけでお腹をいっぱいにして私は生きていくのです」

「こいつは、何時も一人で立ってるんだよ。誰にも流されず、自分のルールだけに忠実に生きてやがるんだよ。群れなきゃ歩くことも出来ないあんたらと、格が違うんだよ」

「心の痛みを紛らわす安易な手段を憶えてしまったら、きっと人は何か大切なものを損なってしまうのです」

原作には、桃子とイチゴを橋渡しするブランドとして、HONDAとのWネームを展開しているシンイチロウ・アラカワの服が出てくる。「ヤンキーのままでもいいから、少しはイチゴをお洒落にしたい。本人も気付かぬうちに、私好みにカスタムしていきたい」というのが桃子の思惑なのだ。

私は、ロリ服も特攻服も着たことがないしHONDAのバイクにも今のところ乗っていないけど、シンイチロウ・アラカワは好きだ。ここの服を着てると「HONDAの仕事してんの?それってノベルティ?」と言われがちなのが難点ですが、乙女のカリスマなんていわれる嶽本野ばら氏に自分が影響され、カスタマイズされそうになる理由がようやくわかった気が…。
2004-07-13

『巨匠たちの秘蔵ドキュメンタリー』 テオ・アンゲロプロス/マノエル・デ・オリヴェイラ/アモス・ギタイ/クシシュトフ・キェシロフスキ /

1時間でわかる、各国の現実。


下北沢の短編映画館トリウッドで、夢のようなイベントが開かれた。ヨーロッパと中東を代表する4人の映画監督の、ビデオやDVDになっていないドキュメンタリー作品が1日限りで上映されたのだ。この4本、見事な起承転結になっていて面白かった。

●「アテネ-アクロポリスへの三度の帰還」by テオ・アンゲロプロス(ギリシャ)1982・44分

アクロポリスをめぐる歴史の再発見。監督がかつて住んでいた家の下から古代遺跡が発見され、発掘作業が進んでいる。おもちゃが見つかり、自分の部屋の真下に少年の部屋があったことがわかったという。これ、男の人にとって、父探しどころではない衝撃なんじゃないだろうか。
古代遺跡に比べればごく最近の建物であるともいえる新古典主義の建物がどんどん壊され、発掘が優先されているらしい。船のようにゆっくりと進むカメラがとらえる街は魅力的だが、偉大な歴史を抱える都市に住むというのは、つまりこういうことなのだ。
舞い上がれない蝶や鳥、ストップモーションの人物など、アンゲロプロスらしい宙吊りのイメージが多数登場し、絵づくりが冴える。オリンピック前に世界が見るべき1本だと思うけど、7月10日から東京国際フォーラムで開かれる「テオ・アンゲロプロス映画祭」でも上映されないしなあ。

●「リスボン」by マノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガル)1983・61分

ポルトガルの人も大変そうだ。大航海時代の偉業抜きには語れない港町リスボン。歴史を全方位からていねいに浮かびあがらせる真面目さはオリヴェイラならでは。このドキュメンタリーをドラマとして完成させたのが「永遠の語らい」(2003)だと思う。華やかな歴史とは対照的なファドのメロディーがあまりにも哀切。哀切は、眠い。

●「オレンジ」by アモス・ギタイ(イスラエル)1998・58分

イスラエルの経済を支えているのは、そんなポルトガルが中国から持ち込んだオレンジなのだった。アモス・ギタイは、オレンジ産業をベースに、イスラエルとパレスチナの対立構造を、ゴダールのような1+1(古い写真を繰り返し写すパート+ドキュメンタリーパート)の手法であぶりだす。
暗く重いテーマだが、鮮やかなオレンジ(柑橘類)の映像が救いになっている。果物に罪はないし、オレンジだけは豊富にあるという国に、ある種のうらやましさを感じたってバチは当たらないだろう。実際、映画の中では「足りないものを嘆くのではなく、豊かなものに目を向けるべき」というような小説のメッセージが繰り返し引用されるのだ。
イスラエル産の柑橘類にはJAFFA(ヤッファ)のシールが貼ってある。ヤッファとはもともと町の名前だが、いつの間にかオレンジを意味するようになった。

●「I’m so so」by クシシュトフ・ヴィエジュビツキ(ポーランド) 1995・56分

クシシュトフ・キェシロフスキ監督が主演し、彼の助手が監督をつとめる。キェシロフスキ監督は、この映画に収まった数ヶ月後、突然の心臓発作で亡くなるのだが…。
「I’m so so(まあまあ)」というタイトルは、「最近どう?」と訊くと「最高さ!」とハイテンションで答えるような中身のないアメリカ文化は苦手だと監督が語るシーンからきている。気のおけないスタッフとの会話の中に監督の才気が光り、私はもう釘付け。「偶然によって運命は変わるが、たとえ何かを失っても誠実な人は誠実なままだし、そうでない人はそのまま」などと監督はおっしゃる。
「僕は悲観主義で、未来が怖い」ともおっしゃっていたが、あくまでも楽観主義への痛烈な批判なのであリ、監督は意外にウソツキであることが最後にわかるのであった。
2004-06-29

『世界の中心で、愛をさけぶ』 片山恭一(原作)・行定勲(監督) /

映画化という仕事。


はじめに原作を読んだ。
ヒロインのアキが死ぬことは最初からわかっていて、そのことが随所で強調される。朔太郎は、アキに恋する日々の中で突然「どんなに長く生きても、いま以上の幸福は望めない」という「恐ろしい確信」にとらわれてしまう。あまりにもベタな伏線。

が、その後アキが入院し、朔太郎が彼女の自宅に侵入するシーンの鮮やかさといったら。
「自分がすでに彼女を失い、遺品をあらためるために、この部屋に足を踏み入れたような錯覚にとらわれていた。それは奇怪で生々しい錯覚だった。まるで未来を追憶しているようだった」

映画では外されたこのシーンで、小説のテーマが「未来への追憶」そのものであることがわかる。好きになった瞬間に、失うことを恐れなければいけない繊細な季節の物語。アバウトな大人になる前の、理屈っぽく悲観的な思春期の…。

大人になってしまったら「失われた過去」を追憶しても前へ進めない。自分の過去も誰かの過去も、自然に受け入れればいい。それが人を好きになるということだ。現実を太く生きるために。失うことを恐れずにすむように。

2人の現実離れした会話は、小説ならではの気恥ずかしさに満ちているが、映画ではもう少し普通の会話になっており、長澤まさみと森山未來が軽やかに普遍化してみせる。小説には小説の、映画には映画のよさが生きていて、幸福に共存しているのだ。片山恭一いわく「小説のなかで描かれているシーンと、小説にはない映画独自のシーンとが相互に補い合う感じで、決してぶつかっておらず理想的でした」

ウォークマンでカセットテープを聞く柴咲コウがアップになり、彼女の目の色が変化し、涙がひとすじ落ちる。まるでCFみたいなオープニングの表情が、私を釘付けにした。これが女優だ、と思った。限られたシーンで彼女は圧倒的な存在感を見せるのだ。「GO」に引き続き、山崎努の演技もすごかった。どうしてこんなに面白い人物造詣ができるのだろう。

大人になった朔太郎(大沢たかお)が暗い街を走り、その姿が彼に良く似た少年(森山未來)に変わり、高校時代のまぶしい四国の町につながる。クルマなんかなくても、ある風景を駆け抜ければ、映画はロードムービーになる。過去の明るさと現在の暗さの対比、それだけでこの映画は成功している。

いい原作だから、いい肉づけができるのだろうか。俳優の解釈が冴え、表情や走りに凄みが出る。スタッフのリアルが積み重なり、よりピュアなものになる。
映画が面白くなるか、つまらなくなるかの分かれ道について考えた。この映画を見る前に、大好きな監督の、ものすごくつまらない作品をDVDで見てしまったからだ。原作はなく、キャスティングも悪かった。監督の個人的な観念が空回りしていた。

観念を描写に変換し、描写に愛を注ぐ。原作の映画化とは、そういうことだ。何かを何かに変換して納品するのがあらゆる仕事の本質なのだとしたら、自分もそんなふうに仕事をしたいなと思った。右から左へ納品するのではなく、勝手に壊して納品するのでもなく、愛と必然性に基づいた職人的な加工をして納品する。まったく別物でありながら、左右がつながるような。1+1が2以上になるような。

柴咲コウは、原作を泣きながら一気に読み、それがダ・ヴィンチで紹介された。編集担当者はそれを知り、彼女の言葉を小説の帯コピーに使った。行定監督は、原作を愛している女優に頼もうという気持ちで彼女をキャスティングした。まさに愛の連鎖!

女子高生たちが「この映画、まじやばいよ」と言いながら泣いていた。私もそう思う。ウォータープルーフのマスカラでよかった。
2004-06-20

『幸せになるためのイタリア語講座』 ロネ・シェルフィグ(監督) /

「不自由な映画」と「自由な写真」。


年齢を重ねても不器用な人は多い。この映画は、そんな生き方にスポットを当てた。かっこいいとこなんてないし、夢のようなことも起こらない。6人の男女が織り成すダサダサの恋愛映画。

とりわけ不器用なのが、パン屋で働いているのに何度もパンをひっくり返し、いつも髪が乱れていたりスカートがめくれていたりする問題解決能力のない女オリンピア。とても他人ごととは思えず痛い! 不器用な人をなめるんじゃないわよ、と言いたいところだが、映画の撮り方自体も不器用なので、まあいいかって感じ。

不器用な人がこの映画を見ても救われないし解放感もない。ベネチアまで行ってもロードムービー感すら漂わない。彼らが仲間とだけコミュニケーションしているからだ。牧師が「僕にはもう必要ない」とかいってマセラッティを手放すってのも、あまりに紋切り型。

この映画全体を貫く不自由さの理由は、ラース・フォントリアーを中心としたデンマークの4人の監督たちによる「ドグマ」のルールに従っているからかもしれない。許されているのは手持ちカメラを使ったロケーション撮影のみ。小道具やセットを持ち込んではならず、背景以外の音楽を使ってはならず、カラーでなければならず、人工照明は禁止。殺人や武器の使用、表面的なアクションも禁止...一体、何のためにこんな制約を? 1ミリも理解できない。

私は、この映画を見るために新宿へ行ったわけだが、photographers’galleryで開かれていた蔵真墨の写真展とセットにしたのは正解だった。

蔵真墨の写真は私だ―多くの人がそう感じると思う。女子高生やらビジネスマンやらおばさんやらおっさんやら多様な人物が写っているのに、圧倒的なシンパシーへと導かれる。美しいものを美しいとくくらず、不器用な人間を不器用とくくらないクールな客観性。ステレオタイプからの限りない自由。そこから生まれるエッジイな笑い。人+場所+瞬間の吸引力。それは、デンマークとイタリアで撮影された映画にすら欠けていたロードムービー感だと思う。

こういう写真は、偶然には撮れないはず。「普通の人」のキャスティングのセンスが素晴らしすぎるし、ほとんど正面から撮ってるし。一体どうやって仕込んでいるんだろう? それだけが知りたかった。だから、ギャラリーの事務所にいたフェミニンな女性が本人であることを知り、私は歓喜した。彼女の写真はなんと偶然の産物なのだそう。「いろいろ問題もあるんですけど」とミステリアスに微笑む彼女。ああ、それらの問題がいかなるものであってもオッケーです、あなたなら。

蔵真墨さんの写真に出会った「Photographers’gallery press」(No.3 \1,600)は、仕事柄「コマーシャル・フォト」ばかり見ている私にとって、久々にエキサイティングなアート写真雑誌だった。

たとえば、小津安二郎が1937年に撮った静物写真の強さ。

たとえば、六本木の地下鉄の階段を上がったら目の前に交通安全ポスターがあり「おっとという感じでインパクトを受けて、よしこれ撮っちゃおう」というノリで森山大道が撮った「アクシデント」シリーズ(1969)が、他人の写真を勝手に撮って卑怯だとか、汚いとか、そういうことでいいのかなどと言われたというエピソード。

たとえば、肺がんに侵された肺と正常な肺を並べてあるような脅迫的な写真の場合、どちらがきれいかは趣味の問題であって「ただれた肺をきれいだとかバロック的な肺だとか言ってもいいんじゃないか」というようなことを主張する島田雅彦。

真実に肉薄しようとするカメラマンを揶揄したしりあがり寿のマンガ「キャメラマン・シャッ太」も秀逸!
2004-05-29

『永遠(とわ)の語らい』 マノエル・ド・オリヴェイラ(監督) /

セレブな映画には、何が欠落してる?


コンサバ系女性誌の言葉使いはおもしろい。
コスメ、ファンデ、ワンピ、アクセ、ローテ、リュクス、ミューズ、セレブ…

95才のマノエル・ド・オリヴェイラ監督が、昨年は、西洋文明をテーマに95分のセレブな映画を撮った。来日した監督は、生きていれば100歳になる小津安次郎の墓参りをしたという。小津監督なら、今年どんな映画を撮っただろう。日本やアジアの登場しないこの映画を観ながら、そんなことを思った。

ポルトガル人のローザは、7才の娘を連れ、地中海を巡る船旅をする。フランス、イタリア、ギリシャ、エジプト、トルコ…。最終的にはインドでシフトを交代するパイロットの夫と落ち合い、3人でヴァカンスを過ごす予定である。あえて船旅を選んだ理由は、本でしか見たことのない歴史を確かめるため。ローザはリスボン大学の歴史教授だから、娘の質問にも完璧に答える。観客にとっても有益で楽しい旅だ。

この船には、知性、経済力、美貌、知名度というセレブの条件を完璧に備えた3人の女性が乗船している。フランスの実業家(byカトリーヌ・ドヌーヴ)、ギリシャの大女優(byイレーナ・パパス)、イタリアの元モデル(byステファニア・サンドレッリ)という面々。ホストである船長(byジョン・マルコヴィッチ)を囲み夕食をとる彼女たちは、それぞれの国の言葉を話すが、何の問題もなく通じ合える。まさに、理想のコスモポリタニズムを体現したテーブルなのだ。が、彼女たちの会話が豊かであればあるほど「そこにないもの」が次第に際立つ。

ローザと娘がテーブルに招待されることで、それは明らかになる。ローザは他の3人に比べると若く無名だが、知性と経済力と美貌を備えているため船長にデッキでナンパされ、無理やりテーブルに迎えられるのだ。

表面的にはまず、セレブたちに欠落している「夫と可愛い娘」の存在が強調されるが、本当に欠落しているのは、もっと決定的なものだった。そのことを暗示するのが、船長が娘にプレゼントする人形。つまり、あとから加わった3人の女(ローザ、娘、人形)が、既存の3人の欠落を浮き彫りにするのである。すべての舵を握るのは、ポーランド系アメリカ人である唯一の男、船長だ。

オリヴェイラ監督は言う。
「映画を撮っていく上で一番難しいのはシンプルさをどう出していくかということです。これはいろいろなことを言いたい時に、長い文書を書くのは簡単でも、ほんの短い文章のなかで伝えるのは難しいのと同じです…現代は、いろいろなことが盛りだくさんになっていてスペクタルの様なものの方が、観客を惹き付けているような傾向にありますが、こういった類の映画はドラッグのようなものではないかと思っています」

「派手な作品であれば人は振り向きますが、それらには、実は魅力もなければ深さもありません。観客はおそらくそのようなものに値しない。観客とはもっとすばらしいものに値すると思うのです。私の映画が、観客に何かそれ以上のものを伝えられるものであって欲しいですし、そして、そこでまた観客が、それぞれのアイディアや考えを付け加えていけるような作品でありたい。その時に観客は、受け身ではなく能動的な主体となりうるのですから」

タイタニックを観たすべての10代にこの映画を観てもらい、どっちが面白いか訊いてみたくなった。なぜなら映画館のロビーは年配の観客であふれ、まさに豪華客船のデッキのようだったから。

この映画にもっとも欠落しているのは、若い観客である。
モードなガールにマストなシネマ!


*2003年 ポルトガル=フランス=イタリア合作
2004-05-11

『負け犬の遠吠え』 酒井順子 / 講談社

広告業界版・負け犬の遠吠え


勝ち犬と負け犬は、簡単に2分できない。
本書によると「既婚・子あり」「既婚・子なし」「離婚歴あり」「未婚でモテる」「未婚でモテない」の順に勝っていることになるが、子供を手放した人や未婚の母はどうなのよ?と考え始めると話はややこしい。強引に線引きするなら「子育てという最も価値ある営みをしているか否か」という話になるようだ。なぜなら、ものすごく価値ある仕事をしているように見えるセレブリティーたちも、出産するや否や「どんな仕事よりも素晴らしい体験!」などとコメントし、素晴らしい仕事すらしていない負け犬たちをがっかりさせるのだから。

その点、林真理子という作家は、子供のことを書かないという原則を貫いている。しかも、彼女のポリシーは、負け犬への気遣いというレベルを超えた長期的な戦略。作家としての生涯ビジョンを優先するプロの姿勢に、負け犬は共感をおぼえるのである。

一方、鷺沢萠という作家は、著者の「負け犬物書き仲間」として本書に登場する。私は彼女が亡くなる3日前、JALの機内誌で、遺稿だったかもしれない彼女のエッセイを読んでいた。それは、波照間島のソーキそばについて綴られた生命力あふれる文章で、タイトルは「世界でいちばん美味しいそば」。私は、ポスターの撮影の仕事で、彼女がいつか住みたいと考えていた沖縄へ行くところだった。

私たちのチームは総勢10数人だが、撮影スタッフと制作スタッフの雰囲気が違う。「おしゃれ」という言葉ひとつとっても互いに共有できない決定的なスタイルの差。
ロケの最中、私はある真実に気がついた。撮影スタッフは、男女含め、全員が完全な勝ち犬だったのだ。カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、マネジャー、コーディネーター…。
一方、制作スタッフに、勝ち犬は一人もいなかったのである。プロデューサー、クリエイティブディレクター、アートディレクター、デザイナー、コピーライター(私)…。

このチームの場合、制作スタッフのほうが明らかにコンサバだから「勝ち犬は面白いことを避けて生きる保守派である」という本書の定義は当てはまらない。どちらかといえば勝ち犬たちのほうが、無邪気でやんちゃ。めちゃくちゃな酔い方をしたり、異様にノリがよかったりする素直さが特長である。他方、負け犬たちは少々ひねくれた感じで、球を投げると必ず変化球が返ってくる…。

夕食時、撮影スタッフが泡盛、制作スタッフがスペインワインを注文しているのを見て、私はひざを打った。本書の「負け犬は都市文化発展の主なる担い手でもあるのです」という一文を思い出したのだ。
「青森県の漁港でほんの一時期しか水揚げしない珍しい魚が寿司屋で食べられるのも、決してメジャーヒットはしないであろうヨーロッパの小国で作られた地味な映画が見られるのも、深夜においしいフレッシュハーブティーが飲めるのも、負け犬が都市文化を底支えしているからなのです」。

思い返せば、東京でも、フレンチレストランでの打ち上げを企画したのは負け犬だった。その後カラオケに行きたがったのは勝ち犬で、負け犬たちの5倍歌った勝ち犬たちはさらにクラブへと元気に繰り出したが、私はといえば、負け犬同士でまったりとカフェでお茶を飲んでいたではないか。

広告業界における負け犬は、都市文化発展の担い手ではあるものの、体力がやや足りないのかもしれません。体力がないから素直になれず、変化球を投げ続けるしかないのです。

フレッシュハーブティーなど深夜に飲みつつ、素直な写真を見ながらひねくれたコピーを考えるのは、世界でいちばん素晴らしい仕事だと私も信じているわけです。が。
2004-04-26